ここにいる理由
夏の夕方。
プールの後片付けが終わり、園庭には静けさが戻っていた。
水を抜いたビニールプールは、少ししょんぼりした形で干されている。
その横で、魔王はホースを巻きながら、空を見上げていた。
「……終わったな」
誰に言うでもない言葉。
園児たちは全員帰り、保育士たちも順に帰宅した。
園に残っているのは、魔王ひとり。
風が吹き、濡れた地面が少しずつ乾いていく。
今日一日を思い返せば、笑い声と水しぶきと、走り回る小さな足音ばかりが浮かぶ。
「魔王だった頃なら……」
ふと、過去がよぎる。
命令、恐怖、服従。
世界を支配していたはずなのに、そこに笑顔はなかった。
今はどうだ。
転んで泣く子がいて、
怒って、すねて、
でも最後には笑って帰っていく。
守るのは大変だ。
神経も使うし、失敗もできない。
それでも。
「……悪くない、どころじゃないな」
魔王は、ぽつりと笑った。
倉庫の前に、小さな忘れ物があった。
園児のサンダルだ。
魔王はそれを拾い、きれいに揃えて棚に置く。
「明日、返さねばな」
明日。
自然と、その言葉が口に出る。
この場所に、明日がある。
自分が、ここにいる理由がある。
園舎の灯りを消し、門を閉める前に、魔王は一度だけ振り返った。
静かな園庭。
だが、確かに残っている気配。
笑い声。
足音。
小さな「またね」。
「わしは、ここでいい」
いや。
「ここがいい」
そう言って、魔王は門を閉めた。
世界征服はしなかった。
だが、小さな世界を守ることには成功した。
魔王が転生して選んだ道は、
今日も、明日も、きっと騒がしい。
そしてそれは、
何より誇らしい結末だった。




