レイジ・クゼでお願いします
グレイスを離れてから、五日が経った。
その間、レイジとエレノアは森の屋敷へ戻っていた。久しぶりに自分のベッドで眠り、いつものように朝から錬金術を学び、腹が減れば飯を食う。グレイスでの数日が妙に慌ただしかったせいか、そんな生活が少し懐かしく感じられた。
そして五日目の朝。
「行くぞ」
「はい」
エレノアが屋敷の転移装置を起動する。景色が切り替わり、次にレイジが目を開けたとき、そこはもう学術都市アイゼンハルトだった。
エレノア・アイゼンハルトの功績を讃え、その出生地が錬金術の故郷として栄えた、ルヴェリア王国第二の都市だ。
「……やっぱり便利だな、これ」
「そうか?」
「レイフォードさんたちは五日かけて馬車で来てるんですよね?」
「そうだな」
エレノアは何でもないことのように答えた。
レイジたちは家で休んでいた。その間、ルークとノエルは馬車に揺られていたことになる。
世の中は不公平だ。
待ち合わせまで少し時間があったため、二人は街を歩くことにした。
グレイスとは、ずいぶん雰囲気が違う。通りを歩く人間は若い者が多く、何人かで紙を覗き込みながら議論している者もいれば、見たことのない器具を抱えて早足で通り過ぎていく者もいる。
店先に並ぶ品にも、レイジには用途の分からないものが多かった。
グレイスでは、鉱石や素材を運ぶ馬車を何度も見た。ここでは、その素材をどう使うのかを考えている人間のほうが多いように見える。
「……あ」
見覚えのある看板があった。ポップな白い牛のキャラクターは、グレイスでも見た。
カウミーちゃんだ。
街並みが変わっても、カウミーちゃんはある。本当にコンビニみたいだな。
「何を見てる」
「いえ。どこにでもあるんだなと思って」
「それはあるだろう。カウミーちゃんだぞ」
エレノアは興味なさそうに歩いていく。
なんだ、その信頼は。
しばらく街を見て回ったあと、二人はアイゼンハルト大学へ向かった。
大学の前では、すでにルークとノエルが待っていた。
「おはようございます」
レイジが声をかけると、ルークが振り返る。
「おはようございます。ちょうどよかったです。僕たちも今着いたところで」
「今?」
「ええ」
レイジはノエルを見る。
「五日間ずっと馬車ですか?」
「……はい。途中で宿には泊まりましたけどね。さすがに今日は、揺れてない床がありがたいです」
ノエルが少し遠い目をした。
「お疲れさまです」
「本当にそう思ってます?」
「思ってますよ」
家で寝て、今朝転移してきたとは言いづらい。
横を見ると、エレノアは欠伸をしていた。
やめてほしい。
四人は大学の中へ入った。
案内された部屋には、一人の女性が待っていた。
長い黒髪。黒いスーツに黒いシャツ、黒いスカート。足元まで黒いストッキングと革靴で統一されている。細身で、年齢はよく分からない。
ただ、第一印象としては、とにかく黒かった。
「……ベルダリア・クローネです……性質学を……専門にしています……」
声が小さい。
「セレスティア・アルケミーのルーク・レイフォードです。よろしくお願いします」
「イステンデット流通のノエル・エヴァンスです」
「レイジです。よろしくお願いします」
「エレノアだ」
ベルダリアの視線が順番に動き、最後にエレノアで止まった。
「……そうですか……」
「なんだ」
「……別に……」
なんだ、この空気。
レイジが首を傾げている間に、ルークが持参した資料を机へ並べていく。セレスティアがまとめた採掘地点の記録。イステンデットの搬入記録。そして第五倉庫で行った実験の結果。
最後に、問題の鉱石そのものが置かれた。
ベルダリアが手袋をつけ、それを手に取る。
「これが……《格納 Lv.4》……」
「はい。現在は鉄鉱石の状態です」
ルークが答える。
「……既存の鉄鉱石と……性質構成の差は?」
「《格納 Lv.4》だけです」
今度はレイジが答えた。
ベルダリアの目がレイジへ向く。
「……確認したんですか?」
「はい。レイフォードさんと一緒に。オリハルコンの状態でも確認しました。そっちも《格納》以外は普通のオリハルコンと同じでした」
「……あなたが?」
「はい」
「……失礼ですが、ご年齢は?」
「十三です」
「……そうですか……」
ベルダリアが視線を逸らした。
何か変なことを言っただろうか。
「それで、こちらが《格納》を抽出したときの記録です」
レイジは資料を一枚抜き出した。
「抽出しても、元の鉱石は変質しませんでした。そのあと別の素材に付与しても、付与先は変質しません」
「……変質しない……?」
ベルダリアの声が少し上がる。
「はい。少なくとも僕たちが試した範囲では」
「……待ってください……《付与》しても物質構成を変えない……? それなら既存の付与理論では……いえ、《格納》内部の性質は構成として扱われていない……? でも《格納》そのものは表層に存在して……抽出時に内部性質が外へ出ないなら……」
急に喋る。
声は小さいままだった。だが、明らかにさっきより速い。
