生命は医者、性質は錬金術師
オルビアが次に研究施設へやってきたのは、三日後だった。
その両手には、前にも見た小さな容器がいくつか抱えられている。
「待たせたな」
「それ、この前のですか?」
「似たようなものだが、今回は少し違う」
机の上に並べられた容器を覗き込む。見た目だけでは違いが分からない。薄く濁ったものもあれば、ほとんど透明に見えるものもあるが、俺にはどれも同じようにしか見えなかった。
「前回の検査結果をもとに、こちらで分けてきた」
オルビアが容器を二つの集まりに分ける。
「こっちが、今回排出の対象にしていいものだ」
「こっちは?」
「残すものだな」
分かりやすい。ものすごく分かりやすい。
「理由も聞いた方がいいですか?」
「必要なら説明するぞ。ただ、少し長くなる」
「じゃあ大丈夫です」
即答すると、隣でルークが少し笑った。
「早いですね」
「医者が三日かけて調べた話を、今から聞いて理解できる気がしませんからね」
理解できるならした方がいいんだろうけど、俺は医者ではない。
「それでいいと思うぞ」
オルビアも特に気にした様子はなかった。
「ただ、一つだけ確認させてください。こっちは身体から出しても問題ないんですよね?」
「ああ。今回の条件なら、ある程度排出しても問題ない。減らすことで症状が軽くなることも期待できる」
「全部ですか?」
「いや。今回、対象にしたものだけだ」
そこは前回までとは違う。
俺たちはずっと、身体の中から病気の原因を見つけて、それを取り除こうとしていた。でも、それができなかった。
《毒》だから悪いとは限らない。《治癒》だから残せばいいとも限らない。錬金術師が見ている性質と、医者が見ているものは違う。
だったら、無理に同じものを見る必要はない。
「レイフォードさん」
「ええ。やってみましょう」
二人で排出対象として分けられたサンプルを手に取り、《識別》する。頭の中に浮かび上がった性質を確認し、次、その次と調べていく。
今度は、残すように言われた方だ。
「……なるほど」
ルークが小さく呟いた。
「違いますね」
「ですね」
前回までも、俺たちは同じことをしていた。《赤》《白》《治癒》《毒》。いくつもの性質を条件にして、身体の中から排出するものを選ぼうとした。
でも今回は順番が違う。
性質を見てから、身体にとって良いか悪いかを考えるんじゃない。身体から出していいものを、オルビアが先に分けてくれている。
俺たちは、その違いだけを見ればいい。
「オルビア先生」
「なんだ?」
「俺たちは、こっちを出して、こっちを残せばいい。それ以上は考えなくていいんですよね?」
「ああ。何を排出していいかはこちらで判断する。レイジ君たちは、その通りに分ける方法を考えてくれればいい」
その言葉を聞いて、以前聞いた言葉を思い出した。
生命は医者。性質は錬金術師。
そういうことか。
何を排出していいかは医者が決める。その違いを性質から見つけるのが、俺たち錬金術師の仕事だ。
「じゃあ、分かりやすいですね」
「そうなんですか?」
ノエルが横から容器を覗き込む。
「はい。こいつらの違いだけ探せばいいので」
俺はもう一度《識別》の結果を見比べた。医学的に何が違うのかは分からない。でも、性質の違いなら分かる。
それなら俺たちの仕事だ。
「レイフォードさん。前に使った条件、全部必要だと思います?」
「いえ」
返事は早かった。ルークも同じことを考えていたらしい。
机の上に紙を広げ、これまで魔石へ付与していた性質と、二つに分けられたサンプルの《識別》結果を並べていく。
「これは外していいと思います」
「俺もそう思います。こっちは?」
「残した方がいいでしょう。ただ、条件を少し変えたいですね」
「なるほど」
前までは条件を増やしていた。一つで足りないなら二つ。二つで足りないなら三つ。そうやって細かくすれば、いつか正しく分けられるんじゃないかと思っていた。
でも、今は逆だった。
必要のない条件を外す。残すものと排出するもの、その違いを見分けるために必要な性質だけを残していく。
「これなら、かなり減らせますね」
「ええ。それに、この組み合わせなら前より対象を限定できます」
ルークが紙の一箇所を指す。俺も見直してみる。
確かに。
「オルビア先生。この条件に当てはまるものなら、排出して大丈夫ですか?」
紙をオルビアへ向けると、そこに並んだ性質を見てから首を横に振った。
「それは私には分からないな」
「あれ?」
「私は医者だ。性質を見せられても、それが何を意味するのかまでは分からん」
「ああ」
そりゃそうだ。俺たちが医学の説明を聞いても分からないのと同じだ。
「じゃあ逆ですね。この条件で選んだものが、先生の分けたこっちだけになるか確認すればいい」
「ああ。それなら私が確認できる」
「やってみましょう」
話が早い。
俺とルークで魔石の構成を見直す。使う性質を決め、不要になったものを外し、付与する条件を組み直していく。
