披露宴
「そこまでにしてもらいましょう。グレゴール」
冷ややかな低い声が周囲の音を掻き消した。
「彼女は長く神殿に仕え、この国と民を守ってきた立派な聖女です。私は彼女を妻に迎えることができ、誇りに思います。彼女を侮辱することは許しません。彼女の耳を汚すのであれば、ウォルセドナ家当主として領地戦も厭わないと思ってください」
アーキンスの言葉にグレゴールの表情は一気に硬くなる。
周囲もアーキンスの宣言に騒然となった。ロゼも驚いた。
領地戦とは互いの領地を掛けた戦争だ。名誉や誇りを傷つけられた場合、国王に申し立てを行うことで可能になる。基本的に国王は領地戦を悪としない。領地の広さはその貴族の強さであり、領地戦で得た領土や賠償金に応じて多額の税金を国に納めることになっているからだ。
当然ながら戦争には人員もお金も掛かるので、滅多に戦争は起こらない。その代わりに家門の名を掛けた決闘が存在し、貴族のいざこざは決闘で解決させることが多い。
「おいおい、正気か? 決闘ならともかく、領地戦は言い過ぎじゃないか?」
グレゴールは怖気づいた表情で口を開いた。
「私は本気ですよ、グレゴール」
アーキンスは落ち着いた口調でありながら、静かに憤りを滾らせている。
彼は多くの人員とお金を動かしてもロゼの名誉のために戦うと言ってくれているのだ。
ここで妻が侮辱されることを聞き流せば、それはそれで角が立つものね。
領地戦を持ち出すのは大袈裟な気がするが、それでも、自分を守ろうしてくれたことは素直に嬉しいと思える。
「その醜い姿になって、頭までおかしくなったんじゃないか?」
グレゴールは顔を引き攣らせてアーキンスに告げる。
「姿は関係ありませんよ。全て私の意志です。それに、あなたは相手を見かけで判断し過ぎるようです。人は見かけによらない、それは昔から言われていること。現に、この場には人の姿をしているのにも関わらず、場を弁えられない者もいるでしょう?」
アーキンスはグレゴールに鋭利な視線を向け、皮肉を言う。
なかなか、言うのね。
言われっぱなしで終わらないアーキンスが意外でロゼは驚いた。
そして周囲の人達もアーキンスの上手い切り返しに、グレゴールに同情的な視線を向ける。
「ウォルセドナ伯爵の仰る通りですわね」
「このような祝いの場で、わざわざ新郎新婦へ掛ける言葉ではございませんもの」
「あれはブランシュ伯爵が悪いな」
クスクスと騒ぎを起こしたグレゴールを嘲笑する囁きが聞こえてくる。
ふん、いい気味。
ロゼはグレゴールから視線を隣に座るアーキンスに移した。
騒ぎの収束を見込んだ彼は、グラスに入ったワインを飲んでいる。そして、アーキンスがちらりとこちらに視線を向ける。
表情は読めないのに、その黒い瞳が『大丈夫ですよ』とロゼに語っている気がして、胸の中に温かいものが溢れてくる。
やっぱり優しい人だと、ロゼは思った。
「くっ……貴様、言わせておけば……!」
プルプルと怒りで身体を震わせたグレゴールがアーキンスに掴みかかろうと腕を伸ばしたのだ。
「アーキンス! 危ないっ!」
フリージアの緊迫感のある声が響く。
グレゴールの無骨な手がアーキンスの襟首を掴む寸前。
「聖神僕書、花の項、第二番。光玉の鎖」
ロゼが唱えると床から光の玉が連なった鎖が伸びてきて、グレゴールの身体を拘束する。
グレゴールの手は鎖に巻かれ、アーキンスに届くことはなく、宙を掻いた。
「うぐっ……! な、何だ、これは⁉」
拘束されたグレゴールは驚愕の表情で声を上げた。
「これは……」
突然の出来事に驚いているのはアーキンスも一緒だった。
「神聖僕書の……魔物を拘束する時に使われる聖術の一つ。それも詠唱破棄で行うなんて……」
唖然とした表情でフリージアが呟く。
神聖僕書とは女神が残したと言い伝えられている術書である。
聖力を持つ神官や聖女はこの神聖僕書に記された術を使うための訓練を行い、時には魔物の討伐に参加するのだ。
それぞれの聖術には詠唱が必要だが、術を極めれば詠唱を省いて使うことができる。
詠唱破棄は本来の効力が落ちるのだが、相手は人だ。魔物ではないのでこれで充分だろう。
