8 悔しげな従妹
世界が歪んでいた。
水色と白の傘が竝んで路地を進む。
糸のように細い雨が降り続けていた。コンクリートで舗装された路地には水溜まりが出来、苔まで浸している。細い水滴が当たり、同心円状の細漣を描いていった。
中通りへ出る前、千秋は立ち止まる。
「忘れ物したかもしらん。」
「そうなの。」
「うん。――先、行っといて。」
小走りに千秋は家へ駆けて行った。
水色の傘が曲がり角で消える。
刹那、ランドセルについた「だいふくねこ」のストラップが見えた。それが、残像として長いあいだ目の底に残る。
一足先に進み、中通りへ出た。
今、千秋との関係は無いに等しい。様々な出来事が起き、ぎくしゃくしている。
アニメも一緒に観なくなった。だいふくねこの最新話は観ていない――割かし楽しみにしていたにも拘わらず。
独りで観ても面白いだろう。だが、虚しさを覚えるに違いない。
集合地の前を通りかかった。
小学生たちの視線に気づく。
学年や性別を問わず、全ての目が美邦を向いている。そこに浮かぶ感情は、好奇心とも猜疑心ともつかない。
ぞっとし、顔をそむける。
何が何だか分からない。
彼らから逃げるように歩みだす。
そんなとき、先にある電柱に千秋を――いや、千秋の幻視を見た。俯いていて顔は見えない。しかし、正面を向きつつ仁王立ちしている――明らかに悔しそうだ。
いつもと違う幻視に驚き、立ち止まる。
やがて、意を決して美邦は進んだ。近づけば薄らいで消える。
もし振り向いてしまえば――同じ姿で彳む千秋の姿が見えてしまいそうだった。
――お前のせいだ。
角ばった紅い文字を思い出す。
由香と幸子のいない丁字路を過ぎた。
学校に着く。
教室へ這入った。
異常の起きた板書は消されていた。代わりに、「8時から全校集会」と書かれている。
冬樹の姿はない。
教室のあちこちで囁き声が聞こえる。
――が。――た。
時として、クラスメイトの視線が美邦へ向いた――空き地で見た小学生のように。
始業時間になっても冬樹は来なかった。
スマートフォンの使用は校内では禁じられている。こっそり校則を破らない限り、何が起きたか知るのは放課後になるだろう。
体育館へ這入り、全校生徒が整列した。
校長が登壇する。そして、二年A組で起きた現象の原因は湿気だったと説明した。同時に、生徒たちの不安に理解を示しつつ、無闇な騒動を起こさないよう訓示する。
呆れるほかない。
一昨日の教室は乾燥していた。
何より、そんな説明でクラスメイトが納得するとは思えない。いや――だからなのだろう。どのような説明もつかないからこそ、このような発表があったのだ。
全校集会が終わり、体育館を出る。
囁き声は絶えない。言うまでもなく発表を疑っているのだ。だが同時に、何名かの視線が美邦へと向いた。
声の中に、次の言葉を聞き取る。
――実相寺さんが。
意味を察し呆然とする。
由香の死と絡めて噂されているらしい。
教室へ戻り、朝学活が始まった。
鳩村が、体調不良で冬樹が欠席する旨を伝える。やはり何かが起きたに違いない。
しかし何が――。
軽傷か重傷かも分からない。
もし重傷だったなら。
――どうか無事で。
休み時間へ入る。
斜め後ろの席では、岩井が授業の準備をしていた。
誰かと話したくて、そっと歩み寄る。
「藤村君――今日も来てないね。」
目さえ岩井は合わそうとしない。
「そうですねえ。」
「体調が――悪いのかな?」
「さあ。少なくとも、立て続けに休まれることは今までありませんでしたが――」
「お見舞いに行くべきじゃないかな?」
これを相談するために話しかけたのだ。
――明日から土日なのだから。
だが、岩井は顔を曇らせる。
「あまり気にかけても、迷惑ですよ。それに、古泉さんのときと違って、男の子の部屋へ女の子が上がることはよくないです。」
「迷惑かな? 藤村君なら大丈夫だと思うんだけど――。それに、芳賀君を誘って行けば問題ないんじゃない?」
「そうですねえ――。けれど私は、明日明後日はちょっと用事があるんです。それに、藤村さんとは親しくしていないので、相談に乗れることではありません。」
要するに行きたくないのだ。
「あ――そう。」
居心地の悪さを覚えつつ席から離れる。
前の方の席に坐る芳賀が目に入った。今、語りかけても良好な返事がある気はしない。しかし、駄目で元々で近寄ってみる。
「芳賀君。」
芳賀は顔を上げた。
唇は固く結ばれている。
「あの――今、ちょっといい?」
顔をそむけ、何、と芳賀は短く問うた。
気落ちしつつも、見舞いに行かないかと一応は誘ってみる。
「大原さん、一人で行けばええがん。」
いつも冬樹とくっついていたのに、血の通わない言葉だ。
一応は相槌を打つ。
「あ――うん、そうだね。」
芳賀は顔を動かすことなく、一体いつ行くのと問うた。
「えっと――明日のお昼にでも。」
「そう――」
そして何も答えなくなった。




