錬金術って、結構面白いですね
翌朝。朝食を終えたレイジが研究室へ入ると、机の上には昨日までなかったものが並べられていた。
石。木片。葉。何かの骨。小瓶に入った液体。それから、どう見ても何かの生き物から抜いてきたとしか思えない牙。
ようやく錬金術らしくなってきた。
昨日は三歳児向けの本を読まされ、算術やら歴史やらを調べられた。必要なのは分かるが、錬金術師になると決めた翌日にやることとしては、いまいち実感がなかったのだ。その点、今日の机の上は分かりやすい。
「来たか」
エレノアは机の向こうに立っていた。
「今日から錬金術を教える」
「はい」
思わず返事が少し早くなった。
エレノアはそんなレイジを気にする様子もなく、机の上に置かれた牙を一本手に取った。
「まず、錬金術には五つの体系がある。《識別》《抽出》《精製》《付与》《発現》。現在使われている錬金術は、基本的にこの五つで成り立っている」
聞き覚えのある言葉が一つだけあった。
《識別》。
自分がこの世界の人間ではないと師匠に知られた、あれだ。
「あの、俺に使ったのも《識別》ですか?」
「ああ。似たようなものだ」
「なるほど」
それなら、何をするものなのか少しは想像できる。
「今日は《識別》から始める」
「分かりました。それで、《識別》って具体的には何をするんです?」
エレノアは答えず、手にしていた牙をレイジの前へ置いた。
「《識別》しろ」
「はい?」
「それを《識別》しろ」
「いや、やり方とか理論とかは?」
「今のお前に教えても仕方ない」
ひどいことを言われた。
「昨日分かっただろう。お前はルヴェリアの一般教養が壊滅している。理論を一から説明しても、前提になる知識が足りん」
それはそうなのかもしれない。三歳児向けの本から始めさせられた身としては反論しづらい。
「まずは感覚で覚えろ」
「感覚で」
「ああ。対象を見て、その中に何があるのか探る。それだけだ」
「それだけって……」
「お前の才能なら多分できる」
ずいぶん雑な授業だった。
とはいえ、師匠は自分の身体を調べて、錬金術の才能があると言っていた。その師匠ができると言うのなら、何か根拠はあるのだろう。
レイジは目の前の牙を手に取った。白く、少し黄ばんでいる。長さは指一本分ほど。先端は鋭く、根元には黒ずんだ汚れのようなものが残っていた。
「これ、何の牙です?」
「ゴブリンだ」
ゴブリン。
ようやく異世界らしい名前が出てきた。少し感動した。
「集中しろ」
「はい」
怒られた。
レイジは牙を見つめた。
中に何があるのか探る。
言われた通りにやってみるが、当然ながら最初は何も分からない。ただの牙だ。硬そうではある。
そんなことを考えながら意識を向け続けていると、不意に妙な感覚があった。
見えているわけではない。文字が浮かんだわけでもない。それなのに、なぜか分かる。
牙の中に、自分の知らない何かがある。
そこへ意識を向けた。
《硬質 Lv.2》
《毒 Lv.1》
「……あ」
「どうした」
「なんか、分かりました」
「言ってみろ」
「《硬質 Lv.2》と《毒 Lv.1》」
エレノアが小さく頷いた。
「ふむ。その程度か。まあ上出来だ」
できちゃったよ。
もう少し苦労するものだと思っていた。
「これで成功なんですか?」
「ああ。ただし、お前が見えているのはその二つだけだ」
「他にもあるんですか?」
「当然だ」
エレノアはレイジから牙を受け取った。
「同じものを私が《識別》すれば、八十一種すべての性質が見える」
「八十一?」
思わず聞き返した。自分には二つしか分からなかった。
「見える性質は錬金術師の技量によって異なる。《識別》の練度が上がれば、より細かな性質まで認識できるようになる。素材によって性質の数も違うし、同じ性質でも――」
急に説明が増えた。
最初に理論を教えても仕方ないと言っていた気がする。もっとも、一度実際に使った後だからなのか、話している内容は意外と頭に入ってきた。
それから《識別》の授業は昼まで続いた。
昼食を終えると、午後の授業まではしばらく休憩になった。
レイジは居間の椅子に腰掛け、息を吐いた。身体を動かしたわけでもないのに、頭の奥が妙に重い。初めて使った錬金術のせいなのか、それとも師匠の話を何時間も聞いていたせいなのかは分からない。
向かいでは、エレノアが紙面を広げていた。
昨日も見た新聞だった。
朝食の後や休憩中になると、師匠はよくこれを読んでいる。
そういえば、この世界のことをほとんど知らない。昨日、王歴一〇一五年だと教えられたくらいだ。自分が住んでいる国の名前すら、教養書を読むまで知らなかった。
これから十年暮らすのだ。
錬金術だけ知っていればいいというものでもないだろう。
「師匠」
「なんだ」
「それ、読み終わったら貸してもらえます?」
エレノアが新聞から目を上げた。
「いいだろう。ただし、分からないところは聞け」
「はい」
しばらくして渡された新聞を広げる。
《王立新聞》。
名前からして堅そうだったが、中身は思っていたより普通だった。
王都で官僚と王家の間に何やら揉め事が起きている。知らない企業が新商品を発売する。港町では観光客向けの催しが開かれるらしい。食べ物の記事もある。そして、スポーツらしきものまで載っていた。
知らない地名も、知らない会社も、知らない言葉も多い。
それでも、不思議と少し安心した。
剣と魔法の世界に放り込まれたと思っていたが、ここにも政治があって、会社があって、商品が売られて、人が遊びに出かける。
当たり前だ。
異世界だろうが、人が暮らしているのだから。
