第3話 いったい何が起きたんだ?
――あの戦いから、二日が経っていた。
ゲイリーは、深い眠りの中にいた。
身体はほとんど動かせないほど傷ついていたはずなのに、不思議なことに、その回復速度は常識では考えられないほど早かった。
そして――
「……ん……」
ゲイリーの指が、ほんの少し動いた。
ゆっくりと目を開ける。
「……ここは……?」
ぼんやりとした視界が、少しずつ鮮明になっていく。
最初に見えたのは、見慣れた顔だった。
祖母。
そして、ヒムラ。
その隣には――ガヤがいた。
「ゲイリー!」
だが、目を覚ましたゲイリーが最初に気づいたのは、喜びの声ではなかった。
「だから、私は言っているでしょう!」
「しかし――」
「『しかし』じゃありません!」
祖母とヒムラが、何やら激しく言い争っていた。
どうやら話題は、今回の戦いについてらしい。
「まだ何の訓練もしていない十四歳の子供に、いきなり刀を持たせて戦わせるなんて……! あなたは何を考えているんですか!」
「……それについては、私にも責任があります」
ヒムラが珍しく言葉を濁す。
ゲイリーはまだ頭がぼんやりしていた。
そして、ゆっくりとガヤへ視線を向ける。
彼女の頭には包帯が巻かれていた。
顔にもいくつかの傷。
腕にも治療の跡が残っている。
それでも――
生きている。
その事実を確認した瞬間、ゲイリーの胸に大きな安堵が広がった。
自分が守れた。
そう思うと、自然と小さな笑みが浮かんだ。
「……ガヤ……大丈夫?」
弱々しい声。
その一言で――
部屋の空気が一瞬で変わった。
「ゲイリー!?」
祖母がベッドへ駆け寄ってくる。
そして――
ギュッ!
「生きててよかった……!」
「うわっ……!」
突然抱きしめられ、ゲイリーは驚いた。
身体中に骨折があったことを思い出し、激痛を覚悟する。
だが――
「あれ……?」
痛くない。
もちろん多少の傷は残っている。
しかし、あの戦いのときに感じた激痛とは比べ物にならない。
「……骨、折れてたはずなのに……」
ゲイリー自身も驚いていた。
祖母は涙を浮かべながら、ヒムラを睨む。
「神様、本当にありがとうございます……! でもね、この無責任な老人は、何の訓練もしていない孫に刀を渡して、あんな狂った男と戦わせたんですよ!」
「……」
「しかも、あの男、私たちの言葉すら話さないじゃありませんか!」
「それは……」
「警察に通報しなかっただけでも感謝してください!」
祖母はそこで少しだけ言葉を止める。
「……まあ、ゲイリーの回復があまりにも早かったから、今回は何とか納得しましたけど」
そして、ふと思い出したように続けた。
「それに、あなたのお父さんも『いずれこうなるだろう』なんて言うんですよ。私は今でも意味が分かりません!」
ゲイリーの目が見開かれる。
「……父さん?」
祖母を見る。
「父さん、ここに来たの?」
「ああ。少しだけ顔を見に来てくれたわ。でも、仕事があるからすぐ戻ったの」
祖母は苦笑した。
「あなたのお父さんらしいでしょう?」
「もし何か必要なものがあったら、できる限り用意するって言ってたわよ」
「……そっか」
ゲイリーは小さく頷いた。
そして、もう一度ガヤを見る。
彼女は笑っていた。
だが、その頬には涙が流れている。
「……?」
ゲイリーが不思議そうに見つめていると、祖母がようやく彼から離れた。
すると、ガヤがゆっくりと近づいてくる。
「ゲイリー……」
そして、傷を気遣うように、そっと彼を抱きしめた。
「助けてくれて……ありがとう」
「……いや」
ゲイリーは少し照れながら答えた。
「僕は……自分が正しいと思ったことをしただけだよ」
少し間を置いて、笑う。
「でも……ガヤが無事でよかった」
「……うん」
ガヤは涙を拭った。
「私も……あなたが目を覚ましてくれて、本当によかった」
