錬金術をやるか?
女は何も言わなかった。先ほどまでと同じように怜司を見ているのだが、その目つきが少し違う。食事中はどこか面白がるような雰囲気があったのに、今は完全に何かを考えている顔だった。
そして、もう一度怜司を見る。
「識別」
また、それだ。何かが起きたようには見えない。光ったりもしないし、音が鳴るわけでもない。ただ、女の視線だけが怜司の身体をじっと追っている。
「さっきもやりましたよね、それ」
「ああ」
「何か変わりました?」
「いや。確認しただけだ」
「そんなに確認が必要な結果だったんですか?」
「そうだな」
嫌な答えだった。病院で検査結果を二度見されたら、多分こんな気分になるのだと思う。いや、俺は実際に病院で死んだばかりなのだが、そのときは結果を聞く余裕すらなかった。
女はしばらく考えてから口を開いた。
「分かったことは、主に三つだ」
「三つ」
「ああ。まず、その肉体は十二歳ほどだ」
「十二歳?」
怜司は思わず自分の身体を見た。鏡で見たときは十歳前後だと思った。
「もっと小さく見えますけど」
「酷く衰弱していたからな。長い間、まともな生活をしていなかったのだろう」
なるほど。十二歳。三十八歳から十二歳。若返ったという言葉で片づけるには、少々サービスが過剰だった。
「二つ目」
女が続ける。
「お前には、錬金術師として類い稀な才能がある」
「俺が?」
「ああ」
これは予想していなかった。十二歳になっただけでも十分なのに、どうやら特典まで付いてきたらしい。
「どれくらいです?」
「数十年に一人、いるかどうかだな」
「それ、類い稀で済ませるんですか?」
「類い稀だと言っただろう」
そういう問題だろうか。少なくとも俺なら、会社に数十年に一人の営業が入ってきたら、「なかなか期待できる新人です」では済ませない。
「それで、三つ目は?」
そこで女が黙った。一つ目は年齢。二つ目は才能。なら三つ目も同じ調子で出てくるものだと思ったのだが、少し違うらしい。
「肉体と魂に、大きな齟齬がある」
「……齟齬?」
「ああ」
「それって、どういう?」
「そのままの意味だ」
いや、分からないから聞いている。
「お前は先ほど、自分は三十八歳で、一度死んだと言ったな」
「はい」
「そして目を覚ましたら、その肉体になっていた」
「そうです」
「なら、私が識別した結果とも辻褄は合う」
女はそこで少し考え込んだ。
「異世界……ふむ。あり得るな」
「あり得るんですか?」
怜司は思わず聞き返した。自分でも、さっきからその可能性を考えていた。だが、考えていた本人ですら、まだ半信半疑なのだ。それをこの女は、随分あっさり受け入れた。
「私があり得ると言えば、あり得るのだ」
「すごい自信ですね」
「事実だからな」
何が事実なのかは分からない。異世界があることなのか、この女がそう言えばそうなることなのか。
「別の世界があるって、確認されてるんですか?」
「そこまでは知らん」
「知らないんですか」
「私が知っているのは、この世界とは異なる空間が存在し得るということだけだ」
女は平然と答えた。
「そこにお前の言うニホンという国があるのか。人間が住んでいるのか。そもそも世界と呼べるものなのか。それは知らん」
なるほど。異世界の存在を知っているわけではない。ただ、そんなものは絶対に存在しない、と否定する理由もないらしい。
「それに、お前の話と識別の結果は矛盾していない」
「じゃあ、本当に転生したって考えていいんですかね」
「好きにしろ。何が起きたのかまでは私にも分からん」
そこは分からないらしい。妙なところで自信満々なのに、分からないことはあっさり分からないと言う。変な人だ。だが、信用はできる気がした。
少なくとも、自分が頭でも打って三十八歳の会社員だと思い込んでいる十二歳の少年、というわけではなさそうだ。
