5 おみまい
土曜日の午後、美邦は家を出た。
厚い雲が潮風に流されたり千切れたりしている。予報では、雨は降らないらしい。しかし崩れそうな天気だ。
通学路を初めて私服で進む。
案山子のような人影に変わりはない。
現れる場所も格好も。
同じ場所に毎日現れるからこそ、文字にするのも簡単だった。
水曜から、竹下の提案を実行している――町で経験したことをノートにつづり始めたのだ。
長文は最初から書けない。あとで清書するつもりで、思いつくことから書いた。
通学路で目にするもの。
他の場所で見たもの。
町に来てから見た夢――。
学習連絡帳を振り返り、見た日付を推測したり思い出したりもした。
――やっぱり私は「妹」だった。
しかも、「姉」は当屋だったのだ。憂鬱な顔で神輿行列の先を歩いていた。その理由を自分は知っていたはずだ。
――死ぬことを私は予感してたんだ。
一年神主が生贄に取られることがある。
そうは聞いた。
だが、死を予感していたのは一年神主ではない。美邦だ。しかし、なぜ死ぬのだろう。まさか、「妹」も選ばれたのだろうか。
冬樹が聞いたらどう思うだろう。
――また夢を見るかも。
次からは、忘れないうちにメモしなければならない。
花屋の前に、傾きつつ地面に沈む車があった。一方、青いテントの下には今日は普通の花が竝んでいる――通常の営業姿だ。
幻視の他、死んだような景色がある。
静かに町は死んでゆく。
荒神塚と同じだ。どこにも生気がない。
神がいるとは感じなかった。空から何かが降っていた頃の町とは違う。
しかし何かが起こっている。
――どこに行ったの?
居るはずなのに居ないとは。
――居るはずなのに。
一つの言葉が焦点を結ぶ。
――隠れてる。
やがて、鞘川に差し掛かる。
橋の先に、琺瑯看板の貼られた煙草屋があった。手前には、ジャージ姿の冬樹と岩井が立っている。
冬樹が来ていることに驚いた。
しかし近づくにつれ、岩井の姿だけが残ってしまう。
美邦に気づき、岩井は顔を向けた。
「こんにちは、大原さん。」
「う、うん――こんにちは。」
様子が妙だったためか、首を傾げられる。
「どうかされましたか?」
「いや、私、運転免許なんて大人になっても取れないだろうなと思って。」
岩井に導かれ、中通りを北上した。
少しして、海側に伸びる路地へ這入る。角を曲がるたびに、錆びた塗炭の壁、H字型の煙突、紅い布などが現れた。
やがて、「古泉」と表札の出た家に着く。
呼び鈴を岩井が押した。
インターフォンから、はいという女性の声が聞こえてくる。
「こんにちは。――こちら、古泉さんのお宅ですよね?」
「ええ。」
「私、クラス委員長の岩井と申します。幸子さん、ここ数日欠席していらっしゃるので、今日はお見舞いに参りました。」
「あ、そうなの。ごめんね心配かけて。」
いま行きます――と彼女は言った。
少しして扉が開き、母親らしき中年女性が現れる。申し訳なさそうに彼女は笑み、中へと招き入れた。
「どうぞ、お這入りください。――汚い処ですけれど。」
お邪魔します――と異口同音に言う。
玄関に足を入れた。
他人の家に特有の匂いを嗅ぐ。
階段へ通された。
愚痴を軽く零される。
「幸子ったら、病気でも何でもないんです。実相寺さんが亡くなったのがショックなだけで。いい加減、立ち直ってほしいですね。」
「さちこ」と書かれたプレートの下がる部屋まで来る。
ドアがノックされた。
少し経って、幸子が顔を覗かせる。
懸念に反し、顔色はいい。美邦らを前に、やや気まずそうな表情を見せる。
「あ、美邦――岩井さんも。」
「あの――ちょっと心配で、様子を見に来たんだけど――」
「あ、うん――ごめんね。」
ドアが大きく開かれた。
「這入って。」
部屋の真ん中にテーブルがあり、クッションが敷かれていた。
二人は腰を下ろす。
「幸子――体調は大丈夫なの? 三日間も休んでたけれど。」
「うん。」
目を逸らされる。
「実は、体調はどうってことないだけん。ただ、なんとなく気力が湧き上がらんかっただけ。ごめんね――迷惑かけて。」
少し安心する。
由香の死がショックだっただけというのは本当のようだ。
「気にすることないよ。八年間ずっと一緒だったんでしょ?」
つらそうな顔が現れた。
「本当は――十一年間だに。なんせ幼稚園の頃からだけん。ほんに――ずっと一緒だった。私が心配になるくらいほわほわしたええ子だったけん。」
悲しみを逆に湧き上がらせてしまったようだ。余計なことを言ってしまったかと少し後悔する。普段は冷静な幸子は――由香が失踪した時は取り乱していたのだ。
「学校はどう? クラスは今どんな感じ?」
教室の様子を思い出し、後ろめたくなる。
「いつもと変わんない。みんな、何事もなかったふりしてるみたい――笹倉さんだけが妙に陽気で、みんなから退かれてるけど。」
央橋の上で眉間が翳る。
「これだけん、あんま行きたぁなかっただが。笹倉は少しおかしいけん。きっと大喜びしとるだらあな、って思って。それが――見たぁなあて。」
「だよね。私も見たくはなかったよ。」
「それに、変に噂されとったらって思って。こういう事故は今までもあったけん。」
教室でささやかれていた声を思い出す
由香が失踪した頃から聞こえ始めた。
何かを懸念したように岩井は言う。
「亡くなられたのはクラスメイトですからね――。しかも、大原さんや古泉さんは、神社について何か調べていたのでしょう?」
「うん――。でも、面白半分に触れることでなかったんだと思う。また何か起きたらと思うと私も不安だに。」
詠歌の言葉を思い出す。
――居候なのに責任とれるん?