しばらく静かな時間が流れた。
だが、ゲイリーにはまだ気になることがあった。
「あの……」
「何?」
「あの変な男は……どうなったの?」
ヒムラが答える。
「城の地下にある牢へ閉じ込めてある」
「まだ起きてないんですか?」
「ああ。今も眠ったままだ」
ヒムラの表情が険しくなる。
「あの男が持っていたサーベルも、安全な場所へ保管している。あれが彼の力の源である可能性が高い。刀さえなければ、今のところ危険はない」
「……今のところ?」
「私は今回の事件について調べている」
ヒムラは静かに続けた。
「だが、真相を知るには本人の証言が必要だ」
「……誰が、あいつを送り込んだのか」
ゲイリーは黙ってヒムラを見る。
部屋の空気が少し重くなった。
しかし――
「……お腹すいた」
「え?」
あまりにも突然の一言だった。
ガヤが目を丸くする。
そして――
「ふふっ」
小さく笑った。
「じゃあ、何か持ってくるね」
ガヤはすぐに部屋を出ていった。
◆
しばらくして。
「はい、どうぞ」
戻ってきたガヤが持ってきたのは、一枚の盆だった。
そこには緑茶。
いくつかのおにぎり。
そして、和菓子が並べられていた。
「いただきます!」
ゲイリーは遠慮することなく食べ始めた。
よほどお腹が空いていたのだろう。
あっという間に料理が減っていく。
祖母とガヤは、その様子を微笑みながら見ていた。
食事を終えると、ゲイリーはヒムラへ視線を向けた。
「ヒムラさん」
「何だ?」
「二人きりで話したい」
ヒムラは少し驚いた。
だが、すぐに頷く。
「分かった」
祖母とガヤは部屋を出ていった。
扉が閉まる。
部屋に残ったのは、ゲイリーとヒムラだけ。
ゲイリーはベッドの上で姿勢を正した。
その表情は、先ほどまでとは違っていた。
「……ヒムラさん」
「うん」
「いったい、何が起きたんですか?」
ゲイリーの声には、もう迷いがなかった。
「これって、ただの修行だったんじゃないんですか?」
拳を握る。
「あの男、突然現れて……僕を殺そうとして……ガヤまで狙って……!」
ゲイリーはヒムラを睨む。
「しかも、あいつは外国人だった。空から突然現れたんですよ」
少し声を荒らげる。
「何を知ってるんですか?」
そして――
「全部、話してください」
ヒムラはしばらく黙っていた。
やがてベッドの横にある椅子へ腰を下ろす。
「……あの日に襲撃が起こることまでは、私も知らなかった」
「じゃあ、どうして……?」
「だが、いつか起こる可能性があることは分かっていた」
ヒムラはゲイリーの目を見る。
「刀が持ち主を選んだ瞬間――その存在は、他の者たちに感知される可能性がある」
「……他の者たち?」
ゲイリーの眉が動く。
「まさか……」
嫌な予感がした。
「他にも、あんな奴がいるんですか?」
「……残念ながら」
ヒムラは頷いた。
「私が保管している古い記録によれば、少なくとも七人の剣士が存在する」
「七人……」
「それぞれが、異なる属性の力を持つ七本の剣を所持している」
ヒムラは静かに説明を続ける。
「古い記録には、そのすべてが詳しく記されているわけではない」
「だが、特に詳しく記録されているのが――」
ヒムラはゲイリーの腰にある刀を見る。
「氷の剣だ」
「……僕の?」
「ああ」
ヒムラは頷いた。
「この時代における氷の剣の担い手は、お前だ。ゲイリー」
「……嫌だ」
ゲイリーは視線を逸らした。
「もう、こんなの嫌だよ」
声が震える。
「祖母を心配させたくない」
「父さんだって……」
少しだけ間を置く。
「……母さんも」
ゲイリーは俯いた。
「母さんが今どこにいるのか、僕には分からない。でも……もし僕が死んだら、きっと母さんだって……」
そこまで言って、言葉を止めた。
「僕は……こんなことを望んでない」