俺は一度死んだ。そして、知らない世界で知らない子供の身体になって生きている。
転生。
そんなものは小説や漫画の中だけの話だと思っていたが、他にもっと納得できる説明があるかと言われると困る。
「まあ、転生したってことでいいか」
誰に言うでもなく呟く。
そこで、一つの言葉が引っかかった。
魂。
女は確かにそう言った。肉体と魂に、大きな齟齬がある。
怜司はもう一度、自分の手を見た。小さい。痩せている。当然だが、これは三十八年間使ってきた自分の身体ではない。
なら、この身体には。
「一つ、聞いていいですか」
「なんだ」
「魂って、この身体にも元々あったんですよね」
女の目がわずかに細くなった。
「ああ」
それだけだった。だが、十分だった。
この身体には元々、別の人間がいた。怜司が目を覚ますより前に、この手を動かしていた人間がいた。この目で物を見て、この口で飯を食って、生きていた人間が。
それなのに、今ここにいるのは自分だ。
「その人は、どうなったんです?」
「死んでいる」
短い答えだった。
胸の奥が少し重くなる。予想していなかったわけではない。森の中に倒れていたこの身体の状態を考えれば、むしろ自然な答えだ。
だが。
「それ……」
言葉が止まった。聞くべきか迷った。
いや。これは聞かなければ駄目だ。
「俺が原因ですか?」
女が怜司を見る。
「俺がこの身体に入ったから、その人が死んだとか」
自分で言っていて、嫌な想像だった。
俺は何も選んでいない。日本で死んだ。次に目を覚ましたら、こうなっていた。だから俺にはどうしようもなかった。そう言うことはできる。
だが、もし俺が生きていることと引き換えに誰か一人が死んだのなら。それを知らないまま「第二の人生だ」と喜ぶ気にはなれない。
「違う」
返事は早かった。
「それは断言できる」
「本当に?」
「ああ」
女は迷わなかった。
「お前がこの肉体へ定着するより先に、元の生命は失われている」
「俺が入ってきたから、その人がいなくなったわけじゃない?」
「逆だ」
女はそれ以上説明しようとはしなかった。
「元の生命が失われた後に、お前が定着した。少なくとも、私が識別した限りではそうなる」
しばらく言葉が出なかった。やがて、怜司の身体から力が抜けた。背もたれへ身体を預ける。
「よかった……」
自分でも驚くほど素直に出た。
この身体の元の持ち主が、どんな人間だったのかは知らない。どう生きていたのかも、どうしてあの森に倒れていたのかも分からない。十二歳。それだけ聞けば、死ぬにはあまりにも早いと思う。
それでも、俺が殺したわけではない。その事実だけで、かなり違った。
怜司はもう一度、自分の手を見た。元々は他人のものだった手。だが、今は自分の意思で動く。腹も減る。飯を食えば美味い。そして、生きている。
病院で最後に考えたことを思い出した。
もし次があるなら。今度はもう少し、楽しむ方を優先してもいいかもしれない。
まさか本当に次があるとは思っていなかったが。
「じゃあ、まあ……」
小さく息を吐く。
「俺が殺したわけじゃないなら、ありがたく生きさせてもらいますか」
女が眉を上げた。
「随分と切り替えが早いな」
「考えて分かることなら考えますけど、分からないんでしょう?」
「ああ」
「日本に戻る方法は?」
「知らん」
「なんで俺がここに来たのかは?」
「知らん」
「だったら、今考えても仕方ないですね」
死んだ理由なら、病名を調べることくらいはできただろう。だが、死後に異世界へ来た理由を調べろと言われても、問い合わせ先が分からない。神様窓口でもあるなら紹介してほしい。
「一回死んでるんです。だったら二回目くらい、好きに生きてもいいでしょう」
女は怜司を見ていた。何を考えているのかは分からない。やがて、ほんの少しだけ口元が緩んだ。
「面白いな、お前」
「よく言われます」
「そうなのか?」
「すみません。今のは適当に言いました」