「師匠。このラグネルって何です?」
「競技だ」
「人気なんですか?」
「国で一番人気がある」
へえ。
記事には次の試合がどうとか、選手がどうとか書かれている。ルールまではよく分からない。
「面白いんです?」
「私はそれほど興味がない」
「そうですか」
なら聞いても仕方ない。
レイジはそのまま紙面へ目を戻した。
分からないことだらけだった。
だが、昨日教養書を読んでいたときとは少し違う。覚えろと言われて読むのではない。自分がこれから暮らしていく場所のことを、自分で知りたいと思って読んでいる。
新聞を読み終えるころには、休憩時間も終わっていた。
午後。
再び研究室へ入ると、午前中に使ったものと同じゴブリンの牙が二本、机の上に置かれていた。その隣には、小さな器もある。
「午後は《抽出》だ」
「はい」
「《抽出》は、《識別》した素材が持つ性質から一つを選び、取り出す技術だ」
エレノアは一本の牙を指した。
「午前中に《硬質》と《毒》が見えただろう」
「はい」
「どちらでもいい。選んで抜け」
またそれだけだった。
「やっぱり感覚で?」
「まずはな」
どうやらこの師匠、本当に最初はやらせてみる方針らしい。
レイジは牙を手に取った。午前中に何度も《識別》したおかげで、《硬質 Lv.2》と《毒 Lv.1》はすぐに分かる。
「じゃあ、《硬質》からやります」
「そうか」
エレノアは一度、机の上の器を見た。
「《硬質》を抽出する前に、器へ入れておいた方がいいぞ」
「?」
なぜ牙を器に入れる必要があるのだろう。
レイジは牙を机の上へ置いたまま、その中にある《硬質 Lv.2》へ意識を集中させた。
午前中の《識別》とは違う。
見つけるのではなく、掴む。そして、それだけを外へ引き出す。
そんな感覚だった。
一瞬、指先に抵抗のようなものを感じた。
次の瞬間、小さな結晶が机の上へ転がった。
「おお」
透明に近い、小さな結晶。
手に取ると、これもまたなぜか分かる。
《硬質 Lv.2》。
本当に取り出せた。
思わず結晶へ目を奪われた、そのときだった。
びしゃっ。
「……え?」
紫色がかった、どろりとした液体が机の上へ広がった。
さっきまでそこにあったはずのゴブリンの牙がない。
「ええ……」
「だから言っただろう」
エレノアは平然としていた。
「器へ入れておいた方がいいと」
「いや、牙が液体になるなんて思わないでしょう」
「《硬質》を抜いたんだから当然だろう」
当然ではない。
少なくとも俺の知っている常識では。
「これ、何なんです?」
「ポイズンスライムの体液だ」
「ゴブリンの牙だったんですよね?」
「ああ」
「硬さを抜いたらポイズンスライムになるんですか?」
「いや。生きた魔物にはならん。だが、ポイズンスライムの体液にはなる」
「……どういうことです?」
エレノアは机の上に広がった液体を指した。
「《抽出》で性質を取り出せば、元素材はその性質を失う。残った性質の構成が別の物質と一致すれば、その物質へ変わる」
「つまり……ゴブリンの牙から《硬質》を抜いた残りが、ポイズンスライムの体液と同じだった?」
「そういうことだ」
簡単に言う。
牙から性質を一つ抜いただけで、液体になった。
錬金術。
思っていたより、とんでもないことをしているのかもしれない。
「次だ」
エレノアは汚れた机を気にすることもなく、もう一本の牙を差し出した。
「今度は《毒》を抜け」
「……器に入れます?」
「好きにしろ」
入れておくことにした。
レイジは小さな器へ牙を入れ、《識別》する。
《硬質 Lv.2》。
《毒 Lv.1》。
今度は《毒 Lv.1》だけに意識を集中した。
掴んで、引き出す。
先ほどより少しだけやりやすい。
やがて、もう一つの小さな結晶が器の中へ落ちた。
《毒 Lv.1》。
そして、残った牙が形を変えた。
鋭く尖っていた先端が丸みを帯び、全体が少し幅広くなっていく。色合いも変わり、先ほどまでの鋭い牙とは明らかに形が違っていた。
それでも、牙であることには変わりない。
「……今度は牙のままですね」
「メリーゴートの牙だ」
「メリーゴート?」
「家畜だ。草を食う」
レイジは器の中の牙を見る。
ゴブリンの牙から毒を抜いたら、草食の家畜の牙になった。
さっきより変化は地味なのに、やはりおかしい。
「これも、残った性質が?」
「ああ。メリーゴートの牙と一致した」
エレノアにとっては、それも当たり前の話らしい。
レイジは二つの性質結晶を眺めた。
片方は《硬質》。
片方は《毒》。
どちらも、ついさっきまでゴブリンの牙の中にあったものだ。それを取り出しただけで、片方は液体になり、もう片方は別の生き物の牙になった。
錬金術師になると決めた理由は単純だった。
才能があると言われた。食っていけると言われた。十年間、衣食住まで保証してくれると言われた。
なら、やらない理由がなかった。
それだけだった。
だが。
「師匠」
「なんだ」
「錬金術って、結構面白いですね」
エレノアが一瞬だけ目を丸くした。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「だろう?」
その顔は、昨日フィールドワークについて話していたときとよく似ていた。
どうやら十年間というのは、思っていたより退屈せずに済みそうだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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