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第11話 冷徹社長の宣戦布告と、守られた背中

「これからが楽しみですわね。蓮さん、そして――偽物の奥様?」


東条とうじょう一華いちかさんの悪意に満ちた、だけど鈴を転がすような美しい声が、静まり返った会場に冷たく響き渡る。


私の身体は、自分の意志とは関係なくガタガタと震えていた。


月50万円の契約結婚。


それは紛れもない事実だったからだ。


一華さんの言う通り、私はお金で雇われただけの、地味で、何の取り柄もない『偽物の妻』。

会場の何百人もの社員たちの視線が、今度は「哀れみ」や「疑念」の色を帯びて私に突き刺さる。


恥ずかしさと情けなさで、せっかくの綺麗なドレスを引き裂いて、今すぐこの場から逃げ出したかった。

だけど、私が一歩後ろに下がろうとした瞬間、腰を抱く蓮さんの手に、ぎゅっと強い力がこもった。


「誰の許可を得て、俺の妻を『偽物』と呼んでいる」


蓮さんの声は、信じられないほど低く、そして冷酷だった。

エアコンの効いたパーティー会場の温度が、さらに数度下がったのではないかと思えるほどの凍てつく覇気。

蓮さんは私を自分の真後ろへと隠すように立ちはだかり、一華さんと、その後ろでニヤニヤしている実家のお母さまを冷徹に睨みつけた。


「蓮、まだそんな意地を張るの? 一華さんはね、東条グループの正当な後継者なのよ。お前が連れているような素性の知れない女とは、格が違いすぎるわ!」


お母さまが、鬼の首を取ったかのように声を張り上げる。

しかし、蓮さんはフッと鼻で笑い、完璧に仕立てられたタキシードのポケットに片手を突っ込んだ。


「格、か。くだらないな。母さん、そして東条一華。お前たちは大きな勘違いをしている。俺が一ノ瀬の本家を切り捨てないのは、ただ単に『手続きが面倒だから』というだけの理由だ。我がイノベーション・ゲートの時価総額が、今や東条グループの本流すら凌駕りょうがしている現実を知らないわけではあるまい」


蓮さんの冷たい言葉に、一華さんの完璧な笑顔が、かすかにピキリと固まった。


「……ビジネスのお話と、結婚のお話は別でしてよ、蓮さん。一ノ瀬家と東条家が結ばれれば、さらなる繁栄が――」


「興味ないな。俺にとって、一ノ瀬の姓も、東条の財力も、莉奈の爪の垢ほどの価値もない」


蓮さんはそう言い切ると、一華さんに向かって一歩、威圧的に足を踏み出した。


「東条一華。お前は莉奈を『薄汚れた家政婦』と言ったな。取り消せ。莉奈の家事スキル、そして彼女の作る洗練された料理は、お前のようなおままごとしかできないお嬢様が一生かかっても到達できない至高の領域だ。お前に莉奈を侮辱する資格など、万に一つもない」


「な、なんですって……っ!   私に向かって、そんな……!」


プライドを真っ向から踏みにじられた一華さんの顔が、怒りで真っ赤に染まっていく。


周囲の社員たちからも、「おお……」という驚きの声が漏れた。

まさか、日本最大の財閥令嬢を前にして、一歩も引くどころか、一人の女性のために完全に敵に回す宣言をするなんて。


「高橋、警備員を呼べ。我が社の神聖な記念パーティーに、招待状も持たない不審者が紛れ込んでいる。一刻も早くつまみ出せ」


「かしこまりました、社長。すでに手配しております」


後ろから現れた高橋さんが、冷淡な笑みを浮かべてタブレットを操作する。


「蓮! あなた本当に正気なの!? 東条家を敵に回して、この会社がどうなってもいいと言うの!?」


キーキーとヒステリックに叫ぶお母さまを、蓮さんは冷たく一蹴した。


「どうなってもいい。莉奈がいない世界なら、こんな会社などいつでも潰してやる」


「……っ!」


その言葉に、一華さんも、お母さまも、そして私自身も息を呑んだ。

すべてを捨ててでも、私を守る。

蓮さんの瞳にあるのは、狂気にも似た、だけど底なしに深い私への執着と愛情だった。


「行きましょう、おば様。……今日のこの無礼、東条家としては絶対に忘れませんわ」


一華さんはこれ以上ここにいるのは惨めだと悟ったのか、私を蛇のような目でキッと睨みつけると、お母さまの手を引いて、激しい足音を立てながら会場を去っていった。


嵐が去り、会場には再び、静寂が訪れる。

蓮さんは深くため息をつくと、すぐに私の方を振り返り、その大きな手で私の頬を包み込んだ。


「莉奈、大丈夫か? 怖い思いをさせて、本当にすまない」


その瞳は、先ほどまでの冷徹な怪物のようなものから、いつもの過保護で優しい蓮さんのものに戻っていた。


「……れ、蓮さん」


私の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

自分の素性がばれて、捨てられるかもしれないと思った。

だけど、蓮さんは私の手を決して離さなかった。


「帰ろう、莉奈。こんな場所、もう1秒だっている必要はない。家でお前の美味い飯を食べて、心を落ち着かせたい」


「はい……っ、はい……!」


私は蓮さんの胸にしがみつき、何度も何度も頷いた。

パーティーでの一華さんの乱入は、確かに恐ろしかった。

だけど、それを経て、私の中の蓮さんへの気持ちは、もう後戻りできないほどに大きく膨らんでしまっていた。


偽装結婚から始まった二人の関係。


東条財閥という本物の巨悪を敵に回した私たちは、これからさらなる激動の渦へと巻き込まれていくことになる――。

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