第14話 決戦のカフェと、裏で動く絶対権力
指定された翌日の午後2時。
私は高級ホテルの最上階にある、見晴らしの良いラウンジカフェに足を踏み入れていた。
お昼下がりの優雅な空間。
その一番奥のボックス席に、場違いなニヤニヤ顔を浮かべた翔太と、漆黒のシャネルのスーツを完璧に着こなした東条一華さんが座っていた。
「……約束通り、来ました」
私が席の前に立つと、翔太は鼻で笑いながら、下品に背もたれに寄りかかった。
「おっ、来たな泥棒猫。相変わらず社長の金で買った高い服着ちゃってさ。でもそれも今日で終わりだ。座れよ」
私は何も言わず、二人の正面の席に腰を下ろした。
心臓は早鐘のように打っているけれど、不思議と足は震えていなかった。
守りたい人がいるというだけで、人はここまで強くなれるのだと、自分でも驚いていた。
「よくいらっしゃいましたわ、莉奈さん。逃げずに来られたことだけは褒めて差し上げますわ」
一華さんは優雅に紅茶を口に運ぶと、テーブルの上に、一枚の紙のコピーを滑らせてきた。
そこには、間違いなく私と蓮さんがサインした『偽装結婚契約書』の文字が印刷されていた。
「これを見ても、まだしがみつくつもりかしら? これがマスコミの手に渡れば、蓮さんの会社『イノベーション・ゲート』の信用は失墜。株価は暴落し、彼は社長の座を追われることになるでしょうね。彼を愛しているなら、身を引くのが筋ではなくて?」
一華さんの言葉は、静かだけど確実な殺意を孕んでいた。
隣で翔太が「一華様、こいつに手切れ金1千万くらい掴ませて、さっさと追い出しちゃいましょうぜ!」と調子に乗って囃し立てる。
私はテーブルの下で拳をギュッと握りしめ、一華さんの冷たい瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「……一華さん。私は、蓮さんの前から消えるつもりはありません」
「なんですって……?」
一華さんの美しい眉が、不快そうにピクリと跳ね上がった。
「確かに私は一般人で、家政婦です。蓮さんの隣に立つには、あまりにも不釣り合いかもしれません。でも、蓮さんは私のことを『世界一の自慢の妻だ』と言って、守ってくれました。私がここで逃げたら、蓮さんのその気持ちを裏切ることになります。だから、私は絶対に逃げません!」
「生意気な……! 自分が何を言っているのか分かっているの!? あなたのその安っぽいプライドのせいで、蓮さんが破滅するのよ!」
一華さんが初めて感情を剥き出しにして、机を叩いた。
「破滅? 一体誰が破滅するって?」
――その時。
ラウンジの入り口から、低く、冷徹極まりない声が響き渡った。
驚いて全員が振り返る。
そこには、数人の黒服のSPを従え、漆黒のスーツを翻して大股で歩いてくる一ノ瀬蓮の姿があった。
「れ、蓮さん……!? どうしてここに……っ」
私が目を見開く中、蓮さんは私の隣にすっと腰掛け、自然な動作で私の肩をその大きなたくましい腕で抱き寄せた。
「莉奈、一人でこんなゴミ溜めに来るなと言っただろう。……まあ、お前が俺のためにここまで言い返してくれたのは、最高に愛おしくて気絶しそうだったがな」
「え、あ、あの……」
さっきまでの冷徹社長はどこへやら、至近距離で甘い微笑みを向けられて私の顔が一気に赤くなる。
「な、一ノ瀬……っ! なんで場所が分かったんだ
よ!」
翔太がガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、怯えた声を上げた。
蓮さんは翔太の方を、まるで道端の石ころでも見るかのような冷たい目で見下ろした。
「お前たちが莉奈のスマホに盗聴・発信器アプリを仕掛けさせようとしたことなど、我が社のサイバーセキュリティチームには筒抜けだ。一華、お前が雇った探偵とやらは、昨日すでに我が社の息がかかった者に買収されている。その契約書のコピーも、お前をここに誘い出すための偽物だ」
「な……なんですって……っ!?」
一華さんの顔から、一気に血の気が引いていく。
テーブルの上の契約書をよく見ると、なんとサインの欄が『一ノ瀬蓮』ではなく『一ノ瀬バカ』に書き換わっていた。
「東条一華。インサイダー取引、および恐喝、不正アクセス禁止法違反。お前が裏で動かした資金のルートと、この男(翔太)に金を掴ませて莉奈を脅迫させた音声データは、すべて今朝、東条グループの本家に提出した。……今頃、お前の父親である東条総帥は、大激怒しているはずだぞ?」
蓮さんが冷酷にスマートフォンを操作し、画面を突きつける。
そこには、東条本家から蓮さん宛てに届いた『娘の不祥事に対する、平身低頭の謝罪と和解の申し入れ』のメールが表示されていた。
「嘘……お父様が、私を切り捨てるはずが……っ」
一華さんはガタガタと震え始め、その場に力なくへたり込んでしまった。
財閥の令嬢とはいえ、本家のメンツを泥塗りにした不祥事は、絶対に許されない。
彼女の輝かしい未来は、今この瞬間、完全に閉ざされたのだ。
「ひえっ……お、俺はただ、一華様に命令されただけで……!」
逃げ出そうとする翔太の前に、蓮さんのSPが立ち塞がる。
「藤代翔太。お前には東条家からの支援ももうない。今度こそ、執行猶予なしの実刑だ。刑務所の中で、自分の犯した罪をじっくり反省するんだな」
蓮さんの冷徹な宣告に、翔太は床に崩れ落ち、涙を流して許しを請うたが、時すでに遅かった。
こうして、東条一華が仕掛けた卑劣な罠は、蓮さんの圧倒的な情報力と権力によって、一瞬にして完璧な「ざまぁ」へと裏返されたのだった。




