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神送りの夜  作者: 千石杏香
第六章 霜月
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2 黄泉の町

 空気が震えている。

 町民の群がる中を神輿行列が進んでいた。

 中通りだろう、活気に町は包まれている。


 先頭を歩むのは宮司だ。

 装束を纏った男女が、神輿を担ぐ男達がそれに続く。町民らは掛け声を上げ、お神酒や米・紙吹雪などを神輿に振りかけていた。

 

 せわしなく振動する何かが空から降り続けている――鎮守の杜で感じたものが、降ってきているのだ。


 悪い光景ではない。

 だが憂鬱な気分を拭えなかった。

 装束を纏う男女のうち、片方は美邦の姉なのだ。けれども、人身御供に出されるような顔をしている。


 ふと、姉の顔がこちらを向いた。

 刹那、景色が歪んで全て消える。


 薄暗い天井を右眼が捉えた。

 ベッドの上で美邦は仰向けになっている。

 部屋はまだ暗い。しかし、目覚めの時間が近いことは明らかだ。


 ――また同じ夢。


 恐らくは神嘗祭の光景だろう。しかも、装束を纏った男女もいた――彼らが一年神主なのかもしれない。ということは。


 ――お祭りがあったやな気がする。

 その言葉を思い出し、憂鬱になる。


 先日、白日夢で由香になった。

 三週間ほど前にも同じ光景を――踏切へ歩いてゆく夢を見たのだ。

 ――でも、あのとき。

 駅前に行ったことはなかったし、踏切の存在さえ知らなかった。


 由香の葬儀から一夜明けている。


 朝の支度を終え、千秋と二人で家を出た。

 四日ぶりの登校だ。

 沈痛な気持ちは消えない。それでも登校しなければならない。どのような目に遭おうと美邦は居候なのだ。


 ブロック塀と石垣が絡む底を進む。

 風が強い。

 美邦の様子を窺うように、ちらちらと千秋が目を向けてくる。しかし会話はない。


 中通りへ出た。

 美邦の前へと小走りに千秋は進み出る。

「じゃ、お姉さん、また夕方に。」

「うん。」


 集合地へと千秋は駆けていった。


 あの夜以来、会話が続かない。

 美邦との関係を計るように視線が行ったり来たりしている。

 アニメを一緒に見ることもなくなった。

 引っ越してから続いてきた関係は、一旦零になったのだ。それほどまで、美邦の奇行はショックだったらしい。


 通学路を独り歩いてゆく。

 生徒や児童たちにまぎれ、焼け焦げたり欠損したりする人影が彳んだ。


 ――大原さんの。

 ――目目目目が。

 ――汚れてていま。


 最近、幻視や夢が現実化している。

 自分は、由香の死を予知したのだろうか。


 花屋の前を過ぎ、鞘川を過ぎた。

 毎日同じ場所に、大破した車が、焼けた家が現れる。

 確認できるはずがない――過去に起きた事故現場と一致するかなど。見るはずのない現実を見るのは、親友の死だけで重すぎる。


 丁字路に着く。

 幸子はいなかった。

 がらんとした空間に消火栓がある。


 ――どうして。

 由香がいないのは当然だ。

 しかし普通、美邦よりも先に幸子は来る。


 父の顔を――由香の蒼い顔を思い出した。

 徐々に体調を崩してゆき、両者とも帰らぬ人となったのだ。しかも――由香の異常は唐突に現れ始めた。

 幸子は――。


 少し待ってみた。


 港へと顔を向ける。

 城壁のような防波堤があった。潮騒と風は聞こえても海は見えない。灰色の空の下、小さい灯台だけが紅い。


 ――沖合の小島。

 平坂町。ひらさか。黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)。

 ずっと気になっていたのだ――死者が行くのは常世の国か黄泉の国か。冬樹から借りた本を読んで、ようやく知られた。


 古い時代、風葬や水葬によって死者は送られたという。

 亡骸が置かれるのは、生活から離れた場所だった――主に、沖合の小島や洞窟の中だ。そこでは、死者の魂を肉体に呼び戻す儀式を行なうこともあった。


 ――青い闇で満ちた。


 薄暗い闇も、海の色も、空の色も、古くは全て「青」と呼んだ。そのため、死者を葬った場所には「青」のつく地名が多い。


 ――由香の顔も青かった。


 古い言葉で、醜いことを「よも」という。

 黄泉の国は「よもの国」なのだ。

 遺体は腐敗してしまう――生き返らないことが誰の目にも明らかになる。


 ――死者は生き返らない。


 腐臭の漂う場所から魂は去る――青い世界から別の青い世界へと。


 スマートフォンが鳴る。

 幸子からメッセージが入っていた。


〈ごめん、先に行ってて〉


 分った――と美邦は返信する。

 スマートフォンの電源を切り、独りで坂道を上り始める。


 学校に着いた。

 ぎしぎしと鳴る階段を上る。

 生徒の満ちる校舎は普段と変わらない。誰かが死んでも日常は動く――たとえ自分が死んでも同じはずだ。


 教室へ這入る。

 由香の机に花が活けられていた。

 碧(あお)い陶器に挿された白百合が、無人の机で静かに活きている。陶器の色は、自分の胸元から垂れるスカーフと同じ色だ。


 あはは――と笑い声が聞こえてきた。

 目を向ける。

 笹倉が登校して来たところだった。


「天罰だ! 天罰だ!」

 鼻歌を歌いながら、わざとらしく美邦の前を横切ってゆく。


 誰もが――何も見なかったような顔をしていた。いつもと変わらない活気が続く。


 やがて、冬樹と芳賀も登校して来る。

 鼻歌を歌い続ける笹倉を目にして二人とも眉をひそめていた。


 始業時間になっても幸子は現れない。

 朝学活の最中、体調不良により幸子が欠席することを鳩村が伝えた。


     *


 昼休憩、鉄筋校舎へ逃げた。

 言うまでもなく居心地が悪かったからだ。

 しかし一人ではない。同じく居心地が悪かったらしく、冬樹と芳賀も逃げてきた。

 ――由香も幸子もいないけど。


 バルコニーに出る。

 散り散りに雲が飛び交っていた。裂け目から蒼い色が現れる。突堤の先には灯台があった。いま――防波堤の向こうが見えている。


「二人は――神社のことについてまだ調べてくつもり?」


 芳賀の声に振り返る。

 浮かない顔が現れていた。

 美邦は何も答えない。ただ寒さに震える。


 冬樹は無感動だ。

「俺はそのつもりだが?」


「それか。」

 芳賀は顔をそむける。

「でも――正直、手詰まりみたいだが。大人らぁに訊いても誰も知らんって言うにぃ。しかも、神社に関わっとった人も次々亡あなりよおる――宮司さんも、自治会長さんも、郷土誌の編纂者さんも。それどころか――実相寺さんも亡あなった。」


