第10話 きらびやかな舞台と、美しき嵐の予感
イノベーション・ゲート本社の大型プレゼンは見事に大成功を収め、その夜、都内の一流ホテルで「全社記念パーティー」が開催された。
会場は、きらびやかなシャンデリアが頭上で眩い光を放ち、磨き抜かれた大理石の床がそれを反射する、まさに別世界の空間。
立食パーティーのテーブルには、キャビアやフォアグラといった最高級の料理が美しく並べられている。
そんな大舞台の控室で、私は鏡に映る自分の姿を見て、完全にフリーズしていた。
「……これ、本当に私、なのかな?」
鏡の中にいたのは、いつもの地味で冴えない私ではなかった。
蓮さんが一流のデザイナーとトップスタイリストを総動員して選んでくれたのは、淡いサファイアブルーのイブニングドレス。
上質なシルクの生地が私の身体のラインを優しく包み、歩くたびに夜空の星を散りばめたように繊細なラメがキラキラと輝く。
いつも短く切り揃えていた爪には上品な淡いピンクのネイルが施され、お団子にまとめていた髪は、艶やかに巻き上げられて大粒のパールの髪飾りで彩られていた。
首元で鈍い輝きを放つのは、蓮さんの瞳と同じ色をした、吸い込まれそうなほど美しいサファイアのネックレス。
元カレの翔太には『お前って本当に華がないよな』と言われ続けてきたけれど、今の私は、まるで魔法をかけられたシンデレラのようだった。
「お待たせ、莉奈。――っ」
ノックの音と共に控室に入ってきた蓮さんが、私を見た瞬間、言葉を失ってその場に立ち尽くした。
完璧な高級タキシードを身にまとった蓮さんは、モデル顔負けのスタイルも相まって、まるでどこかの国の若き王子のよう。
そんな完璧な彼が、顔を少し赤くして、熱い視線で私をじっと見つめている。
「あの、蓮さん……やっぱり、私にはこんな華やかなドレス、似合っていませんよね……?」
不安になってドレスの裾をきゅっと掴む私に、蓮さんは大股で近づくと、愛おしさが堪えきれないといった様子で私の腰を引き寄せ、優しく抱きしめた。
「何を言っている。似合っていないどころか……美しすぎて、今すぐこの部屋に鍵をかけて、誰の目にも触れさせたくないくらいだ。胸が苦しくて、まともに直視できない」
「蓮さん……っ」
「莉奈、お前は自分がどれだけ原石として美しいか、本当に分かっていなかったんだな。さあ、自信を持って俺の隣にいてくれ。世界中の誰よりも、今夜のお前が一番輝いている」
蓮さんは愛おしそうに私の額にキスを落とすと、私の左手を取り、そっと自分のたくましい腕に組ませてくれた。
彼の腕の温もりが、緊張で震えていた私に、確かな勇気をくれる。
「はい。蓮さんの婚約者として、恥ずかしくないように頑張ります」
重厚な扉が開かれ、私たちは光あふれるパーティー会場へと足を踏み入れた。
二人が会場に現れた瞬間、それまで楽しげにざわついていた数百人の社員たちの会話が、ピタリと止まった。
「おい、社長の隣にいる美女は誰だ……? どこかの財閥の令嬢か?」
「信じられないくらい綺麗だ……。ドレスの着こなしも上品だし、まるで本物のお姫様みたいだぞ」
口々に漏れる、感嘆の吐息。
その中には、あの日、オフィスですれ違って私を地味だと笑った社員たちの姿もあった。
彼らは一様に目を見開き、驚きで開いた口が塞がらない様子で見つめている。
「皆さん、今夜は集まってくれて感謝する」
蓮さんは壇上に上がると、マイクを手に、会場全体に響き渡る堂々とした声で宣言した。
「今期の最高益を記念するこの佳き日に、俺の生涯のパートナーを紹介したい。ここにいる宇野莉奈だ。
彼女は俺の唯一無二の婚約者であり、俺のすべての原動力だ。今後、彼女への無礼は、俺への反逆とみなす」
会場中から、地鳴りのような盛大な拍手と歓声が沸き起こる。
「家政婦」だと見下され、理不尽に全てを失った私。
そんな私が、今、日本屈指の企業の方たちから、憧れの眼差しを向けられている。
(蓮さんのおかげで、私は今、世界で一番幸せかもしれない……)
夢のような心地で、蓮さんと共に壇上を降りようとした、まさにその時だった。
「――お待ちになって。そんな身元の怪しい女性を婚約者だなんて、冗談がすぎてよ、蓮さん」
会場の入り口から、盛大な拍手を切り裂くようにして、高く、凛とした鈴を転がすような声が響き渡った。
社員たちが波が引くように左右に割れる。
そこから現れたのは、漆黒の豪華な海外最高級ブランドのドレスを身にまとい、圧倒的な気品と美貌を放つ、一人の若い女性だった。
彼女の後ろには、なんと数日前に警察に連行されたはずの、蓮さんのお母さま(冴子)の姿もあった。
お母さまは弁護士の手回しで釈放されたのか、勝ち誇ったような、意地の悪い笑みを私に向けている。
「……東条一華。なぜお前がここにいる」
蓮さんの声が一瞬で低くなり、その瞳に冷徹な、そして鋭い警戒の色が浮かんだ。
東条一華――その名を聞いて、会場の社員たちが一斉に血の気が引いたようにざわつき始める。
「東条って、あの日本最大の総資産を誇る超巨大財閥、東条グループの令嬢か!?」
「一ノ瀬本家が、蓮社長の本当の結婚相手として用意したっていう、本物のフィアンセ候補じゃないか……」
一華さんはカツカツとヒールの音を響かせながら、真っ直ぐに私たちへと近づいてきた。
そして、私の存在など最初からこの世に存在していないかのように冷たく無視し、蓮さんだけを見つめて不敵に微笑んだ。
「冴子おば様からお聞きしましたわ。蓮さんが、本家へのつまらない当てつけのために、薄汚れた『家政婦』を婚約者だと偽っていると。ですから、本物の婚約者である私が、直々にあなたの目を覚まさせてあげに来ましたの」
一華さんはそう言うと、初めて私の方を向き、ゾッとするほど冷たい蔑みの微笑を浮かべた。
「あなた、月50万で雇われているんですって? 随分と安いプライドですこと。蓮さんにふさわしいのは、あなたのような一般人の泥棒猫ではなく、私ですわ。その安物のドレス、早く脱ぎ捨ててお帰りになったら?」
会場の空気が、一瞬で凍りつく。
せっかく勝ち取った幸せな空間が、一瞬で「本当の婚約者候補」という巨大な嵐に侵食されていく。
蓮さんは私の肩を壊れ物を守るように強く抱き寄せ、一華さんを殺気すら感じる目で睨みつけたが、一華さんは怯むどころか、さらに妖しく笑みを深めた。
「これからが楽しみですわね。蓮さん、そして――偽物の奥様?」
私の胸に、消えかけた不安が再び津波のように大きく広がっていく。
この華やかなパーティーは、ハッピーエンドなんかじゃない。
これから始まる、波乱に満ちた長大な物語の、ほんの幕開けに過ぎなかったのだ――。




