魔王、静かなる決意
朝の保育園は、いつも通りのにぎやかさに包まれていた。
園児たちは靴箱の前で靴を間違え、誰かが泣き、誰かが笑い、誰かがすでにおやつの話をしている。
その中心で、元・魔王であり現・園長の彼は、いつもより少しだけ背筋を伸ばして立っていた。
「よし、今日も無事に一日を始めるぞ」
かつて世界を震え上がらせた低く重厚な声は、今やすっかり丸くなり、園児たちには「えんちょーせんせーの変な声」として親しまれている。
「えんちょー!きょうはなにするのー?」
「おそと!おそといく?」
「すべりだい!」
次々に浴びせられる期待の声に、魔王は一瞬たじろぐ。
かつては部下の魔将たちが一斉にひざまずいていたというのに、今はこの小さな存在たちに囲まれている。
だが、不思議と嫌ではなかった。
園庭を見渡す。
昨日、園児たちと一緒に掃除した砂場。
少し歪んだままの滑り台。
誰かが落書きしたまま消し忘れた黒板。
どれも、魔王が守ると決めた世界だ。
「今日はな、みんなで新しいことを考える日だ」
その言葉に、園児たちが一斉にざわめく。
新しい、という言葉はこの保育園で最強の魔法だった。
「えー!なにー?」
「おやつ?」
「おばけ?」
魔王は口元をゆるめる。
昔なら、恐怖と絶望を与える笑みだったはずなのに、今はただ少し不器用な笑顔だ。
「まだ内緒だ。だが、ちょっとだけ大きなことをする」
保育士たちが顔を見合わせる。
嫌な予感と、なぜか拭えない安心感が同時に湧いてくるのは、もう慣れっこだった。
魔王は心の中で、静かに思う。
この保育園は、ただの職場じゃない。
ただの転生先でもない。
ここは、今の自分の城だ。
園児たちが今日も無事に笑って帰れるように。
転んだら泣いて、立ち上がったら褒められる場所であるように。
そのためなら、魔王は何度でも世界を相手に戦える。
「さあ、朝の会を始めるぞ」
そう言って手を叩くと、園児たちは元気よく集まってきた。
その光景を見ながら、魔王は気づいてしまう。
かつて求めていた支配よりも、ずっと手ごわいものを手に入れてしまったのだと。




