明日からの授業はこれだな
森へ戻ると、師匠はいつものように工房にいた。
「ただいま戻りました」
「ああ」
机に向かっていた師匠が顔を上げる。王都へ行く前と何も変わらない。俺がいない間も、たぶんずっとこんな感じだったんだろう。
「研究は終わったのか?」
「はい。一応、一区切りつきました」
俺は荷物を置いて、師匠の向かいに座った。
「結論から言うと、患者には使わないことになりました」
「そうか」
師匠はそれだけ言って、続きを待っている。
俺は王都でやってきたことを簡単に説明した。
最初は、病素だけを選んで身体の外へ出すことを目指していた。けれど、錬金術で分けられる性質と、医療的に排出していいものは同じではなかった。
そこでオルビア先生に、医者として排出していいものと残すべきものを分けてもらった。その分類をもとに、俺たち錬金術師が性質を調べ、魔道具の条件へ落とし込んだ。
そこまでは上手くいった。
一番の試料でも、二番の試料でも、条件を合わせれば魔道具は動いた。さらに、一度使った後を想定して状態を変えた一・一番でも同じだった。
ただし、全部同じ条件では動かない。
患者が変われば条件も変わる。同じ患者でも、一度使えば状態が変わるかもしれない。そのたびに調整すれば動かすことはできる。でも、それを患者に使って安全なのかは別の話だった。
「それで、オルビア先生とレイフォードさんが、ここで終わりにしようって」
「お前も納得したのか?」
「最後には」
俺がそう答えると、師匠は少しだけ目を細めた。
「医者と錬金術師の切り分けはできたか?」
「できたと思います」
病気を見るのは医者だ。患者に何をしていいのかを決めるのも医者。俺たち錬金術師がやるのは、その判断をどうやって性質や魔道具に落とし込むかだ。
最初は、もう少し曖昧だった気がする。病素を外へ出せるなら、それでいいんじゃないかと思っていた。
でも研究を進めるうちに、それだけでは駄目だと分かった。
何を出していいのか。どこまでなら安全なのか。それは、性質を見ているだけでは決められない。
「そうか」
師匠は頷いた。
「越えそうにはならなかったか?」
俺はすぐには答えられなかった。
越えたかと言われれば、たぶん越えてはいない。オルビア先生が駄目だと言ったものを、勝手に患者へ使おうとしたわけでもない。医者の判断なんて必要ないと思ったこともない。
でも。
「……最後、ちょっと食い下がりました」
「なぜだ?」
一番も動いた。二番も動いた。一・一番も、条件を合わせれば動いた。
だったら、もう少しやれば何か見つかるんじゃないかと思った。患者ごとに違うなら、その違いをもっと調べればいい。一度使った後に変わるなら、その変化も調べればいい。
まだ試せることはある。まだ調べられることもある。そう思った。
「患者の役に立つものを作りたかった、っていうのもあります」
師匠は何も言わない。俺は少し考えてから続けた。
「でも、それだけじゃなかったですね」
研究は面白かった。
分からなかったことが分かるようになる。最初は全然駄目だった魔道具が、少しずつ狙った通りに動くようになる。
オルビア先生に医学的な条件を教えてもらって、それをレイフォードさんと一緒に錬金術でどう扱うか考える。失敗して、また考える。それで実際に動いた時は、やっぱり嬉しかった。
「できるようになってきたから、もっとやりたかったんだと思います」
「そうか」
「目の前で動いてるのに、ここで終わりなのかって」
自分で口にしてみると、思っていたより単純だった。
俺は錬金術が好きなんだろう。できなかったことができるようになるのは楽しい。知らなかったことを知るのも楽しい。だから、もう少し先まで見たかった。
一番も、二番も、一・一番も動いた。だったら次も、その次も。そうやって続けていけば、いつか患者にも使えるものになるんじゃないか。そんなことを考えていた。
「でも、オルビア先生は患者に使っていいとは言えなかった」
俺は言った。
「俺には魔道具を作れます。条件を変えることもできます。もっと調べることだってできると思います」
それでも、それは患者に使っていい理由にはならない。
俺ができるから。もっと研究したいから。面白いから。そんな理由で、医者が安全だと言えないものを患者に使うわけにはいかない。
できることと、やっていいことは違う。
