どこまでできるかは分かりました
オルビアが用意した容器は、前よりも多かった。机の上に並べられたそれぞれには、小さな数字が書かれている。
「これが一番だ」
オルビアが、そのうちの一つを指した。
「前回までの試料とは違うんですか?」
「ああ。実際に患者へ使う場合を想定して、こちらで条件を変えてある」
中身を覗いてみるが、俺にはよく分からない。薄く濁った液体が入っているだけに見える。何がどれだけ入っているのかは、オルビアが決めたらしい。そこは俺が考えるところじゃない。
「まずはこれで試す。ルーク君、準備は?」
「できています」
ルークが試作品を机の中央へ置く。前回、ノエルの指摘を受けて調整したものだ。最初に作った時よりは持ち運びやすくなり、毎回細かく触らなくても同じ条件で動かせるようになっている。
あとは、本当に使うことを想定した条件でも安定して動くのか。
「じゃあ、やってみましょうか」
一番の溶液を使って試験を始める。
最初からうまくいったわけではなかった。前回までと同じ条件では、排出したいもの以外も少し混ざってしまう。
「ここですね」
俺が術式の一部を指すと、ルークも頷いた。
「少し強すぎますね」
「下げます?」
「ええ。ただ、こちらまで変えると前の条件にも影響します」
「じゃあ、先にこっちだけで」
一度動かして、結果を見る。オルビアが確認する。また調整して、もう一度動かす。何度か繰り返しているうちに、余計なものが混ざる量は少しずつ減っていった。
「これならどうです?」
俺が聞くと、オルビアが容器を持ち上げる。しばらく中を確認してから、記録へ何かを書き込んだ。
「ああ。これならいい」
「よし」
思わず声が出た。隣でルークも記録を取っている。
前回までの研究が無駄じゃなかったことに、少し安心する。条件は変わった。それでも、合わせればちゃんと動く。
「次に行くぞ」
オルビアが別の容器を取った。
「二番だ」
「一番とは違うんですか?」
「違う。排出したいものは同じだが、それ以外の条件を変えてある」
「なるほど」
よく分からないけど、違うらしい。こういうところは先生に任せた方がいい。
「条件はどうします?」
ルークに聞く。
「まずは一番と同じで試してみましょう。その方が違いも分かります」
「分かりました」
一番で成功した時の条件を、そのまま使う。魔道具が動き、二番の溶液から対象を排出する。見た感じでは普通に動いていた。
「どうです?」
オルビアを見る。返事がない。さっきより長く確認している。
「駄目だな」
「駄目?」
「一番と同じ結果にはなっていない」
俺とルークが顔を見合わせる。
「ちょっと見せてもらっていいですか?」
試作品を確認する。おかしなところはない。術式も正常に動いている。魔石にも問題はない。前回直した部分も確認するが、そこにも異常はなかった。
「壊れてないですよね?」
「ええ。正常です」
「じゃあ、なんでだ?」
もう一度二番の溶液を見る。一番と二番で違うのは、中身の条件。
「こっちに合わせて調整してみます?」
「そうですね」
一番の時と同じように、結果を見ながら条件を変えていく。
今度はさっきより時間がかかった。一番でうまくいったところを動かすと、別のところまで変わる。そこを直すと、今度は排出する量が足りなくなる。
それでも、やること自体は分かっていた。一つずつ確認して、条件を合わせる。
何度目かの試験が終わったところで、オルビアが頷いた。
「これならいい」
「できた」
一番とは条件が違う。でも、二番でもできた。
「じゃあ、問題ないんじゃないですか?」
俺が言うと、オルビアはすぐには答えなかった。
「一番と二番は、患者が違う場合を想定している」
「患者が違う?」
「ああ。同じ病気でも、患者の身体が全員同じということはない」
それはそうだ。身長も体重も違うし、年齢だって違う。それ以外にも、俺には分からない違いがいくらでもあるんだろう。
「一番で安全だった条件を、そのまま二番の患者に使えるとは限らない。今の結果がそれだ」
俺は机の上に残っている二つの記録を見る。一番では、この条件。二番では、こっち。確かに違う。
でも。
「だったら、患者ごとに調整すればいいんじゃないですか?」
オルビアが俺を見る。
「使う前に調べて、その人に合わせる。さっきも二番に合わせたらできましたよね?」
「そうだな」
否定されなかった。なら、それでいいんじゃないだろうか。患者によって違うなら、その患者に合わせればいい。条件が違うなら、それぞれに合わせればいい。俺には、そのくらいの話に思えた。
