大学にも興味があります
思っていたよりずっと、自分に向いているかもしれなかった。
レイジは改めてベルダリアを見る。
ベルダリアは何も言わなかった。
「…………」
「…………」
帰る気配もない。
どうやら返事を待っているらしい。
レイジはもう一度考えた。
二年前、《格納》について調べていたときのことは今でも覚えている。鉄鉱石とオリハルコン鉱石が入れ替わる理由を考え、時間を測り、仮説を立てて試した。予想と違う結果が出れば、また考え直した。
そうして最後には、それまで誰も知らなかった性質が見つかった。
あれは楽しかった。できることなら、またやりたい。
アイゼンハルト大学へ行けば、それを続けられるのだろう。資料があって、設備があって、分からないことを調べられる。分からなければ試して、また考える。それを仕事にして生きていく。
しかも、自分が勝手に向いていると思っているだけではない。
目の前にいるベルダリアは性質学の専門家だ。そのベルダリアが、四百九十八点を取った今日ではなく、二年前から自分を研究室へ誘おうと考えていた。
だったら、研究者としてやっていくというのも、案外現実的な話なのかもしれない。
(大学か……)
昨日まで考えたこともなかった。
四級を取る。そのあとは森へ帰って、また修行する。それだけのつもりだったのに、今日一日で随分と選択肢が増えた。
会社に入って錬金術師として働くこともできる。セレスティア・アルケミーなら、ルークと一緒に研究することもできる。そしてアイゼンハルト大学へ行けば、研究そのものを続けていくこともできる。
どれも、できない話ではないらしい。
なら、自分はどうしたいのか。
レイジは隣に立つエレノアを見る。
エレノアは何も言わない。視線に気づいたのか、こちらを見ただけだった。
「なんだ」
「いや、なんでもないです」
「そうか」
それだけだった。
レイジは小さく息を吐く。
三年間、エレノアから錬金術を教わってきた。
今日の試験では四百九十八点だった。《抽出》も《精製》も《付与》も《発現》も満点だった。それでも、《識別》では三つ見落とした。
エレノアなら、たぶん全部見つける。
試験の途中でも何度そう思ったか分からない。自分では十分にできたつもりのことでも、師匠ならもっと速く、もっと正確にやる。
三年も教わった。
だが、もう教わることがないとは、とても思えなかった。
それに、十年間教えてもらうと決めて始めた修行だ。大学という面白そうなものを見つけたからといって、三年でそちらへ移るのも違う。
研究はしたい。大学にも興味はある。いつか研究を仕事にするのも、今なら普通に想像できる。
ただ、今ではない。
今はまだ、師匠から学びたい。
そこまで考えると、答えは思っていたより簡単だった。
「クローネ教授」
「……はい」
ベルダリアがすぐに顔を上げた。
「ありがとうございます。すごくいい話だと思います」
「はい」
「研究も面白いですし、大学にも興味があります」
「……はい」
ベルダリアの返事が少しだけ速くなった。
期待させている気がして、レイジは続ける。
「でも、今は行きません」
「…………」
ベルダリアが止まった。
「まだ師匠から学びたいことがありますし、十年教えてもらうって決めたのに、途中でやめるのも違うと思うので」
「……そうですか」
「すみません」
「いえ」
ベルダリアは頷いた。
思っていたよりあっさりしている。
そう思ったのだが。
「…………」
「…………」
ベルダリアはまだ帰らなかった。
「クローネ教授?」
「……その」
「はい」
「修行が……終わったあとは?」
やはり諦めたわけではなかったらしい。
レイジは少し考える。
「それは、まだ分からないですね」
「……そうですか」
「七年後ですよね。そのとき何をしたいかなんて、今はまだ分かりません」
今の時点で七年後の仕事まで決めるつもりはなかった。
「でも、そのときやりたいことが研究だったら、俺から声をかけさせてもらいます」
ベルダリアがレイジを見る。
「……本当ですか?」
「はい。そのときクローネ教授がよければですけど」
「大丈夫です」
返事が早い。
「七年後ですよ?」
「……大丈夫です」
「そうですか」
何が大丈夫なのかはよく分からないが、ベルダリアがそう言うなら大丈夫なのだろう。
「じゃあ、そのときはよろしくお願いします」
「……はい」
ベルダリアが小さく頷く。声はいつもと変わらないが、さっきより少しだけ機嫌がよくなったような気がした。
「決まったか」
エレノアが言った。
「はい。今は師匠のところで続けます」
「そうか」
やはり、それだけだった。
行きたいなら行けばいいと言ったときと何も変わらない。
レイジは苦笑する。
「もうちょっと何かないんですか?」
「何がだ」
「いや、ないならいいです」
「そうか」
本当にないらしい。
ベルダリアとの話も終わった。
今度こそ帰れる。
今日だけで何度そう思ったか分からないが、今度こそ本当だろう。
「じゃあ師匠、ギルドに行きましょうか」
「ああ」
王都錬金ギルドには転移陣がある。そこまで行けば、あとは森へ帰るだけだ。
レイジはエレノアと歩き出した。
大学の周辺は、まだ四級試験の結果発表を見に来た人間で騒がしかった。合格者らしい若者と、その家族。企業の人間。見覚えのある受験者もいる。
少し歩いたところには、朝にはなかった簡易の受付が作られていた。
「四級合格者のドラフトエントリーはこちらです!」
声が聞こえる。受付の前には何人かの合格者が並んでいた。
レイジはそちらを見る。
今日、四社から声をかけられた。
クラーク錬金魔道具。サンタンデール工房。グレア工務店。そしてセレスティア・アルケミー。
条件を聞いて、ルークとも話した。その上で、今は働かないと決めた。
なら、登録する理由もない。
レイジはそのまま受付の前を通り過ぎた。
「――すみません!」
後ろから声が飛んできた。
またか。
レイジは足を止める。
振り返ると、一人の男がこちらへ走ってきていた。企業の人間には見えない。手には紙と筆記具を持っている。
「レイジ・クゼさんですよね?」
「はい」
「王立新聞です。少しだけよろしいでしょうか」
「新聞?」
レイジはエレノアを見る。
「好きにしろ」
「じゃあ、少しだけなら」
「ありがとうございます」
男は一度息を整え、それから受付のほうを見た。
「ドラフトにはエントリーされないんですか?」
「しません」
男の手が止まった。
「……されない?」
「はい」
「これから、ということでもなく?」
「今のところは」
「理由を聞いても?」
「まだ師匠のところで修行を続けるつもりなので」
男がエレノアを見る。
エレノアは何も言わない。
「そう、ですか」
「はい」
男は手元の紙に何かを書き込んだ。
「ありがとうございました」
「もういいんですか?」
「はい。十分です」
何が十分なのか分からないが、終わったならありがたい。
「じゃあ、行きましょうか」
「ああ」
レイジは再び歩き出す。
後ろでは、まだドラフト受付の声が響いていた。
四級を取るために王都へ来た。
試験を受けて、四百九十八点を取って、なぜか四社から勧誘され、最後には大学にまで誘われた。
思っていたより随分と長い二日間になった。
だが、これで全部終わりだ。
あとは王都錬金ギルドまで行って、転移陣を使うだけ。
ようやく森へ帰れる。