今回、俺が覚えたのはたぶんそういうことだ。
「だから、終わりにするっていう判断でよかったんだと思います」
そこまで言ってから、俺は少しだけ笑った。
「まあ、今でもちょっともったいなかったとは思ってますけど」
師匠は俺を見た。
「まだやりたかったか?」
「そりゃあ、やりたかったですよ。結構いいところまでいってたんですから」
患者には使えない。それは分かっている。研究を止めた理由にも納得している。
それでも、あと少しやってみたかったと思う気持ちまで消えたわけじゃない。
師匠はしばらく俺を見ていた。それから一度だけ頷いた。
「正しい判断だ」
その一言で、今回の授業は終わったらしい。
「腹が減った」
「急ですね」
「もう夕食の時間だ」
時計を見ると、確かにそんな時間だった。王都から戻ってきたばかりで、俺も腹は減っている。
「何かあります?」
「ない」
「ないんですか」
「お前が帰ってくるからな」
「俺が作る前提じゃないですか」
「違うのか?」
違わないけど。
結局、俺は立ち上がって台所へ向かった。
久しぶりに戻ってきた森の家で、いつものように飯を作る。王都では研究施設にいる時間が長かったし、食事も外で済ませることが多かった。
別に不味かったわけじゃない。でも、自分で作る飯はなんとなく落ち着く。
適当に肉を焼いて、野菜も一緒に炒める。あとはスープがあれば十分だろう。
「師匠、できましたよ」
「ああ」
師匠が工房からやってくる。向かい合って座り、普通に飯を食う。
「どうです?」
「悪くない」
「もうちょっと褒めてもいいんですよ」
「美味い」
「急に素直ですね」
「褒めろと言ったのはお前だろう」
そうだけど。
王都で医療錬金術の研究をしていたのが、もう少し前のことみたいに感じる。ついさっきまで、患者に使っていいのかとか、安全を保証できるのかとか、そんな話をしていたはずなんだけど。
森へ帰ってくれば、いつも通りだ。師匠と飯を食って、どうでもいい話をする。
食事を終えるころには、師匠はいつの間にか王立新聞を広げていた。
「食べながら読むのやめません?」
「もう食べた」
見ると、確かに師匠の皿は空だった。早い。俺はまだスープが残っている。
師匠は新聞をめくっている。
王都で何があったとか、新しい研究が発表されたとか、どこかの商会が新商品を出したとか。師匠は毎日のように新聞を読んでいる。そして時々、そこから俺の授業を拾ってくる。
今回だってそうだった。
アイゼンハルト大学で大量の煙が出たという記事を見つけて、今日の授業はこれだと言い出した。その結果、ベルダリアの研究室へ行って、その後ルークから医療錬金術の研究に誘われて、結局こんなに長く森を離れることになった。
新聞というのは怖い。
「……ほう」
嫌な声が聞こえた。
俺はスープを飲む手を止めた。師匠が新聞の一点を見ている。
「何かありました?」
「グレイスで通信障害らしい」
「通信障害?」
師匠が新聞をこちらへ向けた。そこには大きく見出しが載っていた。
『グレイス錬金ギルドに通信障害、ヴィルツ・グレイモアギルド長がコメント』
「ヴィルツさんじゃないですか」
四級錬金術師試験で世話になった人だ。
記事には、ギルドで使われている通信設備の一部に障害が発生していることと、現在原因を調査しているというヴィルツのコメントが載っていた。
俺には、それだけの記事に見える。でも、師匠は違うらしい。
記事を読み終えると、新聞を畳んだ。
「明日からの授業はこれだな」
やっぱり。
「帰ってきたばっかりなんですけど」
「ちょうどいい」
「何がですか」
「王都で鈍っていないか確認できる」
「研究してたんですけど」
「医療錬金術だろう」
普通の錬金術とは違うと言いたいらしい。
明日はゆっくりできると思っていたんだけどな。でも、たぶん朝になれば、俺はグレイスへ向かうことになるんだろう。
十二歳でこの森へ来てから、もう七年。十九歳になっても、師匠の弟子であることは変わらない。
王都へ行っても、研究に参加しても、帰ってくればまた次の授業が待っている。
どうやら俺の日常は、まだまだ続くらしい。
第四章、ここまでお読みいただきありがとうございます!
次章はいよいよ最終章です。
最終章は一日一話、午前8時にゆっくり更新していきます。次の更新は明日の朝8時です。最後までお付き合いいただければ嬉しいです!




