第5話 嵐、迫る
敵がこちらへ迫ってくるのを目にしたゲイリーとヒムラは、すぐに異変に気づいた。
敵は、二本の剣が持つ力を融合させていたのだ。
空を覆う暗雲から稲妻がほとばしり、激しい豪雨が戦場を飲み込もうとしている。雷鳴を轟かせながら、巨大な嵐が猛烈な勢いで二人に迫っていた。
「ゲイリー! 手袋と絶縁ヘルメットを着けろ! 雷の直撃を受ければ、いくらお前でも危険だ!」
ヒムラの指示に従い、ゲイリーは装備を身につけた。二人が着用しているのは、あの医師から支給された特殊な防護服だった。
ゲイリーは剣を握り直し、目の前の敵を見据えた。
(あれほどの力を持っていても、相手は人間のはずだ。それに……あいつも、何かに操られているのかもしれない)
これまでの戦いで、ゲイリーは黒い液体の存在を知っていた。
敵の体を氷で包み込むことができれば、あの不気味な液体を体外へ追い出せるはずだ。
「ヒムラさん、隠れていてください! 僕が何とかします!」
「ゲイリー、無茶をするな!」
ヒムラの制止を背に、ゲイリーは剣を構えた。
しかし、いくら力を込めても、氷の力が発動しない。
(どうしてだ……? こんなときに!)
焦りを振り払い、ゲイリーは敵の周囲を走り始めた。
今は無理に攻めるべきではない。相手の隙を見つけ、確実に攻撃を当てるしかなかった。
そのときだった。
轟音とともに、すぐ近くの地面へ稲妻が落ちた。
「うわっ!」
視界が真っ白に染まる。
防護服のおかげで感電こそ免れたものの、ゲイリーは雷光のまばゆさまでは想定していなかった。
一瞬、何も見えなくなる。
そのわずかな隙を、敵は見逃さなかった。
「しまっ――!」
目の前に、敵の姿が現れた。
電気を帯びた刀が、ゲイリーの体を貫こうと迫る。
その刀身は、ゲイリーの持つ剣によく似ていた。透明なガラスのような刀身は、淡い黄色に輝いている。表面には無数の火花が散り、青白い電弧が刃から刃へと走っていた。
そして、敵のもう片方の手には、雨の剣士が持っていたはずのサーベルが握られている。
二本の剣が、それぞれ異なる力を放っていた。
ゲイリーは紙一重で攻撃をかわした。
だが、態勢を立て直して逃げようとした瞬間、彼は足を取られた。
雨が、さらに激しくなっていたのだ。
滝のように降り注ぐ水が視界を遮り、地面を滑りやすくしている。加えて、ゴム製の防護服が動きを制限し、思うように走れない。
「くそっ……!」
ゲイリーは剣を振るい、氷の弾丸をいくつも生み出した。
氷弾が敵に向かって飛んでいく。
しかし、敵は軽々と身をかわし、ほとんど労せずに攻撃を避けてしまった。
(このままじゃ、当たらない……! どうすれば、あいつの動きを止められる?)
ゲイリーは必死に考えた。
そして、一つの作戦を思いつく。
氷弾を撃ち続け、敵の注意を引きつけながら、頭上に巨大な氷の塊を作り出すのだ。
直径は約二メートル。
あれほどの大きさなら、まともに直撃すれば、いくら強力な敵でも無事では済まないはずだ。
ゲイリーは攻撃を続けながら、敵の頭上に意識を集中させた。
少しずつ、少しずつ。
敵に気づかれないよう、巨大な氷球を形作っていく。
一方、敵は地面に足をつけず、宙に浮いたままゲイリーを追っていた。
しかし、その浮遊の仕方は、水の剣士のものとは違っている。
まるで、自らのエネルギーを周囲に放ち、地面から反発することで浮いているかのようだった。
(……まずい。エネルギーそのものを凍らせることはできない!)
