2 黄泉の町
空気が震えている。
町民の群がる中を神輿行列が進んでいた。
中通りだろう、活気に町は包まれている。
先頭を歩むのは宮司だ。
装束を纏った男女が、神輿を担ぐ男達がそれに続く。町民らは掛け声を上げ、お神酒や米・紙吹雪などを神輿に振りかけていた。
せわしなく振動する何かが空から降り続けている――鎮守の杜で感じたものが、降ってきているのだ。
悪い光景ではない。
だが憂鬱な気分を拭えなかった。
装束を纏う男女のうち、片方は美邦の姉なのだ。けれども、人身御供に出されるような顔をしている。
ふと、姉の顔がこちらを向いた。
刹那、景色が歪んで全て消える。
薄暗い天井を右眼が捉えた。
ベッドの上で美邦は仰向けになっている。
部屋はまだ暗い。しかし、目覚めの時間が近いことは明らかだ。
――また同じ夢。
恐らくは神嘗祭の光景だろう。しかも、装束を纏った男女もいた――彼らが一年神主なのかもしれない。ということは。
――お祭りがあったやな気がする。
その言葉を思い出し、憂鬱になる。
先日、白日夢で由香になった。
三週間ほど前にも同じ光景を――踏切へ歩いてゆく夢を見たのだ。
――でも、あのとき。
駅前に行ったことはなかったし、踏切の存在さえ知らなかった。
由香の葬儀から一夜明けている。
朝の支度を終え、千秋と二人で家を出た。
四日ぶりの登校だ。
沈痛な気持ちは消えない。それでも登校しなければならない。どのような目に遭おうと美邦は居候なのだ。
ブロック塀と石垣が絡む底を進む。
風が強い。
美邦の様子を窺うように、ちらちらと千秋が目を向けてくる。しかし会話はない。
中通りへ出た。
美邦の前へと小走りに千秋は進み出る。
「じゃ、お姉さん、また夕方に。」
「うん。」
集合地へと千秋は駆けていった。
あの夜以来、会話が続かない。
美邦との関係を計るように視線が行ったり来たりしている。
アニメを一緒に見ることもなくなった。
引っ越してから続いてきた関係は、一旦零になったのだ。それほどまで、美邦の奇行はショックだったらしい。
通学路を独り歩いてゆく。
生徒や児童たちにまぎれ、焼け焦げたり欠損したりする人影が彳んだ。
――大原さんの。
――目目目目が。
――汚れてていま。
最近、幻視や夢が現実化している。
自分は、由香の死を予知したのだろうか。
花屋の前を過ぎ、鞘川を過ぎた。
毎日同じ場所に、大破した車が、焼けた家が現れる。
確認できるはずがない――過去に起きた事故現場と一致するかなど。見るはずのない現実を見るのは、親友の死だけで重すぎる。
丁字路に着く。
幸子はいなかった。
がらんとした空間に消火栓がある。
――どうして。
由香がいないのは当然だ。
しかし普通、美邦よりも先に幸子は来る。
父の顔を――由香の蒼い顔を思い出した。
徐々に体調を崩してゆき、両者とも帰らぬ人となったのだ。しかも――由香の異常は唐突に現れ始めた。
幸子は――。
少し待ってみた。
港へと顔を向ける。
城壁のような防波堤があった。潮騒と風は聞こえても海は見えない。灰色の空の下、小さい灯台だけが紅い。
――沖合の小島。
平坂町。ひらさか。黄泉平坂。
ずっと気になっていたのだ――死者が行くのは常世の国か黄泉の国か。冬樹から借りた本を読んで、ようやく知られた。
古い時代、風葬や水葬によって死者は送られたという。
亡骸が置かれるのは、生活から離れた場所だった――主に、沖合の小島や洞窟の中だ。そこでは、死者の魂を肉体に呼び戻す儀式を行なうこともあった。
――青い闇で満ちた。
薄暗い闇も、海の色も、空の色も、古くは全て「青」と呼んだ。そのため、死者を葬った場所には「青」のつく地名が多い。
――由香の顔も青かった。
古い言葉で、醜いことを「よも」という。
黄泉の国は「よもの国」なのだ。
遺体は腐敗してしまう――生き返らないことが誰の目にも明らかになる。
――死者は生き返らない。
腐臭の漂う場所から魂は去る――青い世界から別の青い世界へと。
スマートフォンが鳴る。
幸子からメッセージが入っていた。
〈ごめん、先に行ってて〉
分った――と美邦は返信する。
スマートフォンの電源を切り、独りで坂道を上り始める。
学校に着いた。