「ルーク君」
「はい」
オルビアが、別の容器を机へ置いた。書かれている数字は、一・一。
「これも試してくれ」
「一・一?」
俺が容器を見る。
「二・一じゃないんですか?」
「違う。一番と同じ患者を想定している」
「同じ?」
「一度使用した後だ」
俺はもう一度、一・一と書かれた容器を見る。
「一番の患者に、この魔道具を一回使った後ってことですか?」
「ああ。正確に同じ状態を作ったわけではない。一度使用して身体の状態が変化した場合を想定して、条件を変えてある」
なるほど。だから一・一か。
「じゃあ、一番と同じ条件からでいいですか?」
「お願いします」
ルークが答える。
一番で成功した条件へ戻す。そのまま一・一の溶液に使う。魔道具は正常に動いた。対象も排出される。
ただ、オルビアの反応は、さっきの二番と同じだった。
「これも駄目だ」
「またですか?」
「ああ。一番と同じにはなっていない」
「でも、同じ患者なんですよね?」
「同じ患者を想定している。だが、同じ状態ではない」
一度使えば、身体の中から何かが排出される。当然、使う前と使った後では身体の状態が変わる。
「じゃあ、これも合わせれば――」
言いながら、ルークを見る。
「やってみましょう」
また調整する。一・一に合わせて条件を変え、結果を見て直す。もう一度試す。
そして、これも最終的には成功した。
「できましたね」
「ええ」
ルークが頷く。俺も少し安心した。
一番もできた。二番もできた。一・一もできた。条件は違うけど、合わせれば全部動く。
だったら、やっぱり――。
「レイジ君」
オルビアに呼ばれた。
「はい」
「今ので分かったか?」
「何がです?」
「一番と二番で、患者が違えば条件が変わる」
「はい」
「一番と一・一では、同じ患者でも条件が変わった」
「ああ……」
言われて、三つの記録を見る。
一番。二番。一・一。
全部成功している。でも、全部同じ条件ではない。
「一度目に安全だった条件が、二度目にも安全だとは限らない」
オルビアが続ける。
「二度目に合わせて調整したとしても、その後はまた状態が変わる。三度目にも同じことが起きるかもしれない」
「そのたびに調整するのは?」
「調整できるかもしれない」
また否定されなかった。
「だが、患者に使うなら『できるかもしれない』では駄目だ」
俺は黙る。
「今回のように、使うたびに条件が変わる可能性がある。患者が違えばさらに変わる。それを事前にどこまで確認できるのか。次に使う時も安全だと言えるのか。どの状態なら使えて、どの状態なら止めるべきなのか。今の私たちには判断できない」
前回、短時間なら続けて動かしても問題ないことは確認した。でも、あれは魔道具の話だ。何度か続けて動かしても、魔道具そのものが問題なく動く。
今話しているのは、患者の話。
魔道具が動くからといって、それを同じ患者に何度も使っていいとは限らない。
「魔道具自体には問題ないんですよね?」
念のため聞く。ルークが答えた。
「ありません。少なくとも、今確認した範囲では正常です」
「一番も二番も、一・一も?」
「条件を合わせれば、要求した通りに動いています」
やっぱりそうだ。壊れていない。できていないわけでもない。むしろ、できている。
机の上にある試作品を見る。
最初にここへ来た時は、何をどうすればいいのかも分からなかった。病素を排出する。言葉にすれば簡単だった。でも、何を排出していいのか分からなかった。
性質を増やして、見分けられるものを増やそうとした。それでも駄目だった。
オルビアに調べてもらった。ノエルの一言から、病気を治すところまで全部やらせる必要はないと気づいた。
医者が排出していいものを決める。俺たちは、それを見分けて取り出す。
そこまで分けたから、ようやく動いた。持ち運べるようにもした。何度か続けて動かせるようにもした。そして今日、実際に使うことを想定した条件でも動いた。
なのに。
「……ここまでだな」
「そうですね」
二つの声が、ほとんど同時に聞こえた。
オルビアとルークだった。
二人も一瞬、お互いを見る。
「え?」
俺だけが二人を見る。
「ここまでって、研究ですか?」
「ああ」
オルビアが答えた。ルークも頷く。
「今回の研究は、ここで一区切りにした方がいいと思います」
「でも」
思わず声が出た。三人が俺を見る。
「まだやれますよね?」
ルークを見る。
「一番も二番も、一・一も、調整したらできましたよね?」
「できました」