ゲイリーは奥歯を噛みしめた。
それでも、今さら作戦を変更する余裕はない。
氷球が完成した。
「これで……!」
ゲイリーは、氷球を敵の頭上へ落下させた。
だが、敵は慌てる様子もなく、ただ空を見上げた。
次の瞬間。
空から稲妻が走った。
轟音とともに雷が氷球を直撃し、巨大な氷の塊は粉々に砕け散った。
「なっ……!」
無数の鋭い氷片が、弾丸のように周囲へ飛び散る。
ゲイリーはとっさに氷の盾を作り出し、自分の身を守った。
激しい衝撃が盾を襲う。
やがて氷片が降り止み、ゲイリーは周囲を見回した。
そして、息を呑んだ。
「……ヒムラさん?」
少し離れた場所に、ヒムラが倒れていた。
その体から血が流れ、地面を赤く染めている。
氷の破片が、彼の胸に突き刺さっていた。
「ヒムラさん!!」
ゲイリーは盾を維持したまま、必死に駆け寄った。
「師匠、どうして……! 僕は……僕は、あなたを傷つけるつもりなんてなかったのに!」
声が震える。
ヒムラは苦しそうに息をしながら、かすかに笑った。
「ゲイリー……お前のせいではない……」
「でも……!」
「十分な訓練をする時間がなかった。それだけのことだ……。だから、そんな顔をするな」
ヒムラは言葉を続けようとしたが、苦痛に顔を歪めた。
ゲイリーは傷の状態を確認した。
氷片が突き刺さっているのは、右肺の少し上にあたる胸部だった。出血もひどい。
このままでは危険だ。
ゲイリーは急いで氷を操り、傷口を圧迫するための応急処置を施した。あくまで一時的な止血にすぎない。それでも、何もしないよりはましだった。
「お願いだから……死なないでください……」
ゲイリーの声が、かすかに震えた。
しかし、その直後だった。
彼の表情から、恐怖と動揺が消えた。
代わりに浮かび上がったのは、激しい怒りだった。
少年の瞳が、鮮烈な青へと変わっていく。
その変化に気づいたヒムラは、驚いたように目を見開いた。
「……なんという青い瞳だ。これほど鮮やかな青は、見たことがない……」
ヒムラは、残された力を振り絞るように言った。
「行け、ゲイリー……。そして、あの敵を止めるんだ」
ゲイリーはゆっくりと立ち上がった。
「……分かりました」
その声には、先ほどまでの迷いはなかった。
ゲイリーは敵を見据え、両手を広げた。
次の瞬間、敵の周囲に六つの氷球が出現した。
一つではない。
二つでもない。
六つの巨大な氷球が、それぞれ異なる方向から敵を取り囲んでいた。
「今度こそ……逃がさない!」
ゲイリーが腕を振り下ろす。
六つの氷球が、一斉に敵へと襲いかかった。
轟音が重なり、氷の衝撃が戦場を揺らす。
敵はついに、地面へと叩き落とされた。
これまで一度も崩れなかったその体勢が、初めて大きく乱れたのだ。
だが、ゲイリーが安堵する間もなかった。
敵はすぐさま体勢を立て直し、周囲の水を集め始めた。
「何を……?」
次の瞬間、巨大な水の塊がゲイリーの頭上から降り注いだ。
「うわあっ!」
凄まじい水圧に押し流され、ゲイリーは地面へ叩きつけられた。
視界が揺れる。
体を起こそうとしても、濡れた地面に足を取られてうまく立ち上がれない。
そして、ようやく顔を上げたときには、敵がすぐ目の前に立っていた。
黄色く輝く電撃の刀が、ゲイリーの胸へ向かって突き出される。
逃げる時間はない。
防ぐことも、避けることもできない。
(……ここまで、なのか?)
ゲイリーは迫り来る刃を見つめた。
その瞬間、彼の頭に浮かんだのは、ヒムラの姿だった。
自分を導いてくれた師匠。
まだ、何も恩返しができていない。
こんなところで終わるわけにはいかない。
それでも、体は動かなかった。
電撃の刀が、目前に迫る。
そのときだった。
遠くから、力強い声が響き渡った。
「我がもとへ来たれ! 雨と水を生み出す、響きの剣よ――ミズガナ!!」
その声と同時に、異変が起こった。
敵の左手に握られていたサーベルが、激しく震え始めたのだ。
まるで、持ち主の呼びかけに応えるかのように。
次の瞬間、サーベルは敵の手を離れ、空中を一直線に飛んでいった。
「なにっ!?」
敵が驚きの声を上げる。
飛んでいった剣を受け止めたのは、水の剣士だった。
その傍らには、ガヤの姿もある。
「間に合った……!」
ゲイリーは安堵しかけたが、まだ戦いは終わっていない。
彼はすぐさま敵へ向き直り、残された力を振り絞って氷を操った。
敵の体を凍らせようとする。
一瞬、成功したかに見えた。
しかし、敵の全身が強い光に包まれると、氷はその体に触れる前に弾き飛ばされてしまった。
「くっ……やっぱり、あのエネルギーが邪魔なのか!」
完全に凍らせることはできない。
それでも、敵が動きを止めたのは、ほんの数秒だった。
ゲイリーはその隙を逃さず、水の剣士とガヤのもとへ走った。
「水の剣士さん! ヒムラさんが負傷しました! 早く手当てをしないと危険です!」
「何だと……!?」
水の剣士の表情が険しくなる。
「それに、あの敵を止めるには、一人の力では足りません!」
ゲイリーは敵を指さした。
「僕たちの力を合わせましょう!」
水の剣士は、力強くうなずいた。
「分かった。あの敵の力は厄介だが、二人の剣の力を合わせれば、突破口を開けるはずだ」
ゲイリーと水の剣士は、互いに目を合わせた。
それぞれの剣が、異なる輝きを放ち始める。
そして、二人は同時に叫んだ。
「我らのもとへ集え――強大なる雹の嵐よ!!」
その瞬間、周囲の雨がぴたりと止んだ。
あまりにも突然の静寂だった。
先ほどまで耳をつんざいていた雨音が消え、戦場には不気味な沈黙が広がる。
だが、それも長くは続かなかった。
遠くから、何かが地面を打ちつけるような音が聞こえてくる。
その音は、徐々に大きくなっていった。
ゴゴゴゴゴ……!
