テレビでっか!!
「乗れ」
「これにですか?」
「ああ」
レイジは改めて、部屋の中央にある転移陣を見た。
石造りの円形の台座。その表面には複雑な術式が刻まれ、周囲にはいくつもの魔石が埋め込まれている。
一年暮らした家にこんなものがあった。しかも、グレイスの錬金ギルドに繋がっているらしい。
「これ、普通に使えるんですよね?」
「使えないものを置いてどうする」
「いや、そうなんですけど」
この家に関しては、もう何が普通なのか分からない。
エレノアが先に台座へ乗る。レイジも荷物を持ったまま、その隣へ立った。
「少し眩しいぞ」
「先に言ってくださいよ」
言い終わる前に、足元の魔石が光った。台座に刻まれた術式へ沿って光が走り、円を描いて一気に中央へ集まる。
眩しい。
反射的に目を閉じた。身体が浮いたような感覚が、一瞬だけあった。
「着いたぞ」
「……え?」
目を開ける。
部屋だった。
先ほどまでいた部屋ではない。
まず目に入ったのは、大きな机だった。濃い色の木材で作られた重厚なもので、その向こうには壁一面の本棚がある。床には厚い絨毯が敷かれ、調度品も見るからに立派だった。
振り返ると、背後には先ほどとよく似た転移陣がある。
「……もう着いたんですか?」
「ああ」
「グレイスに?」
「そう言っただろう」
早い。
馬車ならどれくらいかかるのか知らないが、少なくとも一瞬で移動できる距離ではないはずだ。初めての街への外出。少しくらい旅らしいものを想像していた。
なかった。
「相変わらず突然ですね」
低い声が聞こえた。
レイジはそちらを見る。
大きな男が立っていた。
いや、大きい。
レイジが今十三歳の身体だから、余計にそう感じるのかもしれない。それを差し引いても大きかった。二メートル近くありそうな身体を黒い服で包み、肩幅も広い。
白の混じった髪を後ろへ撫でつけ、口元には整えられた髭。右目にはモノクルが掛かっている。その反対側、左目の近くには縦に一本の傷が走っていた。
怖い。
少なくとも、初対面の子供が気軽に話しかけられる見た目ではない。
その男がエレノアを見る。
「これはエレノアさん。お久しぶりです」
丁寧だった。
「久しぶりだな、ヴィルツ」
「今日はどうされました?」
ヴィルツと呼ばれた男の視線がレイジへ向いた。
鋭い。何もしていないのに怒られそうな気がする。
「そちらの少年は?」
「弟子だ」
一瞬、ヴィルツの目がわずかに開いた。
「お弟子さん、ですか」
「ああ」
レイジは軽く頭を下げる。
「レイジです。よろしくお願いします」
「これは失礼しました。ヴィルツ・グレイモアです。よろしくお願いします、レイジ君」
「……よろしくお願いします」
やっぱり丁寧だった。
見た目は怖いが、元々こういう人なのかもしれない。
「それで、今日は?」
「例のイステンデットの件を調べに来た」
「ああ、あの鉱石ですか」
話が早い。
ヴィルツは少し考える様子を見せたあと、すぐに頷いた。
「分かりました。先方へ連絡を入れておきます。少々お待ちください」
「頼む」
ヴィルツは机の方へ向かった。その上に置かれていたものを見て、レイジは首を傾げる。
通信機だ。
エレノアの家にもあるので、使い方は知っている。
ただ。
(……でかくないか?)
机の上で、それなりの場所を取っている。
ヴィルツは通信機を操作すると、受話器を手に取った。
「グレイス錬金ギルドのヴィルツ・グレイモアだ。イステンデット物流へ繋いでくれ」
レイジはその様子を眺め、それからちらりと自分の左腕の魔道具を見た。
もう一度、机の上の通信機を見る。
「……」
まあ、いいか。
ヴィルツは二言三言やり取りをすると、受話器を戻した。
「話は通りました。第五倉庫の担当者が対応するそうです」
「そうか」
「場所はご存じですか?」
「ああ」
「でしたら問題ありません。先方にも、これから向かわれると伝えてあります」
「助かる」
早い。
新聞を読んで家を出て、転移して、数分で事件現場へ入る話がついた。
営業を十五年もやっていたレイジとしては、こういう話が異様に早く進むときには、だいたい理由があることを知っている。
だが、その理由が分からない。
ヴィルツを見る。
怖そうだが、丁寧な人。
エレノアを見る。
いつもの師匠。
分からない。
「行くぞ、レイジ」
「あ、はい」
考えるのは後にした。
ヴィルツに礼を言い、エレノアについて部屋を出る。廊下を歩き、階段を下りる。揃いの服を着た者もいれば、ローブ姿の者もいる。腰に道具を提げている者、紙の束を抱えて歩いている者ともすれ違った。
やがて大きな扉を抜ける。
外へ出た。
「……おお」
思わず声が出た。
街だった。
当たり前だ。グレイスへ来たのだから、街があるに決まっている。
