プールで理性を試される
ついに、その日が来た。
朝から園内は、異様な熱気に包まれている。
登園してくる園児たちは、すでに水着の話しかしない。
「きょう、プール!」
「ぼくの、さめ!」
「えんちょーもはいる?」
その質問に、魔王は一瞬だけ視線を逸らした。
「……監督だ」
言い切ったものの、内心は落ち着いていない。
園庭の中央には、昨日設置したばかりの大きなビニールプール。
水面が太陽を反射して、きらきらと揺れている。
魔王は、深呼吸をひとつ。
「約束、覚えているな」
「はーい!」
その返事を確認し、ついに号令がかかる。
「では、水に入れ」
歓声。
次の瞬間、園児たちは慎重に、しかし確実にテンション高めでプールに入っていく。
水しぶきが上がり、笑い声が弾ける。
「走らない!」
「押さない!」
魔王の声が、園庭に響く。
目は忙しく動き、全員の位置を把握している。
問題は、その次だった。
「えんちょー!みてー!」
「こっちも!」
あちこちから手を振られ、魔王は思わず一歩前に出る。
水が、足首に触れた。
「……」
冷たい。
だが、悪くない。
もう一歩。
その瞬間、保育士の鋭い視線が突き刺さる。
「園長先生」
「……監督だ」
自分に言い聞かせるように呟き、魔王はプールの縁に戻る。
だが、園児の一人が転びかけた瞬間、体が勝手に動いた。
ばしゃ。
気づけば、膝まで水に浸かっている。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、大歓声。
「えんちょー、はいった!」
「やっぱり!」
魔王は、観念した。
「……一歩だけだ」
その一歩は、あっという間に二歩になり、気づけば水しぶきの中心にいる。
だが、不思議と動きは慎重だった。
抱き上げるときはゆっくり。
水をかけるときも弱め。
はしゃぎたい衝動を、理性で必死に押さえている。
「えんちょー、たのしい?」
「……楽しい」
正直な答えだった。
時間いっぱい遊び、事故もなく、泣く子もいない。
プール終了の合図が出ると、園児たちは名残惜しそうに水から上がった。
「またやる?」
「もちろんだ」
魔王は、びしょ濡れのまま答える。
保育士が小さく笑った。
「理性、勝ちましたね」
「……今回はな」
プールの水を抜きながら、魔王は思う。
守りながら、楽しむ。
それは、想像以上に高度な魔法だった。
夏は、まだ始まったばかりだ。




