夜の会話
ロゼが眠りについた頃、アーキンスは談話室の長椅子に座り、ワイングラスを手に物思いに耽っていた。
「お前、花嫁のところに行かなくて良いのか?」
談話室の扉が開き、入室して来た幼馴染が珍しく気を使う発言をする。
「あなたこそ、フリージアはどうしたんです?」
「酒飲んでたら寝た」
ブライアンはアーキンスの向かいにドカッと腰を降ろす。
幼馴染である王太子ブライアンはフリージアの部屋の方に親指を向け、短く告げる。
アーキンスと同じく、フリージアもブライアンとは幼馴染で無自覚な両片思いのなんともじれったい間柄なのである。
互いに気持ちを自覚しておらず、アーキンスはあまりにもその様子がじれったくて何度も焚き付けようとしたが、王太子と女伯爵という立場がある二人なので、他人が簡単に口を挟めるはずもなかった。
アーキンスは使用人を呼び、グラスを一つ持って来させた。
使用人がグラスにワインを注ぎ、ブライアンの前に置くと、使用人はワインボトルを残して静かに退室する。
「で、花嫁放って一人酒か? まぁ、人によっちゃ、抱くのに抵抗はあるだろうが、お前は昔から女の見た目にそこまで拘らないだろ?」
二人きりになったところでブライアンが口を開く。
「……えぇ。容姿は特に気にしません」
「だったら、さっさとすること済ませて、呪いを解け。呪いを解くために結婚を急いだんだろ?」
ブライアンの言う通り、アーキンスは呪いを解くために聖女との結婚を急いだ。
呪いは自分を醜い羊の姿へ変え、その呪いの影響が領地へと広がっている。
これ以上、領民達を不安にさせるわけにはいかない、そう思って聖女降嫁を求めた。
「では、彼女の気持ちはどうなるのでしょうか」
アーキンスは自問自答する。
抵抗の余地もなく、上の決定だからと三聖女の座を降ろされ、知り合いもいない見知らぬ土地に連れて来られ、呪われた男に嫁ぎ、夫婦としての関係を強要される。
アーキンスはアルフレッド聖下に聖女の持つ聖力を巡らせれば呪いの解呪に繋がると助言を受けた。その聖力を巡らせる行為が夫婦の契りである。
しかし、それはあまりにもロゼの心にも身体にも負担だ。
「結婚ってのはそういうモンだろ。初夜だって夫婦になれば当たり前に行うことだ」
物憂げな表情でブライアンは言う。
「分かっています。ですが、彼女は聖女です。神聖で清らかな女神の使徒が呪いを受けて、獣へと姿を変えた私に触れられるなど、耐えがたいに決まっています」
アーキンスは昼間の廊下での出来事を思い出す。
ロゼに触れようとした時、一瞬、彼女は身を強張らせた。
それでも、アーキンスはロゼに手を伸ばした。自分には時間がないし、嫌がられてもどうせ夫婦としての接触は避けられない。
そう思い、アーキンスはロゼに触れた。避けられるようなことはなかったが、代わりに彼女は擽ったそうに目を細め、そんな仕草が存外愛らしく感じた。
酒に酔った横暴な男を相手から自分を庇い、巧みな聖術と言葉で体裁を保ち、広間から追い出したこともアーキンスは驚いた。
誰かに庇われ、助けを求めるほど弱いつもりはない。
けれども、それが当然であるかのように自分を守ってくれたロゼにアーキンスは胸の中に温かいものを感じた。
妻の名誉を夫が守るのは当然のこと。だが、彼女はただ守られるだけではなく、男相手に立ち向かう勇気と力がある強い女性だと思い知った。
『出荷された豚聖女』などと周囲から罵られても、その心はとても強く、美しいと感じだ。
その時、大きな罪悪感が生まれた。
この清らかな存在を自分のために穢して良いのだろうか、と。
噂に聞くような人として嫌悪するような相手であれば、ここまで深く考えず初夜も執り行えただろう。
「閨に入るのはもう少し互いを知って、信頼関係を築いてからでも遅くありません」
「その信頼関係ってヤツはいつ頃、築き上がるんだよ」
「それは私達夫婦の問題です。余所の夫婦問題に口を出すほど王太子殿下は暇ではないはずですが」
アーキンスは突き放すようにブライアンに告げた。
「あー、分かったよ。だが、呑気にはしてられねぇぞ。お前の呪いは着実に進行してるんだ。どうしてしたくもない相手と結婚を急いだのか、忘れるなよ」
ブライアンが自分の身を案じていることは百も承知だ。
「初夜はともかく、花嫁は待ってるんじゃねーのか」
「メイドに言伝を頼んでいます。王太子殿下の相手をするので、遅くなるから先に寝ていて欲しいと」
きっと、私が行っても怖がらせるだけでしょう。
言伝と一緒に渡すように頼んだのはレースフラワーの花束だ。
小さな花が繊細なレースのように美しく、可憐で洗礼された雰囲気がロゼに似ていると思えた。
「花束……喜んでくれるでしょうか」
喜んでくれると嬉しい。
ここへ来てからはまだ気難しい表情しか見ていないが、どんな風に笑うのかと想像すると無意識に頬が緩む。
花を贈る際、何にするかはかなり悩んだ。
女性に花束を贈る際、ほとんどを使用人に見繕ってもらっていたので、華やかな季節の花や、女性が好むような色合いの花が多かったと思う。
けれど、ロゼに贈る花は自分で考えて選びたかった。
昼間の廊下で、彼女は意外にユーモアのある人だということも分かった。
『いえ、私、痩せればそこらの女なんて足元にも及ばない美人なので』
不敵な笑みを浮かべて発言したロゼにアーキンスは言葉を失った。
少しだけおかしかったが、彼女の強さの片鱗を見た気がした。
強くいられるのは絶対的な自信があるからだろう。彼女は聖女として長く神殿に仕え、アルフレッド・サン大神官聖下の元で鍛えられた優秀な聖女だ。
そうでなければ、あの見事な聖術を詠唱破棄で使うことはできない。
容姿に拘りはないのですが……。
ロゼの言葉から、もしも、彼女が痩せたらどんな風になるのかを思わず想像してしまう。
美しい水色の瞳と、波打つストロベリーブロンドの長い髪はそのままで、スラリとした美女がアーキンスの方を振り向く。知性的で涼し気な目元、気難しそうに引き結ばれた口元、美しく、凛々しい彼女は少しばかり近寄りがたい。
そんな彼女が不敵な笑みをアーキンスに向けたところで、アーキンスは我に返る。
彼女が言う通り、きっと痩せれば相当な美女に違いない。
けれど、今の姿は抱き心地が良さそうだし、今は今で良さがある。
「むしろ困りますね……痩せてしまうのは」
美しくなった妻はきっと、こんな山羊男の元には留まってくれないだろう。
そう思うと途端に心の中に焦りが生じる。
「……何言ってんだ、お前。つーか、俺を口実に使うな」
不満そうなブライアンの声をアーキンスは聞こえないフリをしてワイングラスに口を付けた。




