1 死を送る
遺影の中で由香が微笑んでいる。
抹香の香りが漂う本堂は薄暗く、けさ降った雨のせいで寒かった。
信じられない思いで美邦は坐り続ける。
親友の死の瞬間を見てしまった。
由香はもう帰らない。美邦が錯乱した時、そのままの通りに亡くなったのだ。
十月二十八日。火曜日。
上里にある寺院で葬儀が行なわれていた。
畳に竝ぶ椅子には、親戚のほか、親しかったクラスメイトなどが坐る。喪服や制服を着た彼らの姿がだぶり、残像のように離れた。
椅子の一つへと、幸子は――頽るように坐り込んでいる。白い頬に、涙の痕が見えた。その心中を察して胸が痛む。なにしろ八年間も同じクラスだったのだ。
死者は生き返らない。
――永遠の別れは辛い。
その人を知れば知るほど。
由香と過ごして一か月に満たない。だが、安心できる数少ない関係だった。そこに、修復できない傷が開いてしまった。
あちこちで、遠慮のない声が囁き合う。
――実相寺さんのとこって、前にも不審死があったでないだか?
――そりゃ本家のほうだが。
――そうそう。あれは七年も前のことで。
――由香ちゃんの従兄でなかったかえ?
大っぴらに言っているわけではなかった。
だが、敏感に聞き取らざるを得ない。
――娘の葬式にも出んだけえ。
――ここの父親は本当に碌で無しだが。
――由香ちゃんも、奥さんも可哀さあに。
今は涙が出ない。
おととい散々泣いたためだ。沈痛な気持ちを洗い流す物が、大切な時に枯れている。
僧侶による長い読経が終わった。
母親が短めの挨拶をする。
最後の別れが来た。
棺桶の中で、真っ白な布に遺体は包まれていた――汽車に轢かれ、見られないほど損傷したためだ。周りには、無数の花や、ぬいぐるみなどが詰められている。
いつかは自分もここに納まる。
由香にはあまりにも早すぎた。
美邦との別れでさえ早すぎたはずだ。立て続けに訪れた死を、美邦は今、再び送らなければならない。
棺桶が閉じられ、運び出されようとする。
悲痛な声を上げて幸子が崩れた。
周囲の大人たちに支えられ、どこかへと連れて行かれる。
棺に寄り添って本堂を出た。
風が冷たい。
雨は上がっている。曇りとも言い切れない空は、灰色の雲が薄絹をかけたようだ。水溜まりだらけの境内が、葬儀に来た人々の姿を写していた。
由香を乗せた霊柩車が境内を発つ。
そして、山門の外に消えた。
参列者の中に冬樹の横顔を見つける。
どこかからか降ってきたであろう雨が頬についていた。いつもは大人びている冬樹も、今は呆然と山門の彼方を眺め続ける――そうするほかないのだ。
やがて芳賀が現れる。
幸子の様子を見に行っていたのだ。
「古泉さん、お母さんが迎えに来るって。」
「それか。」冬樹はうなづく。「今は、そっとしといたほうがええな。」
「うん。」
ふと芳賀は顔を翳らせる。
「これから二人はどうする? 僕は上里だけぇ、すぐ帰れるけど。」
意味が分からず、唯一の答えを美邦は言う。
「私は――これからもう帰るけど。」
俺も、と冬樹も言った。
だが、何かに気づいたように顔を向ける。
「大原さん、一人で帰れるかえ?」
「大丈夫、道は分かるから。」
「いや、あの踏切以外の帰り道は?」
はたと気づく。
来るときも通らなければならなかった。
今、再び通りたくない。
首を横に振る。
「じゃあ、あそこ以外の道で帰らあで。」
「うん。」
山門を出て芳賀と別れた。
平坂へ続く農道を冬樹と共に進んでゆく。
田んぼの中では、案山子のような人影が随所に彳んでいた。
同い年の男子と竝んで歩くなど、転校前にはできなかった。
それが後ろめたい。こうして誰かと歩くことさえ由香はできない。人生が唐突に閉ざされたのだ。何かの力によって。
自ら姿を消して。そして。
踏切で。
「それにしても、昨日は肝を冷やした。大原さん、LIИEにも出んかったけえ。」
うんと言い、美邦はうつむく。
「ごめんね。ちょっと色々あって、体調を崩したみたい。学校を休んだのもそれ。由香が亡くなったこととは関係ないよ。私も、お昼に初めて知ったし。」
「それか。」
――そうではない。
嘘を吐くのも、嘘を信じられるのも後ろめたい。冬樹に対しては特にそう感じた。大切にすべき仲間に隠し事をしているような――そんな感じがする。
本当は見たのだ。見るはずのない現実を。
――一か月前にも見たものを。
不審死との関係性は分からない。
――神社について調べなければ。
生前、由香の言っていた言葉を思い出す。
「神社って、愉しい場所なのかな?」
不思議そうな顔が現れた。
「俺は行って愉しいが――」
「由香ね、言ってた――もし神社が今でもあったら、お祭りとか初詣とか、愉しそうなの色々あったって。お祭り――普通は愉しいものだよね。」
悲しげに眉が歪む。
「ああ――愉しいものだな、普通は。」
神社と祭を大原家は司っていた。
それも長い時間――両親や祖父母や遠い祖先から。皇室と肩を竝べるほど古い家系だという。その最後の生き残りが美邦なのだ。
由香のためにお祭りをしたいと言った
直後、言い間違いに気づいて首を振る。
「もし神社が今もあったら、由香や、みんなが愉しむお祭りをしたかったよ。」
*
渡辺家に着いた――他人の家に。
紅い布の前で詠歌が塩をかけてくれる。
「大変だったね。よりによって、お葬式が続いちゃって。」
「ええ――」
相変わらず会話が続かない。
叔母が何を考えているのか分からない。親切にされるのも居心地が悪かった。
先日――。
由香が亡くなった翌日――昼頃に美邦は目を覚ました。
家にいたのは詠歌だけだ。
暴力を振るったにも拘わらず、腫れ物に触れるように優しくしてくれていた。
そして、何が起きたか真摯に耳を傾けてくれたのである。否定したり、怒ったりすることはなかった――それこそ、先日の態度を振り返れば不気味なくらい。
少しして、由香の訃報が正式に伝わった。
家に這入り靴を脱ぐ。
見計らうように詠歌が声をかけた。
「スクールカウンセラーの先生、木曜日に来るって。とりあえず、お昼に予約しといた。」
引き戸の格子に目をやる。
「ええ。」
異常な行動を自分は起こした。
本来なら、心療内科に診せるべきなのだろう。しかし詠歌は乗り気でなかった――まるで強い偏見があるかのように。
美邦自身も後ろ向きだ。そう言うと詠歌は喜んだ。なので、そう言うのならと妥協的な案が採られたのだ。
「先生に話してみないよ。本当は、お医者さんにかかるのが一番ええだらぁけど――それが難しいなら。」
「分かりました。」
気のない返事が気に障ったのか、詠歌の顔が少し翳る。
「じゃあ、あとは休んで。」