「だったら、もっと調べればいいんじゃないですか? 一回使った後に変わるなら、その変わり方を調べて。患者によって違うなら、もっといろんな条件で試して――」
そこまで言ったところで、横にいたノエルが目に入った。
俺を見る。オルビアを見る。ルークを見る。また俺を見る。
明らかに困っていた。
いや、別に喧嘩してるわけじゃないですよ。
たぶん。
「レイジ君」
オルビアの声で、そちらへ戻る。
「できるかどうかの話ではない」
「でも、まだできることは――」
「あるだろうな」
オルビアは、そこも否定しなかった。
「調べられることもある。試せる条件もまだあるだろう。だが、それを続ければ患者に安全に使えると言えるのかは別の話だ」
「……」
「今分かっているだけでも、患者が違えば条件が変わる。同じ患者でも、使った後には条件が変わる。なら、次の状態を完全に予測できないまま使うことになる」
「毎回、使う前に調べるのは?」
「その検査が、次に使う時の安全を保証できるのか?」
答えられなかった。俺には分からない。それを判断できるだけの知識がない。
「私は医者だ」
オルビアが言う。
「患者に使っていいかを判断するのは、私たちの仕事だ。今の結果を見て、私はこれを患者に使って安全だとは言えない」
はっきりしていた。駄目だからじゃない。嫌だからでもない。分からないから、使わない。
「僕も、ここで止めるべきだと思います」
今度はルークだった。
「レイフォードさんも?」
「ええ」
「でも、魔道具は動いてますよね?」
「動いています」
「だったら――」
「だからです」
思わず黙った。
ルークが試作品を見る。
「最初は、魔道具そのものに問題があると思っていました。うまく選別できない。必要なものまで排出してしまう。だから、錬金術でそこを解決しようとした」
「はい」
「今は違います。医療側に判断してもらったものを対象にするなら、僕たちはかなり正確に選別できます。条件が変わっても、それに合わせれば動かせる」
ルークが、一番、二番、一・一の記録を順番に見る。
「錬金術でできることは、かなり分かりました。ここから先に必要なのは、僕たちが調整を続けることではありません」
「なら――」
「ここから先は、『できるか』だけで進めるところではありません」
オルビアと、ほとんど同じことを言われた。でも、少し違った。
オルビアは医者だから止めている。患者に安全だと言えないから。
ルークは錬金術師だ。そのルークまで、ここで止めると言っている。
「でも……」
まだ、少し引っかかる。目の前に答えがあるような気がする。
一番が駄目なら調整した。二番も調整した。一・一も調整した。全部、最後にはできた。
だったら、次も。その次も。
条件が変わるなら、そのたびに合わせれば。
そう思ってしまう。
俺は試作品を見る。ちゃんと動いている。壊れていない。失敗していない。
できる。
だから、余計に分からなかった。
できるのに、やめる。
前の俺なら、たぶん考えなかった。できるなら、どうやって使うかを考えた。今回も最初はそうだった。
病素を排出できるなら、風邪を治せるんじゃないか。もっと正確に。もっとたくさん。できることを増やせば、そのうち使えるものになると思っていた。
でも、机の上に並んでいる三つの記録は、全部成功している。
成功しているのに、オルビアは患者には使えないと言う。ルークも止めると言う。
失敗したからじゃない。できないからでもない。
患者に使っていいと、言えないから。
「……ああ」
やっと少し分かった。
できることと、やっていいことは違う。
当たり前のことなのかもしれない。前世でも、似たようなことはいくらでもあった気がする。できるからやる。できないからやらない。そんな単純な話ばかりじゃなかった。
なのに錬金術になると、俺はずっと、できるかどうかばかり考えていた。
たぶん、楽しかったからだ。知らないことが分かる。できなかったことができる。それが面白かった。
でも、その先に人がいるなら、それだけじゃ駄目なんだ。
「……分かりました」
俺が言うと、オルビアが小さく頷いた。
「そうか」
「まだ、ちょっともったいないとは思ってますけど」
「それは私も同じだ」
意外な返事だった。
「先生も?」
「ここまでやったんだ。使えるなら使いたい」
「ですよね」
「だが、使いたいから使うわけにはいかない」
「……はい」
今度は素直に頷けた。
隣を見ると、ノエルが少しだけ肩の力を抜いていた。
やっぱり困ってたんだ。
すみません。
