仕方なかったって何?
ひたすら歩き続けていたら、昼を過ぎていた。二人は今、樹木もまばらな、平坦な地を歩いている。雲が重く垂れ込めた空からは、雪がちらつきはじめていた。
「疑問があるんだが」
ディアナの横を歩くバルドルがふいに口を開いた。
「君の兄のところに向かうつもりはないのか?」
「……兄ってライナスのこと?」
「ああ」
バルドルに悪気はないのだろうが、ディアナにとってあまり聞かれたくないことではあった。――その兄のことは。
ディアナの異母兄ライナス。今年、二十四歳になる。王妃の子ではないため、王位継承順位が、妹のディアナと叔父のリカードより下である。彼は王位を請求しておらず、この内紛に今のところ関与していない。
「ライナス王子は、東の国境付近に領地を持っているんだよな? 確かノースモアランドほどではないにせよ、結構な兵力があるはず。それに、ライナスは飛術士として一流の強さだと聞くしな」
「うん……」
「距離で言っても、終着点をノースモアランドにするより、ライナスの領地にするほうが日数が少なくて済む。ランカスターに着いたのち、ライナスのところへ向かうほうが危険は少ないように思えるがな。あるいは、ランカスターを経由せず、直接向かうか……」
ライナスの話はしたくなくとも、バルドルが旅の同行者である以上、最低限のことは伝えなければならなかった。
「私……ライナスのことが好きじゃないの。というより苦手なのよ。関わりたくないくらいにね。ライナスのところに行かない理由はそれよ」
「性格に難あり、という噂はかねがね聞き及んでるが」
「ええ――今回の争いで、ライナスが王位を請求しなかったのは、彼が無欲だということを意味しているわけではないのよ。玉座を奪える望みが薄いから、高みの見物を決め込んでいるだけだと思うわ。実際にはライナスは貪欲で獰猛な性質の持ち主。信用できないのよ」
「腹違いとはいえ兄だろ。そこまで言うか」
「…………」
ただそういう性質の人間というだけなら、妹として兄をどうにか許容できるだろう。問題は別のところにあるのだ。だが、その問題までバルドルに話す気はなかった。
「事実を言っただけよ」
「へえ。ともあれ、兄と冷戦状態にあるのは意外かもな。君は家族とうまくやるタイプだと思ってた」
「あら、私、ロアンとはものすごく仲がよかったわよ」
そのロアンは、ディアナと父母双方が同じ兄だった。といっても、ライナスとは異腹だから反りが合わないというわけではないのだが。
「ロアン王子――戦死した兄か」
バルドルがつぶやくように言った。やや配慮を欠く、この言い様がディアナの鼻についた。そもそも、ロアンを亡き者にしたのは――。
「より正確に言えば、あなたのお兄様のヴラド王子に殺されたのよ」
ディアナは刺々しさと当てつけをふくめて言った。すると、バルドルは彼女をさらに苛立たせるような、というより驚愕させるような言葉を返してきた。
「それは仕方のなかったことだ」
ディアナは足を止めた。今の言葉を聞いて胸の中に不快なものが込みあげてきた。
「……仕方なかったって何?」
バルドルも立ち止まり、ディアナのほうへ振り返った。彼の顔にディアナは鋭い視線を放った。
「そんな言葉で兄の死を納得しろというの?」
ディアナは、口調と眼光にこれまでにないほど険を込めた。
彼女にとってロアンは、この世でもっとも愛していた人物といっても過言ではない。その死は、ディアナの心の土壌に大きな悲哀の根をおろした。それが今、バルドルの不用意な発言により、怒気の炎となって芽吹いたのだった。
それを受けたバルドルの顔を、わずかに怯んだような表情がかすめた。が、それは一瞬だった。すぐにもとの平静な顔つきに戻り、平静な口調で彼は返した。
「事実、仕方のなかったことだ。俺の兄は君の兄よりも強かった。強い者が生き残り、弱い者が死ぬ。それが戦場の掟だろう?」
当然これは、ディアナの怒りの炎に大量の油を注ぎ込んだだけだった。彼女はバルドルに詰め寄り、さらに憤りの言葉を吐き出す。
「ロアンは弱くなんてなかったわ! あなたの兄は竜にでも乗ってたんでしょう?」
ディアナも戦場に出た経験はないし、その場にいたわけではないから、推測で反論するしかなかった。
「あるいはロアンにとって不利な状況で戦ったのよ!」
「仮にそうだとして、それらをひっくるめて君の兄のほうが弱かったということだろうな。戦での勝敗は結果が全てなんだから――」
我慢の限界を超えた。
ディアナは猛烈な勢いをつけて、平手打ちをバルドルに叩きつけようとした。彼女の身体能力は女としては群を抜く。並の男であれば、頬を叩きつけられて地面に転がっただろう。
だがバルドルであれば、それを防ぐのは容易だった。右手での平手打ちは凄まじい速さで放たれたが、バルドルはそれを片手でつかんで止めた。
が、手首をつかまれながらも、ディアナは厳しい瞳で真正面からバルドルを見据えた。
「訂正してよ――自分の言ってることが間違ってるって!」
バルドルは、これに対して直接的な返答はせず、別の問いを発した。
「……君は兄の死をまだ引きずってるのか?」
「当たり前よ。ロアンが亡くなってからまだ半年しか経ってないんだから……」
「もう半年経ったとも言えるがな。――俺の姉エリアも戦死したのは知ってるよな」
「知ってるけれど――だからお互い様だと言いたいの?」
「それが言いたいわけじゃない」
バルドルはディアナの手首を離した。それから少し間をおき、彼は妙に生真面目な顔つきで、どこか諭すような語調で言った。
「二年前、姉の討ち死には、当然、ヴラドも知ることとなったわけだが、ヴラドは少しの時間悲しんだだけだった。その半日後には普通に食事をとり、どうでもいいような話で部下と談笑していた。自分の姉が死んだのに、ヴラドが平静でいられたのはなぜだと思う?」
「…………」
「二人の仲が悪かったわけじゃない。兄は、人の死を受け入れる強さを持っているから平静を保てたんだ。その強さを君も持ったほうがいいだろうな」
「それは……無情な人間になれと言ってるのと変わらないんじゃないの?」
「かもな。だが、そういう部分も持っておくにこしたことはない。常人ならともかく、玉座につこうという者であればな。今のままだと、戦火の起こりしとき、もし君の近しい人間が亡くなったら、はたして君が冷静な指導力を発揮できるかどうか。――王になるんだろう?」
ディアナはわずかに口をつぐんだが、やがて、きっぱりと返した。
「王にはなる。――けれど、強いだけの王になるつもりはないわ」