「クローネ教授?」
「……続けてください」
「はい」
なんだろう。
少し怖い。
レイジは実験の続きを説明した。鉄鉱石とオリハルコン鉱石が同じ物体のまま切り替わっていたこと。切り替わるまでの時間が徐々に短くなったこと。そして最後には、鉄鉱石の状態で変化が止まったこと。
ベルダリアは途中から椅子に座ることも忘れたように資料をめくっていた。
「……切り替えを意図的に起こした実験は?」
「やりました」
「……条件は?」
「性質構成への錬金術的な干渉です。師匠がやりました」
「……再現は?」
「できました」
「……《格納》内部の識別は?」
「僕にはできませんでした。レイフォードさんもです」
「……でしょうね」
ベルダリアが頷く。
「師匠は、見える手応えはあると言ってましたけど」
ベルダリアの手が止まった。
「……見える?」
「見えないというより、届かん」
壁際にいたエレノアが答えた。
「相当深い。今のお前じゃ無理だ」
「……あなたは……そこまで識別できるんですか?」
「できなかったから届かんと言ってる」
「……そうですか」
ベルダリアはしばらくエレノアを見た。
「……ずいぶん自信がおありなんですね」
「事実を言っただけだが」
「……そうですか」
また空気がおかしい。
ルークは何も言わず資料へ目を戻した。ノエルも黙っている。
触れないほうがよさそうだ。
その後、《格納》について大学側に残る性質記録との照合が始まった。
ベルダリアが持ってきた資料は膨大だった。古い記録まで遡り、似た性質が報告されていないかを確認する。名前が違うだけではないか。効果の一部だけが過去に観測されていないか。別の性質と誤認されていないか。
一つずつ潰していく。
レイジも、自分たちが第五倉庫で確認した条件と照らし合わせた。
「これは違います」
「……なぜ?」
「物質が変質してます。《格納》は付与しても変質しません」
「……こっちは?」
「性質を保持してるわけじゃないですよね」
「……そうですね……」
最初はぼそぼそと質問していたベルダリアだったが、話が進むにつれて質問の間隔が短くなっていった。
「……抽出後の結晶は一日で消失?」
「はい」
「……元の鉱石には変化なし?」
「ありません」
「……内部に保持できる数は?」
「Lv.4なので四つだと思います。ただ、実際に中身を全部確認できたわけじゃありません」
「……そこは推測、と」
「はい。分かってることと分かってないことは分けたほうがいいですよね」
ベルダリアが止まった。そして、またレイジを見る。
「……本当に十三歳ですか?」
「十三歳です」
「……怖いですね……」
「なんでですか」
小さな声だったが、今のははっきり聞こえた。
結局、既存の記録から《格納》と同一と判断できる性質は見つからなかった。
少なくとも、現在大学が把握している範囲では未知の性質。それがベルダリアの出した結論だった。
「……新性質として扱っていいと思います」
ルークが小さく息を吐く。
「やっぱり、そうなりますか」
「……はい。ただ……もう一つあります」
ベルダリアが別の資料を引き寄せた。セレスティアが提出した採掘地点の調査記録だった。
「……これ、本当に鉱脈だったんですか?」
聞き覚えのある言葉に、レイジは瞬きをした。
「僕も、それが気になったんです」
「……でしょうね」
ベルダリアが紙を指でなぞる。
「……地層が合わない。産出範囲も狭すぎる。一度の採掘でほぼ尽きている……通常のオリハルコン鉱脈としては、不自然です」
「セレスティアでも、同じ結論です」
ルークが答えた。
「鉱脈じゃないなら、別の何かがそこにあったってことですよね」
「……はい」
ベルダリアは少し考えてから、資料へ視線を落とした。
「……魔物由来かもしれません」
「魔物?」
「……魔物からしか得られない性質は……珍しくありません。《格納》がそうだとは断定できませんが……天然の鉱脈ではないと考えるなら……候補には入ります」
「なるほど」
レイジは採掘地点の資料を見る。
そこに何があったのかまでは分からない。どんな魔物だったのか。そもそも本当に魔物なのか。
だが、少なくとも最初に聞いた「小さなオリハルコン鉱脈」という説明よりは、筋が通っているように思えた。
「じゃあ、現時点では魔物由来の可能性がある、までですか?」
「……そうですね」
「分からないところは残るんですね」
「……研究なんて、そんなものです。一つ分かると……分からないことが増えます」
ベルダリアが小さく言った。
少しだけ楽しそうだった。
そこから話は、発見した《格納》をどう扱うかへ移った。
未知の性質が確認され、その性質について複数の実験結果があり、発見された経緯まで追えている。ルークが資料をまとめながら言った。
「ここまで揃っているなら、論文にできます」
「論文ですか」
「はい。発見しただけで終わらせるより、何を確認して、どこまで分かっているのかを残したほうがいいです」
「……同意します」
ベルダリアがすぐに頷く。
