『注意書き』
最初の数日は、注意書きに従った。
芽が「水をちょうだい」と囁いても、決して甘やかさない。
朝と晩、必要な分だけ水をやり、陽の光に当てるだけ。
だが……夜になると声は続いた。
「さみしいよ……」
「どうして撫でてくれないの?」
「わたし、頑張ってるのに……」
俺は枕を頭にかぶり、耳を塞いだ。
推しキャラの顔をイメージして眠ろうとしても、声は脳に直接染み込むように届いてくる。
――そして、一週間後。
芽は小さな蕾をつけた。
いや、“顔”に見えた。
大好きな推しキャラの顔。
笑っている。
まるでアニメから抜け出したかのような、完璧な造形。
俺は息を呑んだ。
「……やっぱり、可愛いな」
その瞬間、決意が崩れた。
俺は注意書きを破り、存分に甘やかした。
水を多めにやり、栄養剤を与え、部屋の中でも光を浴びられるようにライトを当てた。
ついには鉢の前で声をかけ、話しかけるようになった。
すると――
「ありがとう……おとうさん」
芽が囁き返した。
それは確かに“推しキャラの声”だった。
俺は狂ったように世話を続けた。
蕾は大きく膨らみ、やがて人の形を帯び始める。
白い肌、長い髪、あのアニメそのままの姿。
ベッドの横の鉢植えから、少女が立ち上がった時、涙がこぼれた。
「……会いたかった……ずっと」
俺の推しが、目の前で微笑んでいる。
触れられる。抱きしめられる。
夢じゃない。
だが――抱きしめた腕に、違和感が走った。
背中は冷たく、柔らかいはずの髪の毛は、根のようにざらついていた。
押し当てた胸元からは、土の匂いがした。
「おとうさん……もっと、愛して……もっと、育てて……」
その声は甘く、同時に泥に沈むような重さを帯びていた。
俺の腕の中で、推しキャラはゆっくりと、蔓のような指先を伸ばし始める――。