もし願いが叶うなら
あの噂がただの噂であってほしい。
そう願ったところで、胸の苦しさが消えるわけではなかった。
夜はなかなか眠れず、授業にも身が入らない。
気付けば窓の外を眺めていることが増え、食堂では料理を残すようになっていた。
自分でも分かっていた。
最近の私はおかしい。
けれど、どうしようもなかった。
***
その日の夜だった。
机に向かったままぼんやりしていると、控えめなノックの音が響いた。
「セシリア?」
聞き慣れた声だった。
「ミア?」
「入るよ」
扉を開けて入ってきたミアは、私の顔を見るなり小さく眉を寄せた。
「また眠れてないでしょう」
「そんなことないわ」
「ある」
即答だった。
私は苦笑する。
最近はこんなやり取りばかりだった。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫よ」
「その言葉、何回目?」
ミアは呆れたように言った。
けれど責めているわけではない。
ただ心配してくれているのだ。
だから余計に申し訳なかった。
ミアはしばらく黙っていたが、やがて何かを思い出したように顔を上げた。
「ねえ」
「なに?」
「最近、不思議な話を聞いたの」
「不思議な話?」
ミアは少し声を潜める。
「願いを叶えてくれる魔女がいるんだって」
思わず瞬きをした。
あまりにも現実離れした話だった。
「魔女?」
私は思わず苦笑した。
「おとぎ話みたいね」
「私もそう思った」
ミアも笑う。
「ただ、願いを叶える代わりに代償が必要なんだって」
「代償?」
「その人にとって大切なもの」
私は眉を寄せた。
「ますます怪しいわ」
「でしょ?」
ミアは肩を竦めた。
「でも、結構有名な話らしいよ」
私は首を振る。
そんな都合の良い話があるはずがない。
その時は本気でそう思った。
***
翌日の放課後だった。
図書館へ寄った帰り道、中庭の脇を通り掛かった私は不意に足を止めた。
聞き慣れた声が耳へ届いたからだ。
反射的に視線を向ける。
そこにはリオ様がいた。その隣にはエレノア様。
二人は木陰の近くで話していた。
見なければよかった。
後から何度もそう思った。
けれど、その時の私は視線を逸らすことができなかった。
その時だった。
エレノア様がふいに顔を上げる。
若葉色の瞳が真っ直ぐこちらを捉えた。
視線がぶつかる。
自然な仕草でリオ様の袖を軽く引いた。
呼び止めるような、甘えるような仕草だった。
リオ様が顔を向ける。
エレノア様は何かを言う。
するとリオ様が少しかがんだ。
次の瞬間、エレノア様はごく自然な仕草で耳元へ顔を寄せた。
何かを囁いたらしい。
どんな話をしているのかも分からない。
それでも、その距離はあまりにも近かった。
まるで二人だけの秘密を共有しているように見えた。
エレノア様は楽しそうに笑っている。
リオ様は困ったように苦笑していた。
そのやり取りはあまりにも自然だった。
まるで二人だけの世界ができているように見えた。
私は目の前の光景から目を離せなかった。
あの日見た髪飾り。
同じ色の腕輪。
学園で囁かれている噂。
ひとつひとつは決定的な証拠ではない。
けれど、それらが積み重なった今の私には、もう別の可能性を考えることができなかった。
その時だった。
エレノア様が再びこちらを見る。
そして、微笑んだ。
私には、まるで勝者が敗者へ向ける笑みに見えた。
胸の奥が冷えていく。
エレノア様は何事もなかったようにリオ様へ向き直る。
リオ様は私に気付いていない。
二人は再び楽しそうに会話を続ける。
まるで私など最初から存在しなかったかのように。
私は耐えられなくなって踵を返した。
もうこれ以上見ていたくなかった。
***
その夜、私はベッドへ腰掛けたまま膝を抱えていた。
頭の中では昼間の光景が何度も繰り返される。
青い髪飾り。
青い腕輪。
耳元へ顔を寄せるエレノア様。
そして、あの微笑み。
私はゆっくりと目を閉じた。
きっと二人は付き合っているのだ。
そうとしか思えなかった。
リオ様の隣にいるのは私ではない。
私はただの幼馴染で、妹みたいなものなのだ。
あの日教室で聞いた言葉が、今さらのように胸へ突き刺さる。
それでも本当に辛かったのは、失恋そのものだけではなかった。
最近の私はミアに心配ばかり掛けている。
授業にも集中できない。
以前のように笑うこともできない。
気付けば毎日、同じことばかり考えている。
こんな自分になりたかったわけじゃないのに。
その時、不意に昨夜の会話が蘇った。
願いを叶えてくれる魔女。
大切なものを代償に差し出せば、望みを叶えてくれる存在。
そんな話、本当は信じていない。
それなのに、もし本当に願いが叶うのならという考えだけが消えてくれなかった。
前みたいに笑える私に戻れるのだろうか。
ミアと何も気にせず笑い合っていた頃の私に。




