準備という名の地味作業
夏の気配を感じた翌日。
魔王は、朝から園内を歩き回っていた。
「まずは確認だ」
その手には、保育士から渡されたチェックリスト。
文字の量を見ただけで、かつての配下なら逃げ出していただろう。
園庭の蛇口、水圧よし。
ホース、穴なし。
日よけの設置場所、要検討。
一つ一つ確認しながら、魔王はうなずく。
「地味だが……重要だな」
園児たちは、その様子を不思議そうに眺めている。
「えんちょー、なにしてるの?」
「みずあそび?」
「プールまだ?」
質問攻めに合いながらも、魔王は手を止めない。
「楽しいことの前には、準備がある」
「じゅんびー?」
「そうだ。安全のためだ」
園児たちはよく分からないながらも、「ふーん」と言って砂場へ戻っていった。
次は倉庫。
扉を開けると、去年使った遊具やビニールプールが積まれている。
「……これは」
小さなビニールプールを持ち上げた瞬間、魔王の手が止まる。
空気を入れれば、一瞬で破裂しそうな頼りなさ。
「これで、子どもたちを……?」
一瞬、魔力で補強する案が頭をよぎる。
だが、すぐに首を振った。
「それでは意味がない」
この世界のやり方で、守らなければならない。
保育士が倉庫を覗き込む。
「どうですか?」
「……買い替えだな」
「ですよね」
その判断に、保育士はほっとした顔をした。
午後。
職員会議が開かれる。
水遊びの日程。
人数の配置。
体調不良時の対応。
魔王は、すべてに目を通し、意見を出す。
「人数が多い日は、時間を分けよう」
「日陰を増やす」
「必ず、水に入らない見守り担当を置く」
その真剣さに、保育士たちも自然と背筋を伸ばした。
「園長先生、本当に……慣れましたね」
「そうか?」
魔王は少し考え、答える。
「慣れたのではない。大切だと分かっただけだ」
会議が終わる頃には、夕方の光が差し込んでいた。
園庭に出ると、園児たちが駆け寄ってくる。
「プール、いつ?」
「まだない?」
「たのしみ!」
魔王はしゃがみ込み、目線を合わせる。
「もう少し待て」
「その代わり、ちゃんと楽しくする」
その言葉に、園児たちは満足そうにうなずいた。
誰も知らない。
この地味な準備こそが、魔王にとって一番の戦いだということを。
夏は、もうすぐそこまで来ていた。




