第三十二話〜奸計誅す〜
寛和二年六月二十三日、丑の刻。
「……もう行ったかな、兄さん?」
「音からして、もう出ただろうな。俺らも行くぞ」
「? 確か『門を出てから』って……」
「馬鹿野郎お前、こういうのはな、早けりゃいいもんよ」
清涼殿の朝餉間で、息を潜めて聞き耳を立てていた2人組がいた。片方は兄の藤原道隆、もう片方は弟の藤原道綱である。
2人が夜の御殿へ滑り込めば、燈は常の如く室内を明るく照らしていた。
「ブツはその壁代の……あったあった、こっちの厨子だ」
「……ねえ兄さん、なんか見られてる気がするよ。もしバレたら……」
「喧しい。そん時ゃ親父の責任よ……それっ」
不安がる道綱の声を一蹴し、目的の厨子を選ぶ。彼らの目的は箱などではなく、二つあるうちの片方の中に収納されているはずの物である。
「……何もねえじゃねぇか! おい道綱、どうなってんだ!?」
「僕に聞かれても知らないよ! もう片方じゃないの!?」
「ンな訳あるか! 確かにこっちに……」
前情報では確かにそこにあった、だがよりにもよってこのタイミングでそこに無い。父親の意を汲み企図する通りに動こうとする2人からすれば、これは由々しき問題であった。もう片方も開いてみたが、当然入っていない。
「クソッ! 一体どこに……」
《お探しのものは、もうそこにはありませんよ》
「!? この声は……!」
ここでこの私、参議 兼 検非違使別当義憲が華麗な登場だ!
*>────<*
「備前介殿に東宮権大夫様、こんな夜更けに如何なさったので?」
「義憲、貴様……!」
「まさか、主上の神器を東宮殿下にお渡しするおつもりですか?」
「ッ──ああそうだよ! 主上は出家なされた! なら神器も移って当然だろうが!」
「ちょっ、兄さん! それ言っちゃバレるでしょ!?」
「うるせぇ! ここに無いってことはとっくにバレてんだよ!」
兄弟間の言い争い。弟は飽くまでも計画の遂行を考えて誤魔化すことを提案しているが、兄は既に計画の露見を見抜いているらしい。流石は兼家の長兄と言うべきか。
「なるほど、それで神器を探していたと。ですが、この時間ではまだ朔平門も出ておられないのでは?」
「へっ、今から追おうったって遅いぞ。大内裏から元慶寺まではな、親父の計らいで満仲の武士団が護衛する手筈だ。いくら帝ったって、出家すりゃ譲位しかねえよなぁ?」
「ふむ、それも一理ありますな。どう思われますか、陛下?」
「なッ!?」
藤壺上御局から、神璽宝剣を携えた花山帝本人が姿を表す。帝に近侍するのは、関白藤原頼忠と外戚にして権中納言藤原義懐である。本来仲の悪いこの2人を纏めるのは骨が折れたが、その苦労に見合った効果を期待しよう。
「全て右大臣の策謀とは、朕も随分と舐められたものよ。関白、義懐、汝等はどうだ?」
2人とも「然り」と言って首肯する。さしもの兼家がバックに付いていようと、朝廷の三大勢力が認めてしまえばその権勢は意味を失う。
「じゃあ、道兼が連れて行ったのは──」
「検非違使庁の職員に偶然顔立ちが似通った者がおりましてね、影武者になってもらいました。今頃は道兼捕縛に動いているでしょう」
「……なんだ、全部知ってたってか」
「もちろん。……陛下、真相究明のためには、満仲と兼家も追捕せねばなりません。御決断を」
「許可する。両名を追捕せよ」
「御意。道隆様に道綱殿、お二方も私に従って頂きます。真相が解明され次第、適切な処罰が下るでしょう」
見るからに縮こまって平伏している道綱、渋々ながらも膝を折る道隆。間も無く道兼も連れてこられ、放免達に連行されていった。
*>────<*
満仲から遣わされた伝令による報告は、遽には信じ難い内容だった。
「──失敗だと! 何故だ!?」
「分かりません! が、しかし、道兼様が一向に出て来ず、内裏が騒がしいところから失敗したものと……」
「判断基準はどうだっていい! ああクソ、関わる書類は全部焼き捨てろ! 全部だ! 後は──」
「そこまでです、右大臣様。大人しく捕まって頂けると有り難いのですが」
「……遅かったか」
兼通め、死んでも己を排斥したいか。いつまでも憎い奴よ。しかし、まさか検非違使どもを寄越すとは……
検非違使の指示する声がするが、くぐもったようにしか聞こえない。今度こそ己は終わりだ。次は治部卿では済まないだろう、もし己が裁く立場なら間違いなく配流か大宰府送りだ。
ああ恨めしい、後一歩で全てが手に入ったのに。