「では、今回の研究はここまでですね」
ルークが記録をまとめ始める。
「全部終わりにするんですか?」
「いえ。結果は残します」
一番、二番、一・一。それまでに試した条件。うまくいったもの。うまくいかなかったもの。どこまでなら正確に排出できたのか。何が問題になったのか。
全部、記録として残すらしい。
「失敗じゃないんですね」
俺が言うと、オルビアがこちらを見る。
「何をもって失敗とするかだな」
「患者には使えませんでしたけど」
「ああ。だから、医療として完成したとは言えない」
そこで一度言葉を切る。
「だが、何ができて、どこから先が分からないのかは分かった。それも研究だ」
前にも似たようなことを聞いた気がする。
研究って大変だな。
俺には、やっぱり工房で何か作ってる方が向いてるかもしれない。
「レイジ君」
「はい?」
「そんな顔をするな」
「どんな顔です?」
「研究はもう嫌だという顔だ」
バレた。
「いや、そんなことは……」
「してましたよ」
ノエルが言った。
「ノエルさん!?」
さっきまであわあわしてたのに、急にこっち側へ来た。
「いえ、その……終わったみたいなので」
何がだ。
「まあ、レイジ君は研究者ではないからな」
オルビアが言う。
「そうなんですか?」
ノエルが俺を見る。
「違いますよ。俺、普通の錬金術師です」
三人が黙った。
なんでですか。
「……普通?」
ノエルが首を傾げる。
「普通です」
「そうですか……」
納得してない。
なんなんだ。
さっきまで結構真面目な話をしていたはずなのに、少しだけ空気が戻った気がした。
それからは、これまでの記録をまとめる作業になった。
俺にできることはあまりない。ルークとオルビアが確認している内容を聞かれた時に答えたり、試作品の術式について説明したりするくらいだ。ノエルは運用面で気づいたことをまとめている。俺も、自分がやったところだけ簡単に書いておく。
研究は終わる。でも、試作品が捨てられるわけではない。記録も残る。ここまでやったことが、なかったことになるわけでもない。
ただ、患者には使わない。
患者に使わないと決めるために、ここまでやったとも言えるのかもしれない。
何ができるのか。何ができないのか。どこまでは分かっていて、どこから先は分からないのか。
そこまで調べて、初めて止まれる。
俺一人だったら、たぶんもっと先までやろうとしていた。オルビアがいてよかった。ルークがいてよかった。
ノエルも……まあ、いた方がよかった。
「レイジ君?」
「なんでもないです」
危ない。
声に出してたら怒られてたかもしれない。
研究が一区切りつき、俺も森へ戻ることになった。もともと、ずっと王都にいるつもりではなかった。研究を手伝ってほしいと呼ばれて来ただけだ。
帰る前に研究室へ寄ると、ルークは相変わらず机に向かっていた。
「まだやってるんですか?」
「今回の記録をまとめています」
「真面目ですね」
「レイジ君も手伝いますか?」
「遠慮します」
即答した。
ルークが笑う。机の上には、今回使った記録が積まれている。
「でも、本当に結構やりましたね」
「ええ」
最初に来た時とは、試作品も記録の量も全然違う。
「結局、患者には使えませんでしたけど」
「そうですね」
ルークはそう答えながら、積み上げられた記録の一つを手に取った。
「でも、できなかったわけではありません」
「え?」
「一番も、二番も、一・一も。条件を合わせれば、魔道具は動きました」
それは俺も、さっきまで考えていたことだった。
「だから、患者には使えないんですよね?」
「はい。それはオルビア先生の言う通りです」
ルークはあっさり頷いた。
「ただ、少なくとも、どこまでできるかは分かりました」
「そうですね」
俺も頷く。
ここまでできた。何も分からなかった頃よりは、ずっと先にいる。
「じゃあ、俺は帰ります」
「はい。また何かあれば連絡します」
「今度は簡単なのにしてくださいね」
「善処します」
絶対しないやつだ。
研究室を出る。あとは森へ帰るだけだ。
久しぶりに師匠のところへ戻る。今回のことを話したら、なんて言うだろう。
患者には使わず、ここで研究を終えたと言ったら、なんて言うだろうか。
たぶん怒らない。
なんとなく、そんな気がした。
今回、俺が覚えたことは一つある。
できることと、やっていいことは違う。
できるようになるだけじゃ、足りない。何に使うのか。使っていいのか。そこまで考えないといけないらしい。
師匠に報告しないとな。
俺は森へ帰った。




