僕で試します
翌日。
俺は師匠と一緒に、セレスティア王都研究棟の受付に立っていた。
「ご予約はございますか?」
「ない」
「師匠」
「なんだ?」
「普通は予約するんですよ」
「そうなのか?」
十年一緒に暮らしてきたが、こういう部分は何も変わらない。
受付の女性が困ったように俺と師匠を見比べる。
「ええと……どなたにご用でしょうか?」
「ルーク・レイフォードだ」
師匠が答えると、受付の女性の表情が少し変わった。
「レイフォード様ですか。お名前を伺っても?」
「エレノアだ」
「レイジ・クゼです」
受付の女性は俺たちの名前を書き留め、奥へ引っ込んでいった。
「これで会えなかったらどうするんですか?」
「帰る」
「そのために王都まで来たんですけどね」
「また来ればいいだろう」
師匠にとってはその程度らしい。
しばらく待っていると、先ほどの女性が戻ってきた。
「お待たせしました。レイフォード様から、お二人でしたらお通しするようにと」
「ありがとうございます」
案内された研究室へ向かう。扉を開けると、見覚えのある銀髪がこちらを向いた。
「エレノアさん、レイジ君。お久しぶりです」
「久しぶりです」
「そうだな」
白いスーツ姿のルークは以前と変わらない。その向かいでは、赤い髪の女性が机の上に広げていた資料から顔を上げた。
「レイジ君?」
「オルビア先生。お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりです。今日はどうされたんですか?」
医療錬金術の研究が終わって以来だから、オルビアと会うのも久しぶりだ。ルークとはその後も何度か会っているが、オルビアとは研究が終わってからほとんど接点がなかった。
「俺も詳しくは。師匠がルークに話があるって」
「私にですか?」
ルークが師匠を見る。
「そうだ」
師匠は空いていた椅子を引いて座った。俺もその隣に座る。オルビアも何かを察したのか、資料を閉じた。
「生きた人間を《識別》したそうだな」
「はい。号外にまでなるとは思っていませんでしたが」
「見せてもらいました。私も確認しています」
オルビアが続ける。やはり研究には関わっているらしい。
「どこまで分かっている?」
師匠が聞いた。
ルークは少し考えてから答える。
「少なくとも、人間も錬金術の《識別》対象になり得ることは分かりました。これまで物質へ使っていたものと、原理そのものは変わらないと思っています」
「その先は?」
「……《識別》ができるのであれば、他の体系も使える可能性はあると考えています」
師匠が小さくうなずいた。
「そうか」
驚いた様子はない。むしろ、そこまで考えていることを確認したように見えた。
「その可能性はある」
「試したことが?」
「ある」
ルークの表情が変わった。
「ただし、物質と同じつもりで扱うな。昨日、レイジに私を《識別》させた」
ルークとオルビアの視線が俺へ向く。
「できました」
「何が見えたんですか?」
「色々です。ただ……」
俺が言葉を選んでいると、師匠が代わりに答えた。
「魂だ」
研究室が静かになった。ルークの目がわずかに見開かれる。
「魂……ですか」
「そうだ。少なくとも《識別》には、魂と表示される性質が観測された」
師匠はそれ以上説明しなかった。ルークも聞かず、しばらく黙ったまま何かを考えている。
人間に性質がある。その中には魂まで含まれている。錬金術師なら、そこまで聞けばその先に何があるかは分かる。
「……《抽出》も、《精製》もできる可能性がある」
師匠は答えない。
「《付与》も。《発現》も……」
「そうだ」
それだけだった。
ルークが口を閉じると、オルビアが腕を組んだ。
「つまり、レイフォード先生が発見したものは、患者の体内を観察できる新しい方法というだけではないんですね」
「そういうことだ」
「人間そのものを錬金術の対象にできる可能性がある」
「そうだ」
昨日の研究室を思い出す。性質を抜けば、残った性質で物質は作り直される。性質を加えれば、物質そのものが変わることもある。
それを人間にやったらどうなるのか。
俺にも分からない。師匠にも、まだ分からない。
「でも、《識別》だけなら危険はないんですよね?」
三人の視線が集まる。俺は師匠を見た。
「昨日、そう言ってましたよね。《識別》は見るだけで、対象には何も起きないって」
「そうだ。《識別》そのものが対象を変化させることはない」
「なら、そこは分けて考えるべきです」
オルビアの声が変わった。医者の顔になっている。
「私は実際にレイフォード先生の《識別》を見ています。これまで私たちが外から推測するしかなかったものを、直接確認できる可能性がある」
以前、ここで医療錬金術を研究していた頃のことを思い出す。あの時は、錬金術で作ったものが患者の体内でどう働くのかを正確に把握できなかった。同じ処置をしても人によって結果が違う。錬金術として成功していても、医療として成功するとは限らなかった。
「生命は医者、性質は錬金術師」
以前、師匠から教わった言葉を口にすると、オルビアがうなずいた。