 顔を逸らす。

 強い風が三つ編みを薙いだ。


「ん? お前、超常現象は信じとらンでないだか?」

 それはそうだけどと芳賀は言う。

「藤村君――まえ約束したが? 一緒に南高行かあって。」


 少し驚いた。

 南高は市内にある私立高だ。市内の高校の中で偏差値は最も高い。

 一般的な生徒は、公立の中央高校に進学する。そうでなければ公立の農業高校だ。

 ――私はどうなるんだろう。


「それがどうした?」

「僕も藤村君と行きたいに。けど――何か危ないことがあったらって思わあでもない。超常現象かどうかは別にして、何か危なげだってのは――そりゃそーだが。」


 弱気になっている芳賀が新鮮だ。

 しかし、心配するのも当たり前だった。


 神社について調べ――どれだけの死人に行き当たったのか。それどころか、身近な者にも死が訪れてしまった。

 ――私に関わらなければ。

 由香は死ななかったのだろうか。


「俺は――引っ込む気はないけどぃなあ。ここまで調べて、中途半端に終わらすのも気が悪(わり)いが? もちろん、興味ないなら芳賀を巻き込む気はないだけど。」


 きゅうと、どこかで海鳥が啼いた。

 風が強い。

 呆れたように芳賀は息をつく。

「藤村君も変わり者だけエなぁ。そう言うんなら協力し続けるけど。」


 変わり者という言葉が耳に残る。

 冬樹は変わり者なのだろうか。いや――初めは自分もそう感じていたはずだ。けれども民俗学の話を聴くうちに、そのような印象がどこかへ消えていた。

 ――私も変わっている。

 それが厭だった。しかし、変わっていることを冬樹は恥じていない。


 冷たい顔が振り向く。

「大原さんは?」


 目を逸らし、少し考えた。

「私は――」


 間違いなく危険がある。

 由香も帰らない。

 ――藤村君を巻き込むかもしれない。


 だが。

 母がいて父がいて美邦がいる。

 故郷があり実家もあった。

 普通は明らかだろう――両親も故郷もその記憶も。美邦は散り散りだ。知って当然のことが欠けている。

 それを知りたいと思うことは――。


「調べ続けたい――お父さんやお母さんに何があったか知りたいもの。」

「それか。」


 知りたいと思うことは――何の利益があるのだろう。

 知らなくても生きてゆける。

 何が原因なのかすら分からない――神なのか魔なのか人なのかも。それを突き止め、何をしようというのか。


 ――⬛︎⬛︎らなければならない。

 何か――大切な。


 冷ややかな芳賀の顔が目に入る。

 ――今、芳賀君は。

 どう考えているのか気になった。

「芳賀君は――不審死も失踪も人間のせいだって今も思ってるの?」


「分からん。」

 顔を背けられる。

「でも、人為でなきゃ何になる?」


「そりゃ分からないけど。でも、」

 踏切へ向けて歩いた記憶が蘇った。

「たぶん人にはできないんだよ。」

 自然と言葉が出る。

「しかも、最初から起きてなかった。どこかから来たんだと思う。」


 暗い波打ち際を思い浮かべた。無数の生命を孕んだ黒い潮が泡を立てて寄る。

 ざざざ。

 ざざ。


「神様か魔物かは分からない。それでも、居なかったものが来たから――起きた。」


 冬樹が考え込んでいた。

「まあそうだな。新聞記事を見る限り――元から変だったわけでないし。」


 少し引っかかる。

 本当に普通の町だったのか。

「元から変だったのかも。神様を呼んでたんだし。」

 御忌があり、死人が出ていた。

「――違う世界とつながってた。」


