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飛術

 空は鈍色の雲に侵されはじめ、光が地上に射さなくなりつつあった。昨日の朝よりも冷え込みがずっと激しい。同行者の雰囲気も冷ややかで、ディアナは気が滅入ることこの上ない。

 

 フェルウッドを出た二人は、ランカスター伯爵領を目指すことにした。フェルウッドを迂回するようにして北上することになる。

 

 森閑とした野道を歩く中、ディアナはバルドルに尋ねた。


「ねえ、ずっと気になってたことがあるから、聞いていいかしら?」


「俺の好きな食べ物ならミートパイだ」


「……さっきの戦いのとき、宙に浮いてたけど、なぜ自分が飛術士ひじゅつしだって黙ってたの?」

 

 飛術士とは、自身の肉体のみで空を飛ぶ魔道――飛術ひじゅつを使う者のことである。


 

 

 太古の昔、神々から超自然的な力を授かった人間たちがいた。その人間たちは、のちにいにしえの大魔道士と総称される。かれらが神々から授かった力こそ魔道の源である。現在、魔道を扱える人間は、古の大魔道士の血統を色濃く受け継いでいるのだ。

 

 数百年続いた古の大魔道士の時代から、竜は存在していた。今よりはるかに数が多く、ときに古の大魔道士と争闘を繰り広げたこともあった。その時期に、竜の能力の原理を応用する魔道――飛術を、古の大魔道士が編みだした。自身の体を浮かして宙を移動することができる能力は飛術だけである。この魔道は、竜と戦うに際して有用とされている。

 

 だが、そののち竜に味方する古の大魔道士も現れ、その者たちの力によって、竜騎士が誕生した。

 

 竜の能力に関係する点は似ていても、飛術と騎竜術は別物だ。竜に対抗するために生まれたのが飛術士だとすると、竜を守るために生まれたのが竜騎士である。両者が争った事例は歴史上、無数にあった。

 

 ゆえにというべきか、現在において、ラーザには竜騎士が、ブリタニアには飛術士が多いのである。

 

 そのため、バルドルが飛術士でもあったのは、ディアナにとって予想外だったのだ。現在、魔道士は数が少ないうえに、そのほとんどが魔道を一種類しか扱えない。ディアナも使えるのは時渡りの魔道だけだ。ラーザにも飛術士は多少存在するが、竜騎士でもある飛術士は稀有なのである。




「――昨日は、騎竜術の話しかしてなかったじゃない」

 

 騎竜術では、竜は操れても自分の体を浮かせて宙を移動したりはできない。


「飛術士だと伝えないといけなかったのか?」


「そうじゃないけど、いきなり飛術なんて使われたら、びっくりするでしょう。 といっても、ハーバートとの試合のときから、あなたの身体能力には特殊なものを感じていたけどね」

 

 あのときのバルドルは、身のこなしや剣の速さが尋常ではなかった。おそらく、飛術の力で身体能力を強化したのだろう。この魔道は、竜の能力を人間でも発揮できるようにするものである。バルドルは竜の運動能力に似た力を使ったのだった。


「あの試合のときもそうだったけど、あなたが本当の力を途中から発揮するのには理由があるの?」

 

 最初から能力を使えばいいのではないか、とディアナは思う。


「火事場の馬鹿力のようなものかな」

 

 やや適当な口調でバルドルは説明する。


「知ってると思うが、魔道の力は精神の作用によるところが大きい。追い詰められたら力を発揮できるんだよ、俺の場合はな」

 

 たしかに、魔道の力は精神状態によって増減する。魔道士にもよるが、危機に直面したときほど魔道の強さは増す傾向にあるのだ。だが、それにしてもバルドルの場合、強いときと弱いときの振り幅が急激すぎる。あそこまでの変化が起こるものだろうか、とディアナは疑問を覚える。

 

 ディアナは、彼の説明に釈然としないものを感じたものの、追及はしなかった。


「ふーん……何にせよ、頼りにはなるわね。さっきの攻撃を見た限り、飛術士として相当強いのよね?」

 

 先ほどの急降下による斬撃。飛行速度と剣勢が凄まじかった。


「ああ、同じ飛術士でも大抵の者は、俺に太刀打ちできないだろうな」


「わあ、謙虚な人!」


「もっとも、あの男には俺でも敵わないだろうが」


「あの男っていうのは……」


「リオン・ドラゴンベイン」


「やっぱりね」

 

 ブリタニアの天才飛術士リオン。

 

 ドラゴンベイン(竜殺しの意)は通り名である。個の武力において当代随一と称されている。


「バルドルはリオンに会ったことがあるの?」


「いや」

 

 宮廷行事などには顔を出さないリオンだが、ディアナは面識がある。驚愕的なまでに寡黙で、何を考えているやらつかめない不思議青年だ。


「会ったことはないし、実際に奴の飛行を見たこともないが、飛術士として俺より上だろうな」

 

 今のバルドルは鼻持ちならない自信家という感じだが、リオンに敵わないというのは率直に認めた。


「わが国ラーザで五指に入る竜騎士だったカイザルを討ちとったほどだ。それだけで人間の領域をはるかに超えてるとわかるさ」

 

 竜の力を体現できるのが飛術だが、大体の飛術士は、あらゆる部分において竜よりはるかに劣る。竜ほど速くは飛べない。竜に比べれば格段に弱い。


 飛べる時間も限られている。並の飛術士だと一日三十分程度、優れた者でもその倍くらいの時間しか飛行できない。バルドルがディアナを抱えて飛ぶにも限界があると言ったのはそれゆえだ。

 

 しかし、リオンは異次元の存在である。滞空可能時間は半日を超え、飛行速度に関しては大抵の竜に勝る。

 

 一頭の竜とそれに乗る竜騎士一人に対して、飛術士は五人以上で戦うのが通常だ。だがリオンは、カイザルを彼の竜もろとも単身で討ち倒した。それほどの戦闘力の持ち主なのだ。


「ただの竜であれば、俺も一人で倒せるだろうが……あのカイザルの竜だったら不可能だろうな。――リオンはリカードの懐刀ふところがたなだったか」


「ええ、彼を登用して軍に入れたのが叔父だから」

 

 すなわち、こたびの王位継承の争いで、リオンは王弟の側についているということであり、ディアナにとって敵ということなのだ。


「あのリオンが追っ手として現れても不思議ではないか。……こんなやっかいな争いに俺まで巻き込んでくれて本当にありがたい限りだよ」


(……そんな嫌味言わなくてもいいじゃない)

 

 嫌ならどこかに行ってしまえ、とは言えないからディアナはもどかしい。

 

 だが、たしかに。

 

 リオンは王弟軍の中で最大の敵と見なしてよい。個の戦闘力という観点から見れば、リカード以上である。

 

 あの空の王が敵として現れるかもしれない。――そう思うと、ぞくり、とディアナの背筋を悪寒が走った。

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