君がレイジ君か
論文をまとめてから、数日が経った。
大学側の確認を終え、その間に発表用の資料も整えた。ようやく迎えた発表当日、レイジたちはアイゼンハルト大学の教室に集まっていた。
発表に使われる教室へ入った瞬間、レイジは思っていたより人が多いことに気づいた。百人ほどは入りそうな教室の席が、八割ほど埋まっている。
年齢も服装もばらばらだった。ベルダリアと似た雰囲気の研究者らしい者もいれば、胸元に錬金術師の資格章をつけた者もいる。そのほとんどが知らない顔だった。
前に立つのは、主著者のルークと、共著者であるベルダリア、そしてレイジの三人だ。エレノアとノエルは客席側に座っている。
「結構いますね」
「新性質の発表ですからね」
ルークはそう言いながら、手元の資料を確認している。
落ち着いている。十五歳にして四級錬金術師。それだけでも十分すごいと思っていたが、こういう場でも普段とあまり変わらないらしい。
「レイジ君は落ち着いてますね」
「そう見えます?」
「見えますよ」
緊張していないわけではない。前の仕事でも人前で話すことはあった。会議もあったし、客先で説明することもあった。それでも、知らない人間が八十人もいる前で話せと言われれば普通に緊張する。
まして今回は、自分が一年ほど前に始めたばかりの錬金術についてだ。
「……あなた、やっぱり怖いですね……」
ベルダリアが小さな声で言った。
「なんでですか」
「……十三歳ですよね?」
「十三歳です」
「……そうですか……」
数日前にも似たようなやり取りをした気がする。
やがて開始の時間になり、教室のざわめきが静まった。
最初に前へ出たのはルークだった。
今回の研究について、最初から順に説明していく。グレイスへ運び込まれたオリハルコン鉱石が鉄鉱石へ変化し、その後、再びオリハルコン鉱石へ戻ったこと。調査の過程で、それまで知られていなかった《格納》という性質が確認されたこと。
《格納》を抽出し、別の素材へ付与しても、今回試した範囲では素材そのものに変質は見られなかった。そして、《格納》の内部には別の性質構成が存在し、錬金術的な干渉によって表側の性質構成が切り替わる。
話はさらに、切り替わるまでの間隔が次第に短くなり、最後には鉄鉱石の状態で止まったことへ続いた。
採掘地点について調べた結果、通常の鉱脈として考えるには不自然な点が多かったことも説明される。
「以上のことから、今回採掘された物質については、天然の鉱脈として形成されたものではなく、何らかの魔物に由来する物質である可能性も考えています。ただし、現時点で由来を特定できるだけの根拠はありません」
ルークはそこで一度言葉を切った。
断定しない。論文をまとめるとき、何度も確認した部分だった。
分かったことと、分かっていないことを分ける。それが思っていた以上に大事らしい。
ベルダリアからは、既存の性質研究との比較について補足が入った。《格納》と同じ性質が過去に報告された記録は、大学で確認できた範囲では存在しない。
小さな声なのは相変わらずだったが、性質の話になると途端に説明が長くなる。
そして、レイジの番が来た。
「では、実験条件の整理については、レイジ君から説明してもらいます」
ルークに呼ばれ、レイジは一歩前へ出た。
視線が集まる。やっぱり緊張する。
だが、話す内容は決まっている。
「《格納》の実験中、一度、それまで変化しなかった試料が別の状態へ切り替わりました」
レイジは当時の実験を思い出す。
「ただ、同じ条件でもう一度変わったとしても、何が原因で変わったのかまでは分かりません。なので、そのときまでと違っていた条件を、一つずつ確認することにしました」
同じ条件では変化した。条件を一つ外すと変化しなかった。もう一度戻すと、再び変化した。
「それで、《格納》に対して錬金術的な干渉を行うことが、切り替わる条件だと判断しました」
そこまで説明してルークを見ると、小さく頷いた。レイジは自分の場所へ戻る。
あとはルークが研究全体の結論をまとめ、発表そのものは終了した。
「以上となります。ご質問があればお願いします」
教室の空気が少し変わった。
すぐに一人の男が手を挙げた。金色の髪を七三に分けた、細身の男だった。比較的背が高く、きっちりとしたスーツを着ている。
「先ほど、実験条件について説明していた方に伺いたい」
男がレイジを見る。
「はい」
「《格納》を別の素材へ付与する実験でも、同じような考え方で条件を分けたのですか?」
予想していた質問とは少し違った。だが、答えられる。
「はい。あのときは素材ごとに記録を分けました」
「素材ごと?」
「付与する前と、《格納》を付与した後、それから《格納》を抽出した後です。同じ結果になったとしても、どの素材で、どの状態だったのかが分からなくなると比較できないので」
男が頷く。
「なるほど」
それで終わりかと思ったが、もう一つあったらしい。
「切り替わりの間隔が短くなっていると判断した件についても、あなたが記録を整理したと聞きました」
「はい。ただ、最初に気づいたのはノエルさんです」
レイジは客席のノエルを見る。
「えっ、私!?」
