クローネ教授の研究室
「クローネ教授も、レイジ君に用事ですか?」
ルークが尋ねると、ベルダリアの肩がわずかに動いた。
「……はい」
「そうですか」
ルークはそれ以上聞かなかった。
「では、僕はそろそろ戻ります。クローネ教授、また研究でご一緒することがあればよろしくお願いします」
「……こちらこそ」
「エレノアさんも、また」
「ああ」
最後にレイジへ向き直る。
「レイジ君も。さっき言った話はいつでも大丈夫ですから」
「ありがとうございます」
ルークは軽く頭を下げ、そのまま人混みの中へ消えていった。
相変わらず感じのいい人だった。
そして、今度こそ終わった。
レイジは小さく息を吐く。今日だけで四社から声をかけられた。最後には七大企業のセレスティア・アルケミーまで来た。
だが、もう大丈夫だ。
目の前にいるベルダリアは、アイゼンハルト大学の教授である。
会社員ではない。
「それで、クローネ教授。俺に何か?」
「……はい」
ベルダリアは答えた。
それから黙った。
「…………」
「…………」
何かあるらしい。
レイジは待った。
ベルダリアも黙っている。
「クローネ教授?」
「……大学に来ませんか?」
「大学?」
「はい」
何の話だろう。
「アイゼンハルト大学ですよね?」
「……そうです」
「何か研究でも?」
《格納》の研究で知り合った相手だ。新しい研究に人手が必要なのかもしれない。
ベルダリアは首を横に振った。
「……授業料は、いりません」
「はい?」
「研究設備も……使えます」
話が繋がらない。
「あと、十五歳なのは……私がなんとかします」
「ちょっと待ってください」
レイジは片手を上げた。ベルダリアが黙る。
「クローネ教授、落ち着いて」
「……落ち着いてます」
「じゃあ、順番にお願いします」
「……はい」
ベルダリアは少し考えた。
「私の研究室に……来ませんか?」
「そこからだったんですね」
どうやら研究の手伝いではないらしい。
「つまり、俺をアイゼンハルト大学に入れたいってことですか?」
「……はい」
「学生として?」
「はい」
ようやく話が見えてきた。
いや、まだ分からない。
「でも俺、十五歳ですよ」
「それは……私がなんとかします」
さっき聞いた。
「普通に入れる年齢じゃないですよね?」
「……普通には、無理です」
「ですよね」
「なので……特待生にします」
「できます?」
「……します」
できるかどうかを聞いたのだが。
ベルダリアの顔は真剣だった。どうやら本当にやるつもりらしい。
「それで授業料がいらない?」
「はい。私の研究室に入れば……大学の研究設備も使えます。必要な資料もありますし……性質学なら、たぶん森より揃ってます」
最後の一言に、エレノアの眉がわずかに動いた。
「ほう」
「……事実です」
「何も言ってないが」
「……そうですか」
また空気がおかしくなった。
レイジは話を戻す。
「待ってください。そもそも、なんで俺なんです?」
ベルダリアがレイジを見る。
「……《格納》」
「《格納》?」
「二年前から……誘おうとは思ってました」
「二年前?」
思わず聞き返した。
今回の試験ではない。《格納》を研究していた頃からということになる。
「実験のとき……分かっていることと、分かっていないことを分けてましたよね」
「まあ、それは」
「推測を……推測のまま扱ってた。試す方法も考えてたし……結果が違えば、考え直してた」
ベルダリアの言葉が少しずつ速くなる。
「識別も十三歳としてはおかしかったですし、抽出も精製も……論文をまとめたときも、断定できないところを自分で見つけてました。あと研究の進め方も……」
「クローネ教授」
「……はい」
「また速くなってます」
「……すみません」
二年前にも、こんなことがあった気がする。
研究の話になると急に喋る。
そこは変わっていないらしい。
「つまり、《格納》の研究をしてたときから俺を評価してくれてた?」
「……はい」
「じゃあ、四百九十八点だったから誘ったわけじゃないんですか?」
ベルダリアが少し首を傾げた。
「……違いますけど」
「違うんだ」
「昨日から……誘うつもりで待ってましたし」
「昨日?」
レイジは瞬きをした。
昨日、王都へ来て四級試験の会場へ向かったとき。校門の前に、全身真っ黒な女が立っていた。
『……レイジ君』
『こんなところで何してるんですか?』