ヒムラは静かに息を吐いた。
「分かっている」
「なら――」
「だが」
ヒムラの声が強くなる。
「お前には、もう選択肢がない」
ゲイリーが顔を上げる。
「刀がお前を選んだ」
「……」
「そして、今回お前を襲った男についても、いくつか分かったことがある」
ヒムラは説明を続けた。
「あの男はスペイン人だ」
「スペイン……?」
「ああ。お前が初めて刀に触れた日まで、彼はスペインにいた」
ヒムラは古い記録と資料を思い出すように話す。
「その日のニュースによれば、スペイン上空で奇妙な気象異常が発生していた」
「気象異常……」
「巨大な雲が突然発生し、その数分後――」
ヒムラはゲイリーを見る。
「その雲がスペインを離れた」
「……雲が?」
「正確には、通常では考えられない速度で移動したということだ」
ヒムラは続ける。
「彼は嵐の中を進み、わずか十八時間足らずで大西洋を横断したと考えられている」
「十八時間……?」
ゲイリーは唖然とした。
「そんなの……普通の人間には無理じゃないか」
「だからこそ、私はあの男をただの人間とは考えていない」
ゲイリーは頭を抱える。
「じゃあ……僕は、この刀から逃げられないってこと?」
「……そういうことだ」
「僕は自分を守ることすらできないのに」
ゲイリーは拳を握り締める。
「どうやって、他の人を守れっていうんだよ……」
「お前は、自分で思っているほど弱くない」
ヒムラの言葉は、はっきりしていた。
「少なくとも、私とガヤが見たお前は――立派な英雄だった」
「英雄……?」
「何の訓練も受けていない。それなのに、お前は私たちを守った」
「それは……」
「そして、ガヤを助けるために何度も立ち上がった」
ヒムラは少しだけ目を細める。
「ガヤがお前にとって何でもない存在だ、などとは言わせないぞ」
「……」
ゲイリーは何も言えなかった。
「彼女は痛みに耐えながら、お前のそばを離れなかった」
「そして、お前の回復力は、現在の私の補助刀による治癒能力をはるかに上回っている」
「……補助刀?」
「私の刀だ」
ヒムラは自分の刀を見る。
「私の刀は、氷の刀と共鳴することで、その力を増幅させることができる」
「そして、いつの日か――」
ヒムラはガヤが出ていった扉へ視線を向ける。
「ガヤがこの刀を受け継ぎ、お前を支えることになる」
「……ガヤが?」
「ああ」
ヒムラは立ち上がった。
「だから、もう怯えている場合ではない」
「……」
「自分の運命を受け入れろ。そして――戦え」
ヒムラの声が部屋に響く。
「お前一人の問題ではない」
「この星全体が、お前にかかっている」
ゲイリーは黙り込んだ。
「最近起きている異常気象を忘れたのか?」
「北アメリカで発生した大地震」
「ヨーロッパを襲った記録的な豪雨」
「アジア各地で発生している、原因不明の落雷や森林火災……」
ヒムラは一つ一つ、言葉を重ねていく。
「すべて、他の剣の担い手たちと関係している」
ゲイリーは眉をひそめた。
「でも……」
疑問が残る。
「どうして、そんなことをするんですか?」
「僕たちは……英雄なんじゃないの?」
ヒムラは頷いた。
「その通りだ」
「本来の剣士たちは、自然界の力を均衡させる役目を持っていた」
「そして、必要な場所へ必要な力を届ける」
「人々を守るための存在だった」
しかし――
ヒムラの表情が曇る。
「だが、現在の彼らは違う」
「……操られている?」
「ああ」
「何者かによってな」
ヒムラは低い声で続ける。
「古い記録には、そのような存在について一切記されていない」
「だからこそ、今回の男が目を覚ませば――」
「誰が彼を操っているのか、分かるかもしれない」
ゲイリーは黙って考え込んだ。
そして、ふと思い出したように尋ねる。
「そういえば……」
「何だ?」