「申し訳ありません、旦那様。お客様は大変、酔っておられるようです。テーブルにぶつかって打ち所が悪くては事ですので、失礼ながらこのような手段を取らせて頂きました」
ロゼは体裁の取れる言葉を並べて静かに微笑む。
「……ありがとうございます。危うく、大切な客人が怪我をするところでした」
やや呆気に取られていたアーキンスがロゼに向かってお礼を言う。
「おいっ! この術を解け!」
グレゴールが眉を顰め、苦悶の表情を浮かべて叫ぶ。術から逃れようと身を捩る。
「かなり酔いが回っているようですね。誰か、彼を部屋へ」
暴れるグレゴールの腕を体格の良い使用人達が押さえつけるのを見て、ロゼは拘束を解いた。
「おいっ! 離せ! このっ!」
グレゴールはそのままズルズルと引き摺られるように広間から連れ出される。
ロゼはその姿を見届け、息をついた。
「何だ、夫婦関係は良好みたいだな」
突如、座っていた自分の前に影が差す。
ロゼが見上げるとそこには黒髪で褐色肌の青年が立っていた。青い瞳が印象的で、瞳の色と同じ爽やかな青色の衣装は金色のボタンや刺繍が施され、祝いの場に相応しい華やかさがあるが、どこか窮屈そうな雰囲気がある。
そして、その青年の顔に見覚えがあったロゼはすぐに立ち上がった。
「お越しいただき、ありがとうございます。王太子殿下」
立ち上がったアーキンスは深く頭を下げ、ロゼもそれに倣った。
青年はこの国の王太子、ブライアン・フィル・シェルベルクだ。
浅黒い肌に、鍛えられて隆起した身体はまるで歴戦の騎士のようで、見た目通り、彼は軍人王子と言われている。
精悍な顔立ちと雄々しく風格を感じる見た目から、令嬢達の憧れの的で、彼の隣に立つために令嬢達が血生臭い争いを繰り広げていると聞く。
ロゼの好みではないが、男らしい男性が好きな女性からは絶大な人気を誇っている。
「挙式に間に合わず、すまなかった。しかし、いいものを見れたな。あぁ、フリージア。お前も久しぶりだな。息災か?」
「お久し振りです。殿下。おかげさまで恙なく過ごしておりました」
フリージアがドレスの裾を摘まみ、美しくお辞儀をする。その姿は女性らしい気品があり、ロゼは見惚れてしまう。
そんなフリージアを見つめ、ブライアンは口元に笑みを浮かべていた。
「お越しいただけたことに感謝致します」
結婚式を予定通り行わなければならなかった理由の一つが彼である。
王族を領地の結婚式に招待しておきながら、中止にすることは許されない。王家の家臣となる伯爵家が王族を公の場で振り回すことなどあってはならず、それ故、エリーゼと挙げる予定だった挙式日時を変更することができなかったのだ。
アーキンスの呪いも理由の一つではあるが、ロゼは王太子が大きな理由となっていると思っている。
貴族は面子を気にし過ぎると思う。自分には分からないことだが。
「殿下、こちらが妻のロゼです」
「初めまして、王太子殿下。ロゼと申します。以後、お見知りおきを」
アーキンスに紹介され、ロゼは名前を名乗る。
「楽にしてくれ。お前達が主役だろ」
そう言われ、ロゼとアーキンスは姿勢を正す。
「心配していたが、いい花嫁だな」
ブライアンはそう言ってロゼに視線を向ける。
意外にも、爽やかな青い色の瞳には侮蔑の色はない。
この青い瞳……似てるわ……。
「…………ロゼ?」
ロゼがブライアンの青い目をまじまじと見つめているとアーキンスが顔を除き込んできて、はっとする。
「あ……いえ、何でもありません」
見過ぎたかしら。
ちょっと知人に似ていたため、ガン見し過ぎてしまった。
「…………殿下、少々妻を休ませてきてもよろしいでしょうか?」
「え?」
アーキンスの言葉にロゼは驚く。
新郎新婦を祝うこの場で、しかも王太子殿下の前で主役が退席するのは如何なものか。
「あぁ、構わないぞ。俺は貴族達に挨拶して回るから、また後で話そうぜ。フリージア、付き合ってくれ」
「はい、殿下」
ブライアンはフリージアを伴って踵を返す。
「ロゼ、行きましょう」
アーキンスはそう言ってロゼに手を差し出す。
別に休まなくてもいいのだけど。
けれど、王太子のいる場で自分と一緒にいるのは恥ずかしくて嫌なのかもしれない。
「……はい、旦那様」
ロゼはアーキンスの手を取った。