 冷たい潮風が海の彼方から切り抜ける。

 神社を消す何か。異様な物が来る場所。

 異界――そことつながる儀式があった。


「だから、やっぱり神迎えや神送りと関係あると思う。――紅い布だってみんな吊るしてるし。それ、識(し)ってるからじゃないかな。」


 芳賀が首を傾ける。

「知ってる?」

「うん。きっと、神社で祀られてたものと、本質的には同じものが居るんだって。」


 魔物か神かは分からない。

 だが、町民は識っている。

 ――けど。

 居ないとも感じていた。

 昼間は、驚くほど何もないのだ。


 ふぅんと芳賀は鼻を鳴らす。

「けれど――それが来たっていうならいつ来た? 神様のおらん時期――春分の前で冬至の後から不審死は始まりよーる。神迎えや神送りの儀式と関係あるんだら?」


「それは――」

「それに大原さん、神様はおらん的なこと言わなんだ?」

「言ったけど。」


「でも、」

 冬樹が口を開いた。

「神様も魔物も変わらんかもな。」


 芳賀が顔を向ける。

「どういうこと?」

「日本の神に善も悪もない。ただ在る――草木が生えとることと変わらん。ボツリヌス菌も放射能も同じだ――大量破壊兵器に使うか医療に使うかは人間の選択でしかない。」


 ――ただ在る。

 すぐ理解した。

 神か魔か――そこに区別はない。

「確か、疫病も神様になるんだよね? 村の外から迎えられて、歓迎された後で。もう来ないでねって送り返されるって。」


「ああ。祀られ方次第で疫神も福神になる。つまりは、祭祀に何か問題があったって可能性も考えられる。」

 ――祭祀。

「祀り方を間違えて福神が疫神になった。」


 それが今も居るというのなら。

 ――送らなきゃ。

 ようやく言葉が焦点を結んだ。

 

 同時に、疑問も感じる。

 なぜ――送らなければならないのだろう。

 牛頭天王は、八坂神社に常にいるはずだ。


「例えば、このあいだのゼロ地場の話も莫迦にできんかもな。平坂町の地形が神を祀る結界みたいになっとって――それが歪んで神様を正しく祀れんくなったとか。」

 芳賀の顔は面白くない。

「うーん。やっぱなんか阿呆らしいが。」


 送り返さなければならないならば。

 ――まだ送られてない。

 考えられる可能性を口にした。

「神送りのとき、失敗して送り返されなかった可能性ない? 祭祀って言うなら。」


「まあ、あるな。」

 ただ――と冬樹は言葉を区切る。

「その失敗が、いったい何で、神社が消えた理由は何かとは思うが。」


 ――確かに。

 居座り続けるならば居場所は必要だ。

 神社を消す理由はない。

 

 ――どこに居るんだろう。

 社を失った神は。


「あるいは芳賀の説との折衷も考えれる。」

「僕の?」

「火事までは人為、その後は祟りだって可能性だ。もしも火災が何かの事件なら、動機は宗教的な理由だらあ。けど、結果として神社は消え――祟りが始まった。」


 ――事件。

 宗教的動機という言葉が気にかかる。何しろ――神社も町も父は放棄したのだ。


「神社を乗っ取ろうとした人がいる――ってこと?」


「まあ――そういう想像もできるって話。けれど、神社自体が消えた理由は説明できる。大原さんのお父さんが町を出たあと――大原家を追い出した人らが独自に神迎えを行なった。でも、それは正規の手続きを踏んだ儀式でなかったに。」


 芳賀は軽く笑う。

「あくまでも想像だけどね。」

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