『……試験を見に来ました』
そのあとベルダリアは、エレノアと一緒にレイジの試験が終わるのを待っていた。
「昨日、俺を誘うために来てたんですか?」
「……はい」
「言ってませんでしたよね?」
「…………」
ベルダリアの視線が横へ動く。
そこにはエレノアがいる。
「……言えなかったので」
「なんでですか」
「…………」
今度はエレノアを見た。
「私か?」
「……別に」
「じゃあ言えたんじゃないですか?」
「…………」
言えなかったらしい。
レイジは額を押さえた。昨日から待っていたのに、一日経ってようやく本題に入ったことになる。今日だって、ルークが帰るまで何も言わなかった。
よく考えれば、《格納》の研究でもそうだった。研究そのものについては普通に話していた。むしろ研究の話になると、止めなければならないくらい喋る。
それ以外は。
「……クローネ教授」
「はい」
「今日話せてよかったですね」
「……はい」
ベルダリアが小さく頷いた。
「それで、四百九十八点は……確認です」
「確認?」
「二年前より、ちゃんと上達してるか」
「四百九十八点でしたけど」
「……なので、問題ないです」
問題ないで済ませる点数ではないらしいのだが、昨日までの自分ならそのまま納得していたかもしれない。
「大学に入ったら、ずっとクローネ教授の研究室に?」
「最初は……学生です。卒業したら助手になればいいですし。そのあとも研究を続けるなら……教授になればいいので」
「そんな簡単に教授になれます?」
「簡単ではないです」
「ですよね」
「でも、あなたなら……たぶん」
そこでベルダリアは言葉を切った。
四百九十八点。《格納》の論文。そして二年前から見ていたというベルダリアの評価。
ただ適当に言っているわけではないのだろう。
「でも、本当に十五歳を大学に入れられるんですか?」
「……入れます」
「かなり無茶してません?」
「少しくらいなら……」
「少し?」
ベルダリアは黙った。
少しではないらしい。
「……必要なら、制度のほうをなんとかすればいいので」
「教授が言っていいんですか、それ」
「アイゼンハルトだって……必要なら、そのくらいするでしょうし。伝記とか読む限り」
レイジは隣を見る。
エレノアもベルダリアを見ていた。
「そうだな」
ベルダリアが眉を寄せる。
「……そういうところです」
「何がだ?」
「……別に」
レイジは黙って二人を見る。
やはり、この二人を会話させると妙な空気になる。
それにしても、ベルダリアがアイゼンハルトの伝記を読んでいるとは知らなかった。大学の名前にもなっている人物だ。錬金術師なら読んでいても不思議ではないのだろう。
「師匠」
「なんだ」
「クローネ教授の研究室って、どうなんです?」
ベルダリアがエレノアを見る。
エレノアは少し考えた。
「研究者としては優秀だ」
「……研究者としては?」
「そう言った」
「……そうですか」
ベルダリアの声が少し低くなった。
「大学の設備も悪くない。性質学をやるなら、あそこ以上に資料が揃っている場所もそうないだろう」
「じゃあ、かなりいい環境なんですね」
「ああ」
エレノアはあっさりと頷いた。
「行きたいなら行けばいい。決めるのはお前だ」
昨日までなら、大学へ行くという発想自体がなかった。
四級を取る。それが終わったら、また森へ戻って修行する。それだけだった。
今日になって、急にその先が増えた。
会社で錬金術師として働く。セレスティアの研究部で、ルークと一緒に研究する。そして、アイゼンハルト大学で研究を続ける。
金だけなら、セレスティアの条件は文句なしだった。
だが、ベルダリアの話は少し違う。
大学の研究室。大量の資料。自由に使える研究設備。
分からないものを調べて、試して、また分からないことを見つける。
二年前の《格納》を思い出す。
鉄鉱石とオリハルコン鉱石が入れ替わる理由を考え、時間を測り、仮説を立てた。外れたものもあった。最後には、それまで誰も知らなかった《格納》という性質が残った。
面白かった。
あれをずっと続けていく。
それで生きていく。
そんな人生もあるらしい。
レイジはベルダリアを見る。
さっきまで何を言っているのか分からなかった勧誘が、ようやく一つの形になっていた。
思っていたよりずっと、自分に向いているかもしれなかった。