幸子からも遠回しに責められたようだった。美邦が来てすぐ、幼稚園以来の友人を失ったのだ。思うところはあるかもしれない。
――たとえ知らなくとも生きて行ける。
命を失っては元も子もない。
両親から命を授かった。そして、父の遺骨と共に町へ帰ってきたのだ。
生まれた町に自分は生きて居る。
――でも。
それは自分の選択だろうか。
「けれど、私はもう大丈夫。」
幸子は明るく笑む。
「由香が亡くなったんはショックだったけど――このまんまじゃ、ひきこもりになっちゃうけん。それはそれでもっと厭だなって。だけん火曜からは、ちゃんと学校行くで。」
「――よかった。」
「私も、それがいいと思います。」
しかし、気にかかる。
なぜ――笹倉は由香を攻撃するのか。
今は、由香と親しかった者たちに見せつけるように喜んでいる。
「それにしても、どうして笹倉さんってあんな態度取るのかな? なんで由香を攻撃するんだろう?」
幸子は黙り、岩井は難しそうな顔をした。
「私には――少し分かりませんけれども。入学したときからでしたよ? 小学校は違うので、その前のことは分かりませんが――」
「私も、よう分からんけど。」
ただな、と幸子は言った。
「笹倉が由香を敵視しだした時期は分かるで――笹倉の妹が失踪したときだけど。」
「失踪してたの? 笹倉さんの妹も?」
「うん。」
不審死や失踪が多いと聞いていた――その話を再び聞くことになるとは。
「笹倉な、すごい妹と仲良かっただが。うちらの小学校はクラスが一つしかないだけど、笹倉の妹、教室によう遊びに来とったで? それが、小学三年生のとき失踪したに。」
GPSをつけだした出来事だろうか。
「その日――笹倉は妹と一緒に下校しとったに。で、妹のほうは、学校に忘れ物したって気づいて、取りに帰っただけど。笹倉は、見たいテレビがあったけぇ先に帰ったって。」
それきりだに、と幸子は言う。
「それきり――笹倉の妹は帰ってこなんだ。大人たちは必死で町中を探し回っただけど、今も見つかっとらん。」
「そう、だったんだ。」
笹倉の言葉を思い出す。
――実相寺由香さんには近づかないでください。あの人は悪い人です。
依然として意味は分からない。しかし、妹の失踪と関係があるような気がする。
「失踪したあとは、笹倉も可哀想だったで。姿が消えたんはお前のせいだって、親から散々八つ当たりされたみたい。それに――」
眼鏡の端に手が触れた。
「男子の中には、呪いだとか祟りだとか、妹がいなくなって嬉しかっただろうとか言って冷やかす奴もおってな――」
「それは、実相寺さんもですか?」
「まさか! とんでもない!」
咄嗟に横に振られた首が、元気を失ったように止まる。
「だけど、笹倉の性格が捻じくれだしたんは、そんころからだな。由香に攻撃的になったんも――。けど、なんでかは、当人に訊いてみん限りは分からん。」
「確かに、由香の性格じゃ考えられないけど。」
笹倉が由香を敵視する理由は謎だ。
尋ねてみたところで、真っ当な答えが返ってくる気はしない。
だが。
どのような目に遭ったのか、おおよその想像はついた。
女子でも大人でも、心の中では同じことを考えている。それを、無遠慮で暴力的に男子は口にするだけだ。
下駄箱に入れられた紙を思い出した。
今、様々な悪意が自分を取り巻いている。
詠歌はおろか、笹倉や田中からも無遠慮な言葉をかけられたのだ。
岩井へと視線を流す。
例の失言から時間が経った。あれ以来、変わった言動はない。だから二人で来た。
それでも、美邦の前で平然としているこのクラス委員長も、心の中では何を考えているのか分からない。
岩井には――悪意があったのだろうか。