「僕の骨が治ったのって、あの刀の力ですよね?」
「ああ」
「骨まで治せるって、最初から知ってたんですか?」
「もちろんだ」
ヒムラは頷く。
「古い記録には、氷の力によって骨や軟骨をほぼ瞬時に再生できると記されている」
「他の組織は、もう少し時間がかかる」
「ただし――」
ヒムラは真剣な表情になる。
「首を切断された場合や、心臓を貫かれた場合などは別だ」
「それ以外の傷なら、数日程度で完全に回復できる可能性がある」
「……すごい」
ゲイリーは自分の手を見つめた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
そして――
「今、何時ですか?」
ヒムラが時計を見る。
「八時四十七分だ」
「……もうそんな時間か」
◆
ゲイリーはベッドから立ち上がった。
まだ完全に回復したわけではない。
それでも、歩くことはできる。
部屋を出ると、まず目に入ったのは――
戦いの爪痕だった。
庭には折れた木々。
壊れた建物。
地面には大きな亀裂。
ヒムラの使用人たちが忙しそうに動き回り、倒れた木を撤去したり、壊れた場所を修復したりしている。
「……僕がやったんだよな」
ゲイリーは周囲を見回した。
あの戦いが、まるで夢だったように思える。
だが――
この光景が現実だったことを証明していた。
ゲイリーはそのまま部屋へ向かった。
そこでは祖母とガヤがテレビを見ていた。
ニュース番組だった。
『現在、太平洋上空を巨大な雷雲が移動しています』
ゲイリーは画面を見る。
『この異常な雷雲は、現在サブリッド島へ向かっていると見られています』
「……サブリッド?」
ゲイリーの表情が変わった。
サブリッド島。
自分たちが暮らしている場所だ。
『専門家によりますと、到達までおよそ十六時間と予測されています』
ゲイリーは画面を見ながら呟いた。
「……また、あの刀の変人かな」
「雷とか……電気の力を持った奴?」
ガヤが不安そうに尋ねる。
「たぶんね」
そのときだった。
「その可能性は高い」
後ろから声がした。
振り返る。
そこにはヒムラが立っていた。
「やっぱり……」
ゲイリーが呟く。
ヒムラはテレビ画面を見る。
「次の戦いに備える必要がある」
「ここで戦うの?」
「いや」
ヒムラは首を横に振った。
「この場所では被害が大きすぎる」
「もっと戦いやすい場所へ移動する」
そして――
ヒムラはゲイリーを真っ直ぐ見つめた。
「それと同時に、お前に新しい技を教える」
「新しい技……?」
「次の戦いでは、今までの力だけでは足りない」
「お前には、もっと力が必要だ」
ゲイリーが息を呑む。
その瞬間。
テレビから別のニュースが流れ始めた。
『続いてのニュースです』
画面に、一人の男性の写真が映し出された。
『日本で放送されている人気ヒーロー番組の出演俳優、マギロ・オダさんが、昨日から行方不明となっています』
「……え?」
ゲイリーの目がテレビへ釘付けになる。
『マギロ・オダさんは、現在放送中の人気シリーズ――』
番組名が画面に表示された。
『――「稲妻戦隊エレクトロファイブ」に出演していました』
「エレクトロファイブ……?」
ゲイリーは小さく呟いた。
それは、彼が密かに好きだったヒーロー番組だった。
子供向けだと思われるのが恥ずかしくて、いつも人に隠れて見ていた。
「マギロ・オダ……」
ゲイリーは画面を見つめる。
何となく胸騒ぎがした。
そして――
ヒムラが静かに口を開いた。
「……時間がない」
その声には、一切の迷いがなかった。
「今すぐ始めるぞ」
ゲイリーが振り返る。
「何を?」
ヒムラは刀を手に取った。
「決まっている」
鋭い視線。
「修行だ」
こうして――
ゲイリーの新たな修行が始まった。
次に彼を待っているのは、雷の力を持つ剣士。
そして――