ぎしぎしと鳴る階段を上る。
生徒の満ちる校舎は普段と変わらない。誰かが死んでも日常は動く――たとえ自分が死んでも同じはずだ。
教室へ這入る。
由香の机に花が活けられていた。
碧い陶器に挿された白百合が、無人の机で静かに活きている。陶器の色は、自分の胸元から垂れるスカーフと同じ色だ。
あはは――と笑い声が聞こえてきた。
目を向ける。
笹倉が登校して来たところだった。
「天罰だ! 天罰だ!」
鼻歌を歌いながら、わざとらしく美邦の前を横切ってゆく。
誰もが――何も見なかったような顔をしていた。いつもと変わらない活気が続く。
やがて、冬樹と芳賀も登校して来る。
鼻歌を歌い続ける笹倉を目にして二人とも眉をひそめていた。
始業時間になっても幸子は現れない。
朝学活の最中、体調不良により幸子が欠席することを鳩村が伝えた。
*
昼休憩、鉄筋校舎へ逃げた。
言うまでもなく居心地が悪かったからだ。
しかし一人ではない。同じく居心地が悪かったらしく、冬樹と芳賀も逃げてきた。
――由香も幸子もいないけど。
バルコニーに出る。
散り散りに雲が飛び交っていた。裂け目から蒼い色が現れる。突堤の先には灯台があった。いま――防波堤の向こうが見えている。
「二人は――神社のことについてまだ調べてくつもり?」
芳賀の声に振り返る。
浮かない顔が現れていた。
美邦は何も答えない。ただ寒さに震える。
冬樹は無感動だ。
「俺はそのつもりだが?」
「それか。」
芳賀は顔をそむける。
「でも――正直、手詰まりみたいだが。大人らぁに訊いても誰も知らんって言うにぃ。しかも、神社に関わっとった人も次々亡あなりよおる――宮司さんも、自治会長さんも、郷土誌の編纂者さんも。それどころか――実相寺さんも亡あなった。」
顔を逸らす。
強い風が三つ編みを薙いだ。
「ん? お前、超常現象は信じとらンでないだか?」
それはそうだけどと芳賀は言う。
「藤村君――まえ約束したが? 一緒に南高行かあって。」
少し驚いた。
南高は市内にある私立高だ。市内の高校の中で偏差値は最も高い。
一般的な生徒は、公立の中央高校に進学する。そうでなければ公立の農業高校だ。
――私はどうなるんだろう。
「それがどうした?」
「僕も藤村君と行きたいに。けど――何か危ないことがあったらって思わあでもない。超常現象かどうかは別にして、何か危なげだってのは――そりゃそーだが。」
弱気になっている芳賀が新鮮だ。
しかし、心配するのも当たり前だった。
神社について調べ――どれだけの死人に行き当たったのか。それどころか、身近な者にも死が訪れてしまった。
――私に関わらなければ。
由香は死ななかったのだろうか。
「俺は――引っ込む気はないけどぃなあ。ここまで調べて、中途半端に終わらすのも気が悪いが? もちろん、興味ないなら芳賀を巻き込む気はないだけど。」
きゅうと、どこかで海鳥が啼いた。
風が強い。
呆れたように芳賀は息をつく。
「藤村君も変わり者だけエなぁ。そう言うんなら協力し続けるけど。」
変わり者という言葉が耳に残る。
冬樹は変わり者なのだろうか。いや――初めは自分もそう感じていたはずだ。けれども民俗学の話を聴くうちに、そのような印象がどこかへ消えていた。
――私も変わっている。
それが厭だった。しかし、変わっていることを冬樹は恥じていない。
冷たい顔が振り向く。
「大原さんは?」
目を逸らし、少し考えた。
「私は――」
間違いなく危険がある。
由香も帰らない。
――藤村君を巻き込むかもしれない。
だが。
母がいて父がいて美邦がいる。
故郷があり実家もあった。
普通は明らかだろう――両親も故郷もその記憶も。美邦は散り散りだ。知って当然のことが欠けている。
それを知りたいと思うことは――。
「調べ続けたい――お父さんやお母さんに何があったか知りたいもの。」
「それか。」
知りたいと思うことは――何の利益があるのだろう。
知らなくても生きてゆける。
何が原因なのかすら分からない――神なのか魔なのか人なのかも。それを突き止め、何をしようというのか。
――⬛︎⬛︎らなければならない。
何か――大切な。
冷ややかな芳賀の顔が目に入る。
――今、芳賀君は。