だが、レイジにとっては初めてだった。
この世界へ来て一年。知っている景色は、ほとんどが魔の森とエレノアの屋敷だけだ。
新聞で街の名前は知っている。本を読めば、この国にどんな都市があるのかも分かる。ラグネルの試合結果も、企業の新商品も、王都の出来事も知っている。
だが、知っているだけだった。
目の前には人がいる。
多い。
石造りや木造の建物が道の両側に並び、一階部分を店にしている建物も多かった。荷車が行き交い、大きな荷物を抱えた男たちが歩いている。大通りの先には巨大な倉庫らしい建物も見えた。
鉱山都市。物流の街。
本で読んだ言葉が、ようやく実物になった気がした。
そのとき、見慣れない乗り物がレイジの前を横切った。
馬はいない。それなのに、四つの車輪をつけた小さな車体が石畳の上を走っている。
「あれ、自走車ですよね?」
「ああ」
レイジは通り過ぎていく車体を目で追った。
存在自体は知っていた。新聞の広告でも見たし、交通事故の記事を読んだこともある。ただ、本物を見るのは初めてだ。
「思ったより小さいな……」
前世の自動車を無意識に想像していたせいだろう。実物はそれよりずっと小さく、街中を走るための乗り物といった印象だった。
その横を、荷物を積んだ馬車が通っていく。
馬のいない小さな自走車と、大きな荷を運ぶ馬車。どちらも同じ道を普通に走っていた。
新聞の中にしかなかったものが、目の前では日常の風景になっている。
初めて異世界へ来たという実感が、一年遅れでやってきたような気がした。
「師匠」
「なんだ」
レイジの足が止まった。
「あれ」
道沿いに出店があった。
煙が上がっている。その下で、大きな肉の塊が串に刺され、焼かれていた。
香ばしい匂いがする。
看板には大きく文字が書かれていた。
天然スノーブル串焼き。
「……あの串焼き食べたいです!」
「よし。食うか」
即答だった。
エレノアも食いたかったらしい。
二人で店へ向かう。近づくほど匂いが強くなる。
串に刺さっている肉は、レイジの知る焼き鳥などとは比較にならないほど大きかった。肉塊と言った方が近い。
店の奥では男が次々と肉を焼いている。その後ろにある調理設備を見て、レイジは少し気になった。
大きい。
火を扱っているらしい設備だけでも、エレノア邸の調理台よりかなり場所を取っている。
「お店だからか、大掛かりなキッチンですね」
「店は関係ないだろう。普通はだいたいこんなものだ」
「え?」
レイジはもう一度、店の奥を見る。
「でも、家のはもっとコンパクトですよ」
「あれはでかいと不便だからな。私が改造した」
「……また改造してるんですか」
「使いやすい方がいいだろう」
間違ってはいない。ただ、この人は本当に何でも自分仕様にする。
串焼きを二本買う。
受け取ったそれは、近くで見るとさらに大きかった。
「うまそうだな」
「ですね」
エレノアが先にかぶりつく。レイジも続いた。
「うまっ」
噛むと肉汁が溢れる。何より、肉そのものの味が強かった。
「これがスノーブルか」
「天然は久しぶりだな」
「天然?」
レイジは看板を見る。
確かに書いてある。
天然スノーブル。
「わざわざ天然って書いてあるってことは、天然じゃないのもあるんですか?」
「あるぞ。養殖と錬金だ」
「錬金?」
聞き覚えのない使われ方だった。
「錬金肉だ。別の肉を、スノーブルと同じ性質構成に変えたものだな」
「そんなことできるんですか?」
「何を一年も勉強していた」
「いや、できますけど」
性質を抜けば、物質は変わる。性質を加えても変わる。それ自体は、レイジも何度も経験している。
「じゃあ、錬金肉って偽物みたいなものです?」
「同じ性質を同じLvまで揃えれば、物質としては同じだ。味も変わらん」
「じゃあ天然の意味ないじゃないですか」
「天然は天然だ」
「……?」
よく分からない。
「希少なものや、その土地で獲れたものを食いたい奴はいる。私もそうだ」
「なるほど」
言われてみれば、前世にも似たようなものはいくらでもあった。
天然。産地限定。本日入荷。
同じ味だと言われても、そう書かれている方を食べたくなる気持ちは分かる。
レイジは串焼きをもう一口食べ、ふと止まった。
錬金肉。
別の肉を、同じ性質構成へ変える。
「……じゃあ」
「なんだ」
「昨日まで俺が食ってたキノコスープ。あれも錬金野菜ってことですか?」
ヒカリダケから《発光》を抜いた。残ったのはタケノキノコ。普通に食べられるから、スープにした。
「ああ。そうなるな」
「俺、普通に錬金食品作ってたんだ……」
「食っただろう」
「食いましたけど」
エレノアが串焼きを食べながら、レイジを見る。
「それにしても、まだそんなことも知らんとはな」
「習ってませんからね」
