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第12話 甘い夜の甘やかしと、消えない傷痕

財閥令嬢・東条とうじょう一華いちかの突然の乱入によって、最悪の空気になってしまった全社パーティー。


れんさんは宣言通り、私を抱き上げるようにして会場を後にし、そのまま専用の高級車でマンションへと連れ帰ってくれた。


静まり返ったリビング。


ラグジュアリーな空間に、いつもの我が家の匂いが漂っていて、ようやく私の肩の力が抜けた。


「……莉奈りな、本当にすまなかった。俺のツメが甘かった。実家が、まさか東条の家まで動かしてパーティーに乗り込んでくるなんて」


ソファに腰掛けた蓮さんは、タキシードのネクタイを乱暴に緩めると、痛切な表情でこうべを垂れた。


その綺麗な切れ長の瞳には、私を傷つけてしまったという強い後悔と、自分への怒りが滲んでいる。


私は急いで、着ていたサファイアブルーのドレスの裾を押さえながら、蓮さんの前に膝をついた。


「そんな、蓮さんが謝ることなんて何もありません!   蓮さんは、あんな大勢の社員さんの前で、私を完璧に守ってくれました。……『莉奈のいない世界なら会社なんていつでも潰してやる』って言ってくれた時、私、本当に嬉しかったんです」


私が精一杯の笑顔でそう言うと、蓮さんはハッとしたように目を見開いた。

そして、堪えきれないといった様子で私の両手を掴み、そのまま自分の胸の中へと引き寄せた。


「莉奈……っ」


強い力で抱きしめられる。


蓮さんの早い鼓動が、私の胸にまでトントンと小気味よく伝わってくる。


「お前を絶対に手放したくない。あの一華という女が言ったことなど、すべて忘れるんだ。お前は俺にとって、世界で唯一の、本物の婚約者だ」


「蓮さん……」


耳元で囁かれる甘く切ない声に、胸の奥がキュンと跳ね上がる。

だけど、私の頭の片隅には、一華さんのあの氷のように冷たい言葉が、トゲのように刺さったまま消えてくれなかった。

『あなた、月50万で雇われているんですって? 随分と安いプライドですこと。蓮さんにふさわしいのは、あなたのような一般人ではなく、私ですわ』

一華さんは、私と蓮さんが『契約結婚』であることを知っていた。


もし、この事実が世間に公表されてしまったら、蓮さんの会社の株価や信用はどうなってしまうんだろう。


それに、彼女の持つ圧倒的なお嬢様オーラと美貌は、地味な私とは比べ物にならないくらい、蓮さんの隣に似合っていた。


(私じゃ、やっぱり蓮さんの足を引っ張っちゃうのかな……)

無意識に、私の身体から小さくため息が漏れてしまう。


「莉奈。……今、不釣り合いだとか、余計なことを考えていただろう」


「えっ!?」


顔を上げると、至近距離で蓮さんが私をジッと見つめていた。


まるで、私の心の不安をすべて見透かしているかのような、鋭い、だけど深い愛の籠もった眼差し。

蓮さんは私の頬を両手で優しく包み込むと、そのまま親指で、私の唇を愛おしそうにそっと撫でた。


「お前が不安になるのは、俺の愛がまだ足りないからだな。よし、今夜はベッドに入るまで、お前を一切地面に下ろさない。プロの家政婦ではなく、俺の可愛い奥様として、全力で甘やかしてやる」


「ひゃっ!? お、下ろさないって……お風呂とか、お着替えはどうするんですか!?」


「俺が全部手伝ってやってもいいが?」


「結構です!!」


蓮さんの限界突破なスパダリ発言に、私の顔は一瞬でローストビーフのように真っ赤に染まった。

でも、その意地悪で優しいおねだりのおかげで、胸に刺さっていたトゲが、少しだけ和らいでいく。


蓮さんはフッと優しく笑うと、私を『お姫様抱っこ』の体勢のまま抱き上げ、寝室へと運んでくれた。


ドレスを着替え、いつもの部屋着に戻ったあと。


蓮さんはキッチンに立ち、なんと自分の手で、温かいホットミルクを二つ用意してくれた。


「莉奈、これでも飲んで、今夜はもう何も考えずに眠るんだ」


「ありがとうございます、蓮さん。……ふふ、蓮さんが淹れてくれたホットミルク、すごく甘くて美味しいです」


「お前を安心させるために、ハチミツを多めに入れておいたからな」


並んでソファに座り、温かいマグカップを二人で引き合う。


一華さんの出現によって、私たちの『偽装結婚生活』は、間違いなく新しい試練の局面を迎えていた。

東条財閥という巨大な敵が、これからどんな卑劣な罠を仕掛けてくるか分からない。


だけど、私の隣で、私の手をぎゅっと握りしめてくれている蓮さんの温もりがある限り、もう二度と逃げたりしないと心に誓った。


(私は、蓮さんの専属家政婦で……蓮さんの、婚約者なんだから)

甘いハチミツの香りに包まれながら、私は蓮さんの肩にそっと頭を預け、静かに瞳を閉じたのだった。


――しかし、この時。


東条一華の、莉奈を破滅させるための『本当の罠』が、すでに水面下で動き始めていることを、二人はまだ知る由もなかった。

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