一度は残す側のサンプルまで対象に入り、条件を戻した。別の組み合わせでは対象が狭くなりすぎたため、また調整する。
それでも、前までとは全然違った。
何が正解か分からないまま探しているんじゃない。正解は、机の上に置いてある。
俺たちはそこへ近づけていけばいい。
数時間後。
「……できましたね」
ルークが魔石を持ち上げた。
「たぶん」
「たぶんですか?」
「動かすまでは分かりませんよ」
「それはそうですね」
用意した容器の中へ、オルビアが分けていた二種類のサンプルを混ぜる。
せっかく分けたのに、また混ぜる。少しもったいない気がする。
「オルビア先生、いいんですよね?」
「ああ。そのために持ってきた」
ですよね。
魔石を組み込んだ試作品を動かすと、小さな駆動音が研究室に響いた。全員が見守る中、やがて排出されたものが別の容器へ溜まり始める。
「止めます」
ルークが装置を止めた。
俺は排出された方を見る。見た目では分からない。残った方も見てみるが、やっぱり分からない。
「オルビア先生」
「ああ。調べよう」
オルビアがすぐに二つを回収した。
待つ。
こういう時、錬金術師は役に立たない。《識別》すれば性質は分かる。でも、それが医学的に正しいかどうかは分からない。
さっきまで散々作業していた俺とルークが並んで待つ。ノエルも待っている。
しばらくして、オルビアが戻ってきた。
「どうでした?」
「うまくいっている」
「おお」
思わず声が出た。ルークも表情を緩める。
「排出されたものは、こちらで指定した対象とほぼ一致している。残す側への影響も、今までよりかなり少ない」
「じゃあ」
「ああ。少なくとも、この条件なら狙ったものを選んで排出できている」
やった。
ようやくだ。
風邪を治せるわけじゃない。身体の中から悪いものを全部取り除けるわけでもない。ただ、医者が指定した悪性病素をある程度排出して、症状を軽くする。
最初に考えていたものと比べれば、できることはかなり少なくなった。でも、初めてちゃんとできた。
「もう少し条件を変えて試しましょう」
ルークが言う。
「そうですね」
一回できただけでは分からない。サンプルの割合や量を変えながら同じ条件で何度か試す。結果には多少の差が出たが、最初の頃のように大きく外れることはなかった。
狙ったものを選び、排出する。それができている。
「かなり安定してきましたね」
ルークが記録を見ながら言った。
「最初からこれやればよかったですね」
俺が言うと、オルビアが首を横に振った。
「いや。それは無理だろう」
「そうですか?」
「最初は何が問題なのかも分かっていなかったからな。全部排出しようとして失敗したから、対象を限定する必要があると分かったんだ」
「ああ」
確かに。全部やろうとして失敗したから、全部やる必要がないと分かった。
無駄だったわけではないらしい。
「では、次はこちらですね」
ルークが別の試験器具を準備する。
今度は単純に混ぜただけのサンプルではない。実際に身体の中で使う場合に、少しでも近い状態を作って試す。
もちろん、本物の人間に使うわけじゃない。そこはオルビアが最初から認めていない。
条件を変えて試すと、さっきより精度は少し落ちた。そこから何度か調整してみたが、それでも以前とは比べものにならない。
「どうです?」
俺が聞く。
オルビアは記録を見てから答えた。
「悪くないな」
「お」
「この段階なら、研究を続けていいと思う。少なくとも、前までとは違う」
「それ、医者としてですか?」
「私は最初から医者として話しているぞ」
「あ、そうですよね」
ルークが笑っている。
なんだ。ちょっと嬉しかっただけなのに。
前回は、医療的には失敗ですと言われた。そこから考えると大進歩だ。
「レイフォードさん」
「はい」
「これ、いけるんじゃないですか?」
「ええ。少なくとも、錬金術としてはかなり形になってきました」
「医学的にも、今までとは違うな」
オルビアも続ける。
「こちらで排出するものを決めて、その通りに動いている。最初に考えていたものとは違うが、症状を緩和するという目的なら可能性はある」
「やりましたね!」
ノエルが嬉しそうに声を上げた。
「やっとですね」
「長かったですねえ」
ノエルと話しながら、俺は椅子の背にもたれた。疲れた。でも、悪くない疲れだ。
ようやく一つ、形になった。
ルークは早速記録をまとめ始めているし、オルビアも検査結果を確認している。俺ももう一度試作品を眺めた。
これなら本当に使えるものになるかもしれない。
「……あの」
ノエルが声を上げた。
「はい?」
「ちょっと聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
ノエルが試作品を指差す。
「これ、どうやって病院まで運ぶんですか?」
「…………」
俺は試作品を見る。
ルークも試作品を見る。
思ったより大きい。
「……レイフォードさん」