「ええ。あの研究では、それが限界でもありました。私たちは生命を診ることはできます。ですが、錬金術師が扱う性質を患者の中で直接確認することはできなかった」
「生命《識別》なら、それができるかもしれない」
「そうです。少なくとも《識別》については、医療を大きく変える可能性があります」
師匠は否定しなかった。
「そうだな」
それだけだった。
危険だから使うなとは言わない。昨日の話を聞いた俺には、その理由も分かる気がした。師匠は研究を止めるためにここへ来たわけではない。知らないまま先へ進ませないために来たのだ。
しばらく黙っていたルークが口を開いた。
「エレノアさん」
「なんだ?」
「教えていただいて、ありがとうございます」
ルークはいつもの穏やかな表情だった。
「正直に言えば、そこまで考えられていませんでした。《識別》が成功した以上、他の体系にも応用できるのではないかとは考えていました。ただ、その結果が何を意味するのかまでは」
「そうか」
「それでも、進めるところまでは進みたいと思っています」
オルビアがルークを見る。師匠は何も言わない。
俺も驚きはしなかった。ルークなら、そう言う気がしていた。こいつは昔から研究が好きだ。十五歳で論文を書いていた頃から変わっていない。分からないことがあれば調べる。確かめられることがあれば確かめる。
ただ、今回は対象が人間になった。
「《識別》については、私も研究を続ける価値があると思います」
オルビアが言った。
「ですが、それより先は別です。《抽出》や《精製》、《付与》《発現》を人間に試すことには賛成できません」
「はい」
「患者に使うことは認められません」
「もちろんです」
「では、どうやって研究するつもりですか?」
「僕で試します」
あまりにも普通に言ったので、一瞬意味が分からなかった。オルビアも同じだったらしい。
「……はい?」
「僕自身なら、患者を危険に晒すことはありません」
「そういう問題ではありません。レイフォード先生。あなたも人間です」
「はい」
「はい、ではありません」
久しぶりに聞いた気がする。この二人、そういえばこんな感じだった。
ルークは困ったように笑うと、右手を上げた。
「実は昨日、資料を読んでいたら紙の端で指を切ってしまいまして。いやあ、お恥ずかしい」
人差し指の先に、本当に小さな傷があった。
「これに【治癒Lv.1】を《付与》してみようと思っています」
「思っています、ではありません」
「傷も浅いですし、何もしなくても治る程度です。事前に生命《識別》を行って、術式後にも確認する。僕自身が術者ですから、錬金術的な異常があれば分かります。もちろんオルビア先生にも診ていただきます」
「だからといって安全だという保証にはなりません」
「はい。ですから、最初の実験にする価値があると思っています」
穏やかに言っている。いつものルークだ。
いつものルークなのだが、言っていることは自分の体に錬金術で性質を付けるという話だった。
俺はルークの指先を見る。紙で切っただけの小さな傷だ。【治癒Lv.1】を付与する。言葉だけなら、大したことには聞こえない。むしろ治療そのものだ。
けれど、昨日の話を聞いた俺には別の見え方もする。
「……それでも、人間に《付与》することには変わりないんですよね」
俺が言うと、師匠がうなずいた。
「そうだ」
ルークも俺を見る。
「はい」
傷を治すだけ。それでも、人間の性質構成に手を加える。昨日までなら、その二つが同じことだとは考えもしなかった。
「師匠はどう思うんですか?」
「私か?」
「止めないんですか?」
「私は止めるために来たのではない」
師匠は少しだけ間を置いた。
「危険だからこそ、知らずにやらせるわけにはいかなかった。ルークは今、自分が何をしようとしているのか理解している。あとは私が決めることではない」
オルビアが師匠を見る。
「私は止めたいんですが」
「そうか」
「そうか、ではありません」
師匠が首を傾げる。俺は少しだけ笑いそうになった。さっきまで重かった空気が、一瞬だけ元に戻る。
「ただし」
師匠がルークを見る。
「やるのであれば、オルビアの判断に従え。生命は医者だ」
ルークがうなずいた。
「もちろんです」
オルビアは何も答えなかった。ルークの指を見て、師匠を見て、俺を見る。最後にもう一度ルークを見ると、長い沈黙のあと、大きく息を吐いた。
「……条件があります」
ルークの表情が少し明るくなる。
「はい」
「まず、実験前に私が診察します。生命《識別》でも現在の状態を記録してください。術式は【治癒Lv.1】の《付与》だけ。それ以外は認めません」
「分かりました」
「少しでも異常があれば、その時点で中止します。その後も私が問題ないと判断するまでは次へ進まないでください」
「はい」
「それから」
オルビアがルークを睨む。
「勝手に一人で試さないこと」
「分かっています」
ルークはいつもの、人の良さそうな笑顔を浮かべた。
オルビアはまだ納得していない顔をしている。たぶん俺も似たような顔をしている。師匠だけは、いつも通りだった。
こうして俺たちは、生命錬金の研究を続けることになった。




