三年って怖いな
ヴィルツはもう一度答案へ目を落とした。それから、何事もなかったように次の受験者の確認へ移る。
レイジも自分の席へ戻った。三つ見落とした。どれだったのかは気になるが、今考えても仕方がない。試験はまだ続く。
しばらくして、机の上からゴブリンの牙が回収された。代わりに運ばれてきたのは、新しいゴブリンの牙と、いくつかの小さな器だった。
「続いて《抽出》の試験を行います」
試験官の声が響く。
「先ほどと同じゴブリンの牙から性質を一つ《抽出》してください。《抽出》によって素材が変質した場合は、変質後の素材から再び性質を一つ《抽出》すること。これを五回繰り返してください」
レイジは机の上の牙を見る。何を抜くかは指定されていないらしい。
なら、わざわざ難しいものを選ぶ理由もない。試験なのだ。確実に取れるものから取ればいい。
レイジはゴブリンの牙を《識別》する。さっき見つけた性質が、次々と意識の中へ浮かんでくる。その中から、浅いところにある一つを選んだ。
《臭気 Lv.2》。
これでいいか。
意識を集中する。性質だけを掴み、素材から引き離す。手の中に、小さな性質結晶が生まれた。
《臭気 Lv.2》。
同時に、机の上にあったゴブリンの牙が形を変えていく。牙よりも細長く、わずかに湾曲した角。
ホーンラビットの角だ。
レイジはそれを見て、ふと三年前のことを思い出した。
初めて《抽出》を教わった日。ゴブリンの牙から《硬質》を抜いた直後、牙が紫色の液体に変わった。
ポイズンスライムの体液。
あのときは、机の上に盛大にぶちまけた。
――器へ入れておいた方がいい。
そう言われていたのに、牙が液体になるなど想像できるはずもなかった。今となっては、素材が別の物質へ変わることにも何も感じなくなっている。
三年って怖いな。
レイジはホーンラビットの角を《識別》した。変質後の素材が何なのか分からなければ、次にどの性質を抜くかも決められない。
だが、この程度なら覚えている。師匠に素材図鑑まで読み込まされたのだ。
ホーンラビットの角なら――《治癒 Lv.1》。
これが取りやすい。
レイジは《治癒》へ意識を集中し、そのまま引き抜いた。二つ目の性質結晶が生まれる。
残された角が形を崩し、小さな木の実へ変わった。
ローデン樹の木の実。
なら、次はもっと分かりやすい。
《甘味 Lv.1》。
三つ目の性質結晶が生まれ、ローデン樹の木の実が細長い赤色の実へ変わる。
ビターチリペッパー。
レイジは一度だけ《識別》し直した。
《風 Lv.1》。
これでいい。
四つ目の性質結晶を取り出す。ビターチリペッパーが崩れ、今度は粘り気のある蜜へと変わった。
苦ミツムシの蜜。
その変化を確認して、また《識別》する。
《白 Lv.1》。
五つ目を抜く。淡い結晶が手元へ残り、蜜は赤黒い液体へ変わった。
レッドボアの胆汁。
終わりだ。
レイジは五つの性質結晶を器へ並べた。
《臭気 Lv.2》《治癒 Lv.1》《甘味 Lv.1》《風 Lv.1》《白 Lv.1》。
特に危ないところはなかった。周囲では、まだ三回目の《抽出》を行っている受験者もいる。
レイジは少し迷ってから、余計なことはせずそのまま待つことにした。試験なのだから、早く終わればいいというものでもないだろう。
ふと顔を上げると、少し離れたところにいたヴィルツと目が合った。
まただ。さっきから、妙にこちらを見られている気がする。
何かまずかっただろうか。
いや、失敗はしていないはずだ。レイジは手元の五つの結晶を見直した。全部ある。
なら大丈夫だろう。
やがて《抽出》試験の終了が告げられた。
続いて行われるのは《精製》。
「先ほど《抽出》した性質結晶を使用します。それぞれの性質を、現在の状態から一段階上のLvへ《精製》してください」
レイジは並べた結晶を見る。《臭気 Lv.2》だけがLv.2。残りはすべてLv.1だ。
つまり《臭気》はLv.3へ。残る四つはLv.2へ上げればいい。
《精製》でLvを下げるのは難しくない。問題は上げる方だ。失敗すれば、性質結晶そのものが壊れて消える。だからこその試験なのだろう。
レイジは《臭気 Lv.2》の結晶を手に取った。
意識を集中し、性質そのものを一段階上へ押し上げる。わずかな抵抗。その向こうへ押し込む。
結晶が一瞬だけ淡く光った。
《臭気 Lv.3》。
成功。
続いて《治癒 Lv.1》を《治癒 Lv.2》へ。《甘味 Lv.1》を《甘味 Lv.2》へ。《風 Lv.1》を《風 Lv.2》へ。
