俺がドラフトに出ないらしいですよ
翌朝。
レイジはいつものようにエレノアの家で朝食を食べていた。
テーブルの上にはパンとスープが並んでいる。窓の外には見慣れた森が広がり、聞こえてくるのは鳥の鳴き声くらいだった。
昨日の今頃は、王立大学で四級試験の結果発表を待っていた。
四百九十八点で首席。
そこから企業の人間に囲まれ、ルークに誘われ、最後にはベルダリアから大学へ来ないかと言われた。王都錬金ギルドへ向かう途中では新聞記者にまで呼び止められた。
随分と色々あった気がする。
それでも王都錬金ギルドから転移陣を使い、森まで帰って一晩寝てしまえば、いつもの朝だった。昨日までいた王都とは違って、人の声も馬車の音も聞こえない。
レイジはパンをちぎってスープにつける。
「師匠、今日は何するんですか?」
「まだ決めてない」
「そうですか」
エレノアもいつもと変わらない。
レイジはパンを口へ運んだ。
四級は取れた。
元々、今回王都へ行った目的はそれだけだったのだ。試験を受けて、四級錬金術師になる。
目的は達成したのだから、今日からまた修行である。
四級になったからといって、急に何かが変わるわけでもない。昨日の試験でも《識別》では三つ見落としているし、エレノアから教わることならいくらでもある。
そんなことを考えていると、外から羽音が聞こえてきた。ばさばさと大きな音が近づいてくる。
少しして、窓の向こうを大きな影が横切った。
「新聞か」
エレノアが立ち上がる。
「もうそんな時間ですか」
家の外には一羽のフライングチキンが降りていた。
レイジも窓からその姿を見る。初めて見たときは、ずいぶん変な生き物がいるものだと思った。今では毎朝新聞を届けに来るのが当たり前になっている。
エレノアが近づくと、フライングチキンは首から下げた鞄から丸められた新聞を一本落とした。
それを拾ったエレノアが家へ戻ってくる。
「ほら」
「ありがとうございます」
レイジは新聞を受け取った。
いつもの王立新聞だ。
この三年間ですっかり習慣になったように、パンを片手に紙面を開く。
そして手が止まった。
『《格納》論文のレイジ・クゼ、ドラフトエントリーせず――引き続き師匠に師事へ』
「…………」
レイジは見出しを読む。
もう一度読む。
見覚えのある名前が書いてある。
いや、自分の名前だった。
「師匠」
「なんだ」
「俺、新聞に載ってるんですけど」
「そうか」
「そうか……」
エレノアはまったく興味がなさそうだった。
仕方なく、レイジは一人で記事を読み始める。
先日の四級錬金術師試験で、十五歳のレイジ・クゼが五百点満点中四百九十八点を獲得し、首席で合格したこと。
その名前は二年前、アイゼンハルト大学で発表された新性質《格納》に関する論文にも共著者として記載されていること。
試験結果の発表後には複数の企業が接触しており、四級錬金術師を対象としたドラフトでも注目される可能性があったこと。
しかし本人は王立新聞の取材に対し、ドラフトにはエントリーせず、現在の師匠のもとで修行を続ける意向を示した。
そこまで読んで、レイジは新聞から顔を上げた。
昨日、自分が記者に話した内容がきれいに記事になっている。しかも昨日より少し大きな話になっている気がする。
「……これ、新聞に載るような話なんですか?」
「知らん」
「ですよね」
エレノアに聞いたのが間違いだった。
そもそも自分が新聞に載っても興味を示さない人である。弟子が載ったところで反応が変わるはずもない。
レイジはもう一度記事を見る。
四百九十八点を取ったのは事実だ。《格納》の論文に名前が載っているのも事実だし、複数の企業から声をかけられたのも間違ってはいない。ドラフトに出ないと言ったのも自分である。
書いてあることは全部合っている。
合っているのだが、自分としては試験に合格して、誘われた会社を断って、森へ帰ってきただけだった。それが新聞の記事になると、随分と大きなことをしたように見える。
「というか、まだドラフトの受付期間って終わってないですよね?」
「そうなのか」
「結果発表から一週間だったはずなので、あと六日くらいありますよ」