やがて、空を覆う暗雲が激しく渦巻き始めた。
次の瞬間。
巨大な雹が、空から降り注いだ。
その大きさは、サッカーボールほどもある。
一つ、また一つと地面へ叩きつけられ、凄まじい衝撃音を響かせる。
「グアッ……!」
電撃の剣士は、迫り来る雹を避けきれなかった。
巨大な氷塊が体に直撃し、敵は何度もよろめく。
その体には、次々と打撲の跡が刻まれていった。
先ほどまで圧倒的だった敵の動きが、目に見えて鈍くなっている。
(今だ……!)
ゲイリーは剣を構えた。
「凍れ!!」
敵の頭部を覆うように、氷の殻が形成されていく。
敵はエネルギーを放って氷を弾き飛ばそうとしたが、すでに体力を消耗していた。
完全に防ぎきることはできなかった。
氷が頭部を包み込み、敵の動きが止まる。
そして――。
敵の体から、あの黒い液体が流れ出した。
どろりとした不気味な液体が地面に広がり、黒い水たまりを形成していく。
ゲイリーは息を呑んだ。
(やっぱり……! こいつも、あの液体に操られていたんだ!)
しかし、液体はその場にとどまらなかった。
まるで意志を持っているかのように、黒い触手のような流れを伸ばしながら、水の剣士へ向かって動き始めたのだ。
「危ない!」
ゲイリーは即座に反応した。
水の剣士の周囲に氷の壁を作り出し、黒い液体の進路を遮断する。
さらに、液体そのものを閉じ込めるため、厚い氷の箱を形成した。
黒い液体は箱の内側で蠢いていたが、やがて動きを止めた。
「……これで、終わりだ」
ゲイリーは、ようやく剣を下ろした。
長い戦いが、ついに終わったのだ。
しかし、彼に安堵している余裕はなかった。
「ヒムラさん……!」
ゲイリーは、すぐさま師匠のもとへ駆け戻った。
ヒムラは意識を失っていた。
呼びかけても返事はない。
「しっかりしてください! 今、医師のところへ連れていきますから!」
ゲイリーはヒムラの体を支え、医師のいる施設へと急いだ。
その途中、倒れた敵のそばを通りかかったとき、ふと視界の端に気になるものが映った。
敵の頭を覆っていたフードが、戦闘の衝撃でずれ落ちかけていたのだ。
その下から、見覚えのあるヘルメットが覗いていた。
(あのヘルメット……どこかで見たような……)
一瞬、足を止めかける。
しかし、すぐに首を振った。
今は、そんなことを考えている場合ではない。
ヒムラの命が、かかっているのだから。
ゲイリーは再び走り出した。
医師の執務室にたどり着くと、扉を勢いよく押し開けた。
いや、正確には――扉を壊す勢いで飛び込んだ。
「先生!!」
突然の乱入に、室内にいた二人の兵士が反応した。
「止まれ!」
兵士たちは一斉に銃を構え、銃口をゲイリーへ向ける。
だが、ゲイリーの腕の中にいるヒムラを見た医師は、すぐに状況を察した。
「銃を下ろせ! 彼は敵ではない!」
医師の鋭い声に、兵士たちは構えを解いた。
「すぐに担架を用意しろ! 手術室の準備もだ!」
「了解!」
兵士たちが慌ただしく動き始める。
医師はヒムラの様子を確認しながら、厳しい表情で告げた。
「……私が、必ずこの旧友を救ってみせる」
その言葉を聞いた瞬間、ゲイリーは張り詰めていた気持ちが崩れそうになった。
そのとき、そばにいたガヤが彼に駆け寄り、ぎゅっと抱きしめた。
「ゲイリー……!」
彼女の声は震えていた。
頬を涙が伝い落ちる。
「おじいちゃん……助かるよね? ねえ、助かるよね……?」
ゲイリーは、すぐには答えられなかった。
ヒムラの血に染まった服。
意識を失ったまま運ばれていく姿。
そして、先ほどまで自分を励ましてくれていた師匠の声。
それらが頭の中を駆け巡る。
それでも、ゲイリーはガヤの肩にそっと手を置いた。
「……大丈夫だよ」
できる限り、落ち着いた声で答える。
「ヒムラさんは、今はまだ死なないって言っていたんだ。僕には、まだ教えることがたくさんあるって……」
ゲイリーは、必死に笑顔を作った。
「だから……僕たちは、あの人を信じよう」
ガヤは彼の胸に顔を埋め、声を押し殺して泣き続けた。
ゲイリーもまた、彼女を抱きしめながら、祈るように目を閉じた。
――けれど。
その言葉を口にした彼自身も、本当は分かっていた。
ヒムラが助かるという確信など、どこにもないことを。
それでも、信じるしかなかった。
大切な師匠が、再び目を覚ましてくれることを。
そして、いつかまた、自分に剣の道を教えてくれることを。