最後に《白 Lv.1》。
《白 Lv.2》。
五つ。すべて残った。
レイジは並んだ結晶を確認する。これも特に問題はない。
Lv.2や3で割ったら、師匠に何を言われるか分からない。
そう考えたところで、昔の光景が浮かんだ。
壊れた映像受信機を直すために、《発光 Lv.1》をLv.3まで上げようとしたときのことだ。一つ目はLv.2になる前に砕けた。次はLv.2まで上がって、Lv.3にする途中で砕けた。
そのたびに新しいヒカリダケから《発光》を抽出したせいで、作業台の端には光を失ったタケノキノコが積み上がっていった。
――晩飯はキノコスープだな。
結局、本当にその日の晩飯はキノコスープになった。翌朝も残りを食べた。
あの頃は、《発光 Lv.3》を一つ作るだけでも何度失敗したか分からない。
それから二年。今ではLv.2や3への精製で結晶を割ったら、そちらの方が師匠に何を言われるか分からない。
ぱきっ。
どこかから、小さな音がした。
レイジが視線だけを向ける。少し離れた席で、一人の受験者が手元を見つめていた。そこにあったはずの性質結晶がない。
割れたらしい。
その受験者は悔しそうに息を吐くと、残った結晶へ手を伸ばした。
……試験だもんな。失敗することだってある。
レイジが自分の手元へ視線を戻すと、また視線を感じた。
今度は確認しなくても、誰なのか分かった。
ヴィルツだ。
レイジがそちらを見ると、ヴィルツはすぐに別の受験者へ視線を移した。
やっぱり見られてるよな。
何なんだ。
《精製》試験が終わると、今度は受験者一人ひとりへ小さな魔石が配られた。
「次は《付与》です」
試験官が説明を続ける。
「《精製》を終えた性質結晶を、支給された魔石へ《付与》してください」
レイジは魔石を手に取った。
かなり小さい。
魔石は普通の素材と違い、性質を《付与》しても別の物質へ変質しない。複数の性質を同時に保持することもできる。
ただし、入れられるからといって簡単なわけではない。
魔石は小さく、等級が低いほど《付与》の難度が上がる。さらに性質を重ねれば重ねるほど、要求される精度も高くなる。
試験用に支給されたこの小さな魔石へ五つ。
四級試験としては、最後まで性質結晶を残した受験者ほど仕事が増えるようにできているらしい。
レイジは一つ目の結晶を手に取った。
《臭気 Lv.3》。
性質結晶が淡い光となり、魔石へ吸い込まれる。
二つ目、《治癒 Lv.2》。ここまでは何も難しくない。
三つ目、《甘味 Lv.2》。
四つ目、《風 Lv.2》。
性質が増えるにつれ、魔石の中で狙った位置へ性質を収める感覚が少しずつ細くなっていく。
最後に《白 Lv.2》。
五つ目。
ここまで来れば、最初の一つを入れたときと同じようにはいかない。すでに収まっている四つを崩さず、残った場所へ新しい性質を滑り込ませる。
レイジは少しだけ時間をかけた。
結晶が淡い光へ変わり、魔石へ吸い込まれていく。
消えた。
レイジは《識別》する。
《臭気 Lv.3》《治癒 Lv.2》《甘味 Lv.2》《風 Lv.2》《白 Lv.2》。
全部ある。
これで《付与》も終わりだ。
顔を上げると、今度はヴィルツが露骨にこちらを見ていた。目が合っても逸らさない。
何だろう。
レイジは少し考えた。
もしかして、早すぎたか。
とはいえ、わざと遅くやるのもおかしい。師匠なら、五つくらいもっと簡単に入れるだろうし。
レイジは諦めて、魔石を机の上へ置いた。
しばらくして最後の受験者の作業が終わり、試験官たちが確認へ回る。《付与》まで終えた魔石は、そのまま受験者の机に残された。
そして。
「これより、最後の実技試験を行います」
教室の空気が少し変わった。
五体系。《識別》《抽出》《精製》《付与》。
残るのは一つ。
《発現》。
レイジも姿勢を正した。
「《発現》の課題は、毎年この場で発表されます」
なるほど。だから事前に試験内容を調べても分からなかったのか。
「今年の課題を発表します」
試験官が受験者たちを見渡す。
「これまでの実技試験で作成した魔石を使用し、実用性を持つ錬金具を一つ作成してください」
教室がざわめいた。
レイジは瞬きをした。
実用性を持つもの。
つまり、ただ性質を《発現》させればいいわけではないらしい。
自分が残した魔石を見下ろす。
《臭気 Lv.3》《治癒 Lv.2》《甘味 Lv.2》《風 Lv.2》《白 Lv.2》。
レイジは腕を組んだ。
さて。
これで何を作るか。