「なんだそれは」
少しだけ空気が軽くなった。
転生した。理由は分からない。帰る方法も分からない。この身体の元の持ち主を自分が殺したわけでもない。なら、今のところ考えられることは全部考えた。あとは生きるしかない。
「じゃあ」
怜司は椅子から立ち上がろうとした。足に力を入れたところで、まだ身体が完全には戻っていないことを思い出す。少しふらついた。
「何をしている」
「いや、そろそろ行こうかと」
「どこへ?」
「街です」
女が黙った。
「街があるんですよね?」
「あるが」
「だったら、そこまで行けば何とかなるでしょう」
三十八年間、日本で生きてきた。そのうち十五年は社会人だ。言葉も通じる。文字もなぜか読めるらしい。異世界の常識は知らないが、少なくとも人間が生活している街があるなら、何かしら仕事くらいは見つかるだろう。
いつまでも命の恩人の家に転がり込んでいるわけにもいかない。
「世話になりました」
怜司は頭を下げた。
「命まで助けてもらって、飯まで食わせてもらって。本当にありがとうございます」
「待て」
「はい?」
「金は?」
「……金?」
「持っているのか」
持っていない。そういえば、この服以外には何もない。財布はもちろん、スマートフォンも、身分証もない。そもそも日本円があったところで使えるかどうか怪しい。
「ないですね」
「家は?」
「ないです」
「身寄りは?」
「この世界にはいません」
「この国の常識は?」
「知りません」
「仕事は?」
「今から探そうかと」
「十二歳だぞ」
「…………」
忘れていた。いや、忘れていたわけではない。ついさっき聞いたばかりだ。だが中身が三十八歳なので、どうにも自分を保護される側の子供として考える感覚がない。
女は呆れたように怜司を見ている。
「その身体で、金も家も身寄りもなく、この国のことを何も知らないまま街へ行って、どうするつもりだ」
「……働く?」
「何をして」
「それを探しに」
「どうやって」
「…………」
詰んだ。
いや、まだ詰んだと決まったわけではない。街まで行けば何かあるかもしれない。住み込みの仕事とか、十二歳でもできる仕事とか。少なくとも日本よりその辺りは緩い可能性もある。
「それに」
女が怜司の思考を遮った。
「お前は昨日まで死にかけていた」
「そうでした……」
「まだ一人で街まで歩ける身体ですらない」
正論だった。ぐうの音も出ない。
怜司は立ち上がりかけていた身体を、ゆっくり椅子へ戻した。
「条件が悪いな……」
「何がだ」
「こっちの話です」
死ぬほどではない。だが、社会人として新生活を始める条件として考えるなら、かなり悪い。
十二歳。無一文。住所なし。身寄りなし。職なし。土地勘なし。常識なし。ついでに病み上がり。
あるのは、前世の記憶と――
「あ」
「なんだ」
「俺、錬金術の才能があるんでしたっけ」
「ああ」
忘れていた。数十年に一人いるかどうか。この女がそう言った。
「錬金術って、仕事になるんですか?」
「なる」
「稼げる?」
「腕のある錬金術師ならな」
それは大きい。
二回目の人生は、前より好きに生きる。そう決めた。だが、好きに生きるにも金はいる。美味いものを食うにも、酒を飲むにも、遊ぶにも。十二歳の今はともかく、いつかは恋愛だってしたい。
金がすべてではないが、金がないと選べないことは多い。その辺りは三十八年も生きれば嫌でも分かる。
そして自分には、その金を稼ぐための才能があるらしい。
「錬金術か……」
日本にはなかったものだ。どういうものなのかは、まだほとんど知らない。だが、この女がさっき使った識別も錬金術だという。
少なくとも興味はある。才能もある。仕事にもなる。
悪くない。
いや、今の俺が持っている条件の中では、かなりいい。
女はそんな怜司をしばらく見ていた。
「お前」
「はい」
「錬金術をやるか?」