どう考えているのか気になった。
「芳賀君は――不審死も失踪も人間のせいだって今も思ってるの?」
「分からん。」
顔を背けられる。
「でも、人為でなきゃ何になる?」
「そりゃ分からないけど。でも、」
踏切へ向けて歩いた記憶が蘇った。
「たぶん人にはできないんだよ。」
自然と言葉が出る。
「しかも、最初から起きてなかった。どこかから来たんだと思う。」
暗い波打ち際を思い浮かべた。無数の生命を孕んだ黒い潮が泡を立てて寄る。
ざざざ。
ざざ。
「神様か魔物かは分からない。それでも、居なかったものが来たから――起きた。」
冬樹が考え込んでいた。
「まあそうだな。新聞記事を見る限り――元から変だったわけでないし。」
少し引っかかる。
本当に普通の町だったのか。
「元から変だったのかも。神様を呼んでたんだし。」
御忌があり、死人が出ていた。
「――違う世界とつながってた。」
冷たい潮風が海の彼方から切り抜ける。
神社を消す何か。異様な物が来る場所。
異界――そことつながる儀式があった。
「だから、やっぱり神迎えや神送りと関係あると思う。――紅い布だってみんな吊るしてるし。それ、識ってるからじゃないかな。」
芳賀が首を傾ける。
「知ってる?」
「うん。きっと、神社で祀られてたものと、本質的には同じものが居るんだって。」
魔物か神かは分からない。
だが、町民は識っている。
――けど。
居ないとも感じていた。
昼間は、驚くほど何もないのだ。
ふぅんと芳賀は鼻を鳴らす。
「けれど――それが来たっていうならいつ来た? 神様のおらん時期――春分の前で冬至の後から不審死は始まりよーる。神迎えや神送りの儀式と関係あるんだら?」
「それは――」
「それに大原さん、神様はおらん的なこと言わなんだ?」
「言ったけど。」
「でも、」
冬樹が口を開いた。
「神様も魔物も変わらんかもな。」
芳賀が顔を向ける。
「どういうこと?」
「日本の神に善も悪もない。ただ在る――草木が生えとることと変わらん。ボツリヌス菌も放射能も同じだ――大量破壊兵器に使うか医療に使うかは人間の選択でしかない。」
――ただ在る。
すぐ理解した。
神か魔か――そこに区別はない。
「確か、疫病も神様になるんだよね? 村の外から迎えられて、歓迎された後で。もう来ないでねって送り返されるって。」
「ああ。祀られ方次第で疫神も福神になる。つまりは、祭祀に何か問題があったって可能性も考えられる。」
――祭祀。
「祀り方を間違えて福神が疫神になった。」
それが今も居るというのなら。
――送らなきゃ。
ようやく言葉が焦点を結んだ。
同時に、疑問も感じる。
なぜ――送らなければならないのだろう。
牛頭天王は、八坂神社に常にいるはずだ。
「例えば、このあいだのゼロ地場の話も莫迦にできんかもな。平坂町の地形が神を祀る結界みたいになっとって――それが歪んで神様を正しく祀れんくなったとか。」
芳賀の顔は面白くない。
「うーん。やっぱなんか阿呆らしいが。」
送り返さなければならないならば。
――まだ送られてない。
考えられる可能性を口にした。
「神送りのとき、失敗して送り返されなかった可能性ない? 祭祀って言うなら。」
「まあ、あるな。」
ただ――と冬樹は言葉を区切る。
「その失敗が、いったい何で、神社が消えた理由は何かとは思うが。」
――確かに。
居座り続けるならば居場所は必要だ。
神社を消す理由はない。
――どこに居るんだろう。
社を失った神は。
「あるいは芳賀の説との折衷も考えれる。」
「僕の?」
「火事までは人為、その後は祟りだって可能性だ。もしも火災が何かの事件なら、動機は宗教的な理由だらあ。けど、結果として神社は消え――祟りが始まった。」
――事件。
宗教的動機という言葉が気にかかる。何しろ――神社も町も父は放棄したのだ。
「神社を乗っ取ろうとした人がいる――ってこと?」
「まあ――そういう想像もできるって話。けれど、神社自体が消えた理由は説明できる。大原さんのお父さんが町を出たあと――大原家を追い出した人らが独自に神迎えを行なった。でも、それは正規の手続きを踏んだ儀式でなかったに。」
芳賀は軽く笑う。
「あくまでも想像だけどね。」




