呪い
静寂が広がる夜、ロゼは身支度を済ませ、夫婦の寝室で夫であるアーキンスを待っていた。
食事と夕食を済ませて用意された純白の夜間着に身を包み、一人でベッドに座っている。
時計を見れば、そろそろアーキンスが来ても良さそうな時間だ。
「来ないわね……」
広い夫婦の寝室でロゼの呟く声が響く。
何となくソワソワして落ち着かない気持ちでいると、部屋の扉がノックされる。
「リナです。旦那様から言伝があります」
扉の向こうから聞こえた声に無意識に肩を落とす。
ガウンを羽織って扉の前に移動し、扉を開けると勝ち誇ったような顔で立つリナの姿があった。
「何かしら?」
「旦那様は今夜、寝室に参りません。代わりに、これを」
リナはピンク色のリボンがついた、小さな白い花の花束をロゼにグイっと押し付ける。
雑な渡し方で繊細な花が一つ、二つ、床に落ちてしまう。
「……旦那様はどちらに?」
「旦那様は今頃、フリージア様とお楽しみの真っ最中よ」
ロゼの問い掛けにリナは嬉々として答える。
「……フリージア様と……?」
返って来た言葉にロゼは愕然とした。呆然自失となったロゼをリナは鼻で笑う。
「ふん、そうよ。知らなかったの? お二人は旧知の仲で互いに想い合う間柄なの。私達はフリージア様にお仕えしたかったのよ。あんたが来なければ今頃、お二人は一緒になれていたはずなのにね」
あぁ、そういうこと。
フリージアが会場に現れた時、女性達の多くは彼女に釘付けになっていたことを思い出し、ロゼは納得する。使用人の多くも彼女に憧れていることは見ていて感じた。
「前の聖女様なら未だしも、あんたなんてお呼びじゃなかったのよ。お二人のためにもさっさと出て行って欲しいの。邸のみんなはそう思ってるわ」
リナはそう言い捨ててロゼに背を向ける。
「フリージア様以外だって相手はいるのよ。毎月、紫色のチューリップを送って来る女性だっているわ。紫のチューリップの花言葉って知ってる? 『不滅の愛』よ」
「……それは熱烈なことね」
ドヤ顔のリナにロゼは引き気味で返す。
「旦那様の呪いさえ解けてしまえば、あんたなんてすぐに離縁されるに決まってるわ」
リナは顔だけこちらに向け、吐き捨てるように言葉を残して、部屋を出て行った。
ロゼは広い部屋で一人、花束を持ったまま呆然と立ち尽くす。
「……なるほど、そういうこと」
ここへ来た日、アーキンスから言われた言葉を思い出す。
『必要かどうか分かりませんが、恋人でも愛人でもご自由に』
自分も勝手にするから、そっちも勝手にしてくれってことだったのね。
自分が誰からも女性としては見られないことなど分かり切っていたことだ。
昼間、二人きりの廊下でアーキンスが自分を称賛し、微笑み、優しく髪に触れたことを思い出す。
あの時、微かに期待したのだ。この人なら私を妻として扱ってくれるのではないかと。
しかし、その淡い期待はリナの言葉で脆くも崩れ落ちる。
「期待なんてするもんじゃないわね。最初から分かってたじゃない」
ロゼは強がりを口にする。自分自身に言い聞かせるように。
自分なりに、夫婦としてアーキンスと夜を過ごすことになるのだと、決心し、彼を待っていたロゼはその決心も踏みにじられた。
ロゼは渡された花束に視線を落とす。
レースフラワーの花束は小さな白い花が連なり、美しいレースのように見えて愛らしい。
「花言葉は『感謝』……だったわね……」
とりあえずは結婚したことに対して感謝の意を示しておこうってこと。
感謝はあるが、愛情はないし、今後もそれは変わらないのだろう。
そう思うととても惨めで虚しい気持ちになり、胸の中でそれらがやり場のない怒りに変わる。
自分が悪い。こんなに豚のように肥えていれば、誰だって初夜の相手などしたくない。
それでも、自分ではどうしようもできないのだ。この虚しさと苛立ちを自分はどこにぶつければいいのだろうか。
手にした花束のリボンがくしゃりと音を立てて、握り潰される。
こんな花束よりも、直接ロゼに『今日は一緒に過ごせない』と気の利いた言い訳でも添えてくれれば良かったのに。
恋人の存在を使用人から聞かされるくらいなら、その方が気持ちの整理もついたのに。
気が付けば憤りに任せて花束を床に投げようとしていた自分に気付き、はっとなる。
「花に罪はないのに……どうして、こんなに苦しいのかしら」
息苦しさと胸の痛みを感じ、ロゼは深く呼吸をして、気持ちを落ち着けようと努める。
そして、投げようとしていた花束をそっと胸に抱いた。
そのままベッドに寝転がり、枕元に花束を置く。
朝にでも花瓶を用意させて部屋に飾ろう。
「綺麗だわ」
レースフラワーは小さくて繊細で真珠のように美しい。
「呪いが解けたら……私はまた居場所を失うのね」
だったら、解けなくても良いんじゃない?
伯爵には悪いけど。
自分にも紳士的期で、優しく接してくれる伯爵のために協力するべきだという良心とあえて自分を追い詰める必要はないという意地悪な心がせめぎ合う。
「呪い……ねぇ……」
瘴気に関しては気になっている。
近々、町を案内してもらう必要があるわね。
そんなことを考えながら、花束に視線を向ける。
可憐な白い花を眺め、ロゼは静かに目を閉じた。