「今、僕も同じことを考えていました」
ですよね。
「え?」
ノエルが俺たちを見る。
「いや、ちょっと待ってください。運ぶこと考えてなかったんですか?」
「動かすことしか考えてませんでした」
「僕もですね」
「そんなことあります?」
あります。今あった。
オルビアが試作品を見ながら口を開く。
「病院で使うなら、ここへ患者を連れてくるより向こうへ運べた方がいいな」
「ですよね?」
味方を得たノエルが少し安心した顔をする。そして、もう一度試作品を見る。
「あれ?」
嫌な予感がする。
「なんです?」
「これ、一回使うたびにさっきの調整するんですか?」
「…………」
今度は俺とルークが顔を見合わせた。
「レイフォードさん」
「今、僕も同じことを考えています」
二回目ですね。
「え、またですか?」
ノエルが困惑している。
「私、何か変なこと言いました?」
「いえ。何も変じゃないです」
むしろ俺たちがおかしい。
研究室の中で動かすことばかり考えていた。ノエルは、最初から使う時のことを見ている。
「一人に使って、調整して、また一人に使って、また調整して、だと大変ですよね?」
「そうだな。患者が多ければ現実的ではない」
オルビアが答える。
「だったら、何度か続けて使えて、必要な場所へ運べる形にした方がいいんじゃないですか?」
ノエルがそう言ってから、少しだけ警戒するように俺を見る。
「……今度は話、飛びませんよね?」
「飛びませんよ」
「本当ですか?」
前回のことをまだ気にしているらしい。
「今回はそのままです。運べて、何回か使えるようにする」
「よかった……」
ノエルが小さく息を吐いた。
何に安心しているんだ。
でも、言っていることはもっともだった。
「レイフォードさん。できます?」
「考えてみましょう」
即答ではなかった。でも、無理とも言わなかった。
そこから、また試作品を囲む。今度は何を排出するかではない。同じ条件で何度続けて動かせるか、動かすたびにどこを調整しているのか、研究施設の中でしか使えない部分はどこか、運ぶなら何が邪魔になるのか。
ノエルに聞く。オルビアに聞く。ルークと考える。
俺一人で全部分かる必要はないらしい。分からないことは、それを知っている人に聞けばいい。
俺はそこから、錬金術で何ができるかを考える。
「ここは、このままでいいんじゃないですか?」
俺は試作品の一部を指した。
「運ぶ時に問題になるのはこっちですよね?」
「そうですね。そこが固定されていると面倒です」
ノエルが答える。
「じゃあ、そこだけ変えましょう」
「連続して動かす方は?」
ルークに聞かれる。
「さっき毎回触ってたの、ここですよね?」
「ええ」
「なら、まずそこを触らなくても同じ条件になるようにした方が早くないですか?」
「試してみましょう」
また作業が始まった。
一度完成したと思ったものを、もう一度崩す。でも、さっきまでとは違う。
今度は動かすためじゃない。使うためだ。
何度か続けて動かし、場所を変えてもう一度試す。問題が出れば、その部分だけを調整する。
夕方になる頃には、少なくとも最初の試作品よりは扱いやすくなっていた。
「これなら、さっきよりは運べそうですね」
ノエルが試作品を見ながら言う。
「まだ重いですけど」
「そこは今後ですね」
ルークが答える。
「連続使用も、短時間なら問題なさそうです」
「じゃあ、今日かなり進んだんじゃないですか?」
俺が聞くと、三人がそれぞれ試作品を見る。
オルビアが記録を確認した。
「ああ。かなり進んだと思う」
その答えを聞いて、少しだけ嬉しくなる。
最初は、風邪を治す魔道具を作ろうとしていた。身体の中から悪性病素を見つけて、必要なものと不要なものを判断して、悪いものだけを全部取り除く。
そんなものを作ろうとしていた。
今、目の前にあるものは違う。
医者が排出していいと決めたものを、錬金術で見分けて、ある程度取り出す。
できることは少ない。でも、その分ちゃんとできる。
「次はどうします?」
俺が聞く。
オルビアが少し考えてから答えた。
「実際に使うことを想定した条件で検証しよう」
「患者に使うんですか?」
「いや。まだ早い」
即答だった。
ですよね。
「まずは使用する状況を想定して、どこまで安定して動くかを見る。そこに問題がなければ、その次を考えればいい」
「分かりました」
ルークも頷く。
ノエルは試作品を見ながら、もう運ぶ時のことを考えているようだった。
俺も、もう一度それを見る。
最初にルークから話を聞いた時は、どこから手をつければいいのかすら分からなかった。錬金術ならできると思った。やってみたら、できなかった。性質を増やしても駄目だった。
医者と錬金術師では、そもそも見ているものが違った。
だから、分けた。
俺たちは俺たちにできることをやる。それでようやく、ここまで来た。
次は、実際に使うことを想定した検証だ。
今度こそ、本当に使えるものになるかもしれない。