昨日、受付の前を通ったばかりである。まだエントリーする合格者は増えるだろうし、企業側もこれから参加者を確認するはずだ。
それなのに、もう自分だけ不参加が新聞に載っている。
「出ないんだろ」
「出ませんけど」
「ならいいだろ」
「まあ、そうなんですけど」
何も間違ってはいない。
レイジが困惑しているのは、昨日決めたばかりのことが、翌朝には王都中へ知らされていることだった。
昨日までなら、ドラフトというものがあることすら知らなかった。
クラーク錬金魔道具のマルクに声をかけられ、サンタンデール工房とグレア工務店からも誘われた。
どれも断った。
そのあとにはルークが来た。
セレスティア・アルケミーの錬金研究部。研究内容は自由。待遇もかなりいい。何より、知っているルークと一緒に研究できる。
それでも断った。
最後に来たのがベルダリアだった。
アイゼンハルト大学の学生になり、彼女の研究室に入る。資料も設備もあって、二年前の《格納》のときのような研究を続けられる。
あれには少し迷った。
今でも面白そうだと思っている。
七年後、自分が研究をしたいと思っていたら声をかけると約束までした。
それなのに、新聞に書かれた結論だけを見ると随分と単純だった。
『引き続き師匠に師事へ』
「…………」
レイジはその一文を眺める。
エレノアの弟子として、この森で錬金術を学ぶ。やることだけを見れば、三年前と同じだった。
三年前、この森に来たときのことを思い出す。
あの頃は、この世界のことを何も知らなかった。錬金術が何なのかも知らなかったし、自分がどこにいるのかさえよく分かっていなかった。
行くところもなかった。
エレノアに拾われ、この家に連れてこられ、そのままここで暮らすことになった。
それから三年。
今は四級錬金術師になった。
会社に入ることもできるらしい。研究を仕事にすることも、大学へ行くこともできる。
ベルダリアは、二年前から自分を研究室へ誘おうと思っていたらしい。
三年前には知らなかった道が、いつの間にかいくつもできていた。
どれを選んでもいい。
少なくとも、そう言ってくれる人たちがいる。
その中から選んで、昨日ここへ帰ってきた。
「…………」
レイジは窓の外を見る。
見慣れた森だった。
三年前から何度も見てきた景色である。
王都のような大きな建物もなければ、アイゼンハルト大学のような研究設備もない。近くに店すらない。
あるのは森と、この家と、師匠くらいだ。
レイジは向かいに座るエレノアを見る。
「なんだ」
「いや」
エレノアはいつも通りだった。
王都で自分が四百九十八点を取っても、企業から誘われても、大学へ誘われても何も変わらない。
行きたいなら行けばいい。
決めるのはお前だ。
そう言っただけだった。
「なんでもないです」
「そうか」
レイジは小さく笑って、新聞を畳んだ。
別に、これからずっと森にいると決めたわけではない。
七年後に何をしているかなんて分からない。研究をしているかもしれない。どこかの会社で錬金術師として働いているかもしれない。今はまだ知らない何かを見つけて、それをやりたいと思っているかもしれない。
大学に行きたいと思う可能性だってある。
それはそのとき決めればいい。
ただ、今はここでいい。
まだエレノアから教わりたいことがある。
十年のうち、まだ三年しか経っていない。
「読み終わったか」
エレノアが聞いた。
「はい」
「何か面白いことは書いてあったか」
「俺がドラフトに出ないらしいですよ」
「知ってる」
「俺も昨日知りました」
「そうか」
「はい」
レイジは新聞をテーブルの端へ置いた。
王都では、今日もドラフトの受付が続いているのだろう。企業の人間も集まり、誰がどこへ行くのかを話しているのかもしれない。
だが、ここには関係ない。
エレノアが席を立った。
レイジも残っていたスープを飲み干し、立ち上がる。
いつもの朝食が終わった。
「じゃあ、修行だ」
「やりましょう」
第三章までお読みいただき、ありがとうございます!
次章から物語も後半戦に入ります。
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