突然名前を出されたノエルが、慌てて姿勢を正した。なぜか一度周りを見てから、小さく頭を下げる。
別に立たなくてもいいと思う。
「ノエルさんが、切り替わるまでの間隔が短くなっているんじゃないかと気づきました。それで、記録を全部並べ直しました」
「発生した時刻ではなく?」
「はい。変わった時刻だけだと比べにくかったので、前に変わってから次に変わるまで、どれくらい経っていたかで並べました」
少し長いところもあれば、短いところもあった。それでも、全体として見れば後になるほど短くなっていた。
男はしばらく考えてから、もう一度頷く。
「よく分かりました。ありがとうございます」
「いえ」
レイジは軽く頭を下げた。
答えられた。少しだけ肩の力が抜ける。
「ほかにありますか?」
ルークが教室を見渡す。
そこで、客席の一番見慣れた人物が手を挙げた。
嫌な予感がした。
「素人質問で恐縮だが――」
「……素人?」
隣にいたベルダリアが呟いた。
小さい声だったが、レイジには聞こえた。エレノアは気にした様子もない。
「今回の研究結果を踏まえて聞きたい。《格納》には、どのような利用価値があると考える?」
教室が静かになった。
レイジも黙る。
そこは、論文には書いていない。《格納》で何が起きたか。どうすれば切り替わるか。何が分かっていて、何が分かっていないか。そこまでは考えた。
では、それを何に使うのか。
エレノアを見る。何も言わない。答えを教える気はないらしい。
《格納》は、内部に別の性質構成を保持する。そして、干渉を受けることで表側に現れる性質構成が切り替わる。
なら、その切り替わる性質を最初から何かに利用できないだろうか。
そこまで考えて、レイジは以前に習った《発現》のことを思い出した。
魔石へ性質を付与し、それらを術式で結び、狙った働きとして現す。以前、壊れたテレビを直したときにもやったことだ。
あのときは必要な性質を揃え、それぞれが正しく働くように術式を組んだ。
もし、《格納》そのものが性質を切り替えられるのなら。
「……反対の働きをする性質を、一つの魔道具で使う場合でしょうか」
エレノアの目がわずかに細くなった。
「続けろ」
「例えば、温めるものと冷やすものです」
前の世界なら、冷暖房。湯を沸かす機械にも、温度を調整する仕組みがあった。
もちろん、その構造を知っているわけではない。だが、必要に応じて反対の働きを切り替える道具が便利だということは知っている。
「今までは、両方を使おうとすると、それぞれの性質を付与して、それをどう働かせるかまで《発現》の術式で組む必要がありますよね」
「ああ」
「でも、《格納》の中にもう一方の性質構成を持たせて、必要なときに切り替えられるなら……」
言葉にしながら、考えが繋がっていく。
二つの働きを同時に術式で制御するのではない。必要な性質構成そのものを切り替える。
「《発現》の術式を、かなり簡単にできるかもしれません」
言ってから、自分でも少し驚いた。
まだ試していない。本当に作れるかも分からない。そもそも、《格納》の中へ狙った性質を自由に入れられるのかさえ分かっていない。
「もちろん、今の段階では可能性だけです。《格納》の中身を自由に入れ替えられるかも分かりませんし、実際に魔道具へ使えるかも試してません」
「それでいい」
エレノアはそれだけ言った。
教室のあちこちから小さな話し声が聞こえ始める。ベルダリアまで黙って何かを考えていた。
どうやら、まったく見当違いというわけではなかったらしい。
その後もいくつか質問が出たが、主に答えたのはルークとベルダリアだった。分からないことについては、分からないと答えた。
師匠に言われた通りだ。
やがて質疑応答が終わり、発表は終了した。
終わったと思った瞬間、どっと疲れた。
「お疲れさまでした」
ルークが笑っている。
「レイフォードさん、よく平気ですね」
「僕も緊張してましたよ」
「全然そう見えませんでした」
「レイジ君もですよ」
それなら、お互い様らしい。
席を立つ者が増え、教室の中が再び騒がしくなる。客席では、ノエルがこちらへ向かって小さく手を振っていた。その隣でエレノアは、何事もなかったような顔をして座っている。
レイジも荷物をまとめようとしたところで、誰かが近づいてきた。
顔を上げると、先ほど質問してきた金髪の男だった。
「君がレイジ君か」
「はい」
返事をしてから、少し妙な感じがした。
自分は、この人の名前を知らない。だが、向こうは自分の名前を知っている。
「先ほどはありがとうございました」
「こちらこそ。素晴らしい発表だったので、一言伝えておきたくてね」
男はそう言って、軽く笑った。
「アルベルト・ヴァレンシュタインだ」
「レイジ・クゼです」
名乗ってから、必要なかったことに気づいた。向こうは最初から知っている。
アルベルトはもう一度軽く頭を下げると、そのまま教室を出ていった。レイジはその背中を見送った。
数日前まで、自分の姓を知っている人間は、この世界ではエレノア一人だけだった。必要になったから、昔の姓を借りただけだった。
それが今日は、自分の知らない人間から名前を呼ばれた。
倉庫で鉄鉱石を見たところから始まった話は、もう自分たちだけのものではないらしい。