「そうだったか?」
「そうですよ」
「なら帰ったら食品錬金術の資料を勉強させてやろう」
「げえ……」
余計なことを聞いたかもしれない。
串焼きを食べながら、再び歩く。一本でもかなり腹に溜まる。満足だった。
「グレイス、いい街ですね」
「串一本で決めるな」
「食べ物は重要ですよ」
「それはそうだな」
そこは否定しないらしい。
道を曲がった。
そしてレイジは、また足を止めた。
「……でか」
建物があった。
いや、建物と呼んでいいのか迷うほど巨大だった。
高い外壁が長く続き、その向こうにはさらに大きな構造物が見える。周囲には大勢の人が行き交い、壁には巨大な文字が掲げられていた。
《イステンデット・ラグネルスタジアム》
「これが……」
名前は知っている。
ラグネル。この国で最も人気のある競技。新聞でも頻繁に記事を見かける。
だが。
「こんなでかいんですか?」
「グレイスでは大きい方だな」
「これで大きい方……」
新聞の試合結果だけでは分からなかった。国民的な娯楽。その言葉の意味が、建物の大きさだけで伝わってくる。
レイジは看板を見る。
そこで一つ気になった。
「イステンデット流通って、ラグネルのチームまで持ってるんですか?」
今回の事件で名前を見た会社だ。
「いや。グレイスのチームの本拠地だ」
「じゃあ、なんでイステンデット?」
「宣伝のためらしい。巨額の資金と引き換えにな」
「……なるほど」
レイジはもう一度、巨大な文字を見る。
どうやらこの世界には、ネーミングライツの概念まであるらしい。
石造りの街。魔物素材を積んだ荷車。錬金術。その中に、やたら現代的な企業活動が混ざっている。
どういう発展の仕方をしたんだ、この世界。
さらに歩く。
スタジアムを離れ、少し開けた場所へ出た。公園のようだった。何人もの人が同じ方向を見ている。
何だろう。
レイジもそちらを見た。
巨大な映像の中で、人が動いていた。
「テレビでっか!!」
思わず声が出た。周囲の何人かがこちらを見る。
エレノアも見た。
「てれびとはなんだ」
「いえ、何でもないです」
忘れていた。この世界にテレビという言葉はない。
改めて見上げる。
巨大な板のような映像受信機が、公園の一角に立っている。
大きい。
エレノア邸にあるものとは比較にならない。というより、建造物に近い。
「映像受信機なら家にもあるだろう」
「ありますけど、こんな大きくないですよ」
「一人で見るものをこんな大きさにしてどうする」
「普通はどっちなんです?」
「こっちだ」
即答だった。
レイジは巨大な映像受信機を見る。もう一度、エレノアを見る。
「じゃあ、家のは?」
「邪魔だから小さくした」
「……」
レイジは一年間を思い返した。
冷たいまま食材を保存できる保存庫。火を使わない調理設備。自動で湯が張られる風呂。洗濯と乾燥。勝手に点く照明。
一年暮らして、それがこの世界では普通なのだと思っていた。
今日、初めて街へ出た。
机の上に置かれた通信機は、左腕の魔道具よりずっと大きかった。店の調理設備も家より大きかった。映像受信機に至っては、建造物みたいな大きさだった。
つまり。
(……この世界が便利すぎるんじゃない)
レイジは隣を歩くエレノアを見る。
(師匠の家がおかしいんだ)
一年越しに、ようやく気づいた。
「何だ?」
「いえ」
今さらだった。
大型映像受信機のある公園を抜けると、人通りが少しずつ変わっていった。観光客や買い物客らしい姿が減り、代わりに荷物を運ぶ者や大きな荷車が増える。
建物も変わる。
店ではない。巨大な倉庫が並んでいた。
「この辺りだ」
エレノアが言った。
その先には、いくつもの大きな建物が並ぶ広い敷地がある。入口には看板が掲げられていた。
《イステンデット物流 グレイス倉庫群》
「ここですか」
「ああ」
入口へ近づくと、誰かが立っていた。
若い女性だった。
肩まで伸びたオレンジ色の髪。顔には大きな丸眼鏡を掛けている。手には何枚かの書類を抱えていた。
こちらに気づくと、女性は姿勢を正してエレノアへ歩み寄った。
「エレノアさんですね? お待ちしていました」
「そうだ」
女性はレイジにも軽く頭を下げた。
「イステンデット物流、グレイス第五倉庫管理者のノエル・エヴァンスです。本日はよろしくお願いします」
落ち着いた声だった。
若いが、しっかりしていそうな人だ。
レイジも頭を下げる。
「レイジです。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします、レイジ君」
ノエルはそう言って、二人の後ろに広がる倉庫群へ視線を向けた。
「問題の鉱石は、第五倉庫にあります」
新聞で三日間追いかけていた事件。
その現場が、ようやく目の前にあった。