「……《格納》は……性質学としても重要です。特に《付与》時に物質を変質させない点は……既存理論との関係を整理する必要があります。それから抽出時の挙動と……内部性質の扱いと……」
また速くなった。
「クローネ教授」
「……はい」
「とりあえず順番にやりましょう」
「……そうですね……」
ルークが苦笑した。
論文をまとめる作業は、レイジが思っていたより地味だった。
何をしたのか。何が起きたのか。そこから何が言えるのか。逆に、何ならまだ言えないのか。
同じことを何度も確認し、言葉を直していく。
「この部分ですけど」
レイジは原稿の一か所を指した。
「《格納》を付与すると変質しない、だと断定になりませんか?」
「どういうことです?」
「僕たちが確認した素材では変質しなかった、ですよね。全部の素材で試したわけじゃないです」
ルークが原稿を見る。
「ああ、確かに」
「……『今回の実験範囲では』を入れましょう」
ベルダリアが書き加える。
「あと、魔物由来も可能性だけですよね」
「はい。そこも断定はできません」
ルークが頷いた。
レイジは少し不思議な気分だった。
第五倉庫でやっていたことと、大きく違うわけではない。分からないことを一つずつ分けて、試して、結果を見る。
ただ、それを他人にも分かるように残そうとすると、急に面倒になる。
前の会社でも似たようなことはあった。自分では分かっている。同席していた人間も分かっている。それでも、あとから読む人間には分からない。
だから書く。
錬金術師になってまで、こんなところで前世の仕事を思い出すとは思わなかった。
作業はしばらく続いた。
中心になったのはルークだった。セレスティアの錬金術師として最初から事件に関わり、実験にも参加している。ベルダリアが性質学の観点から内容を補い、レイジも自分が関わった検証について説明する。
ノエルは採掘後の搬入記録や倉庫での変化について聞かれるたび、正確な記録を出してきた。
「よく全部残ってますね」
「倉庫管理をなんだと思ってるんですか?」
「すみません」
「謝るくらいなら最初から言わないでください!」
そんなやり取りを挟みながら、ようやく形になっていく。
やがてルークが原稿から顔を上げた。
「著者は、僕でいいんでしょうか」
「……いいと思います。実験の中心にいましたし……セレスティア側の研究者でもありますから」
ベルダリアが答える。
「クローネ教授にも入ってもらいます。大学での照合と性質学上の整理は、僕だけではできませんでした」
「……分かりました」
ルークがエレノアを見る。
「エレノアさんは?」
「いらん」
即答だった。
「でも、《格納》を最初に識別したのはエレノアさんですし、切り替えの実験も――」
「めんどくさいし、興味もない。必要ならレイジの名前でも載せておけ」
「俺ですか?」
思わず聞き返した。
「今回は情報の整理など、レイジの尽力もあったはずだ。私は最後に識別して抽出しただけだ」
エレノアにとっては、それで話が終わったらしい。
ルークは少し考えたあと、ベルダリアを見る。
「僕も、レイジ君の名前は入れるべきだと思います」
「……私もです」
「本当に?」
「……実験にも参加していますし……考察にも関わっています。年齢は関係ありません」
そこまで言われると、断る理由もない。
「じゃあ、お願いします」
「分かりました」
ルークが著者欄へ名前を書き始める。
ルーク・レイフォード。
ベルダリア・クローネ。
そこでペンが止まった。
「レイジ君」
「はい」
「姓は?」
一瞬だけ、答えに詰まった。
この世界へ来てから、姓を名乗る必要はなかった。だが、ここで余計な説明を増やす必要もない。
久世怜司。
三十八年間使っていた名前がある。
「……クゼです」
「クゼ?」
「はい。レイジ・クゼでお願いします」
「分かりました」
ルークがそのまま書き込んだ。
特別なことをした感じはしなかった。必要になったから、昔使っていた姓を借りただけだ。
少なくとも今は、それでいい。
その後も細かな修正は続き、原稿がまとまった頃には、かなり時間が経っていた。
ルークが完成した原稿を机の上へ置く。
「これで、一度大学側に確認してもらいます」
「……問題なければ……発表ですね」
ベルダリアが言った。
「発表?」
「論文にまとめて終わりじゃありませんから」
ルークが笑う。
「今回の研究について、大学で発表することになっています」
「僕も出るんですか?」
「共著者ですからね」
そう言われて、レイジは机の上の原稿を見た。
倉庫で鉄鉱石を見たところから始まった話が、ずいぶん遠くまで来たものだ。
「何を話せばいいんでしょう」
「お前がやったことを話せばいい」
エレノアが言った。
「分からんことを聞かれたら、分からんと言え。それだけだ」
「そんなもんですか」
「そんなもんだ」
レイジはもう一度、原稿を見る。
自分たちが何を見て、何を考えて、何を試したのか。それなら話せる。
「……分かりました」
次は、それを自分たち以外の人間へ説明する番らしい。




