episode7 討伐とか無理!!
討伐依頼に記されたポイントに着いてみると、そこは――静かな池だった。
「え、ここ? 魔物って森の中とかじゃないの……?」
肩透かしを食らったレイは、とりあえずさっき食べた薬草の苦味をどうにかしたくて、池の水で口をゆすごうとしゃがみこむ。
(うぅ……まだ口の中苦いんだけど……。)
指先が水に触れた、そのとき――。
(……なにか来る……!?)
池の底から、どんよりした影がぬるぅっと浮かび上がってきた。
「ひっ!? な、なになに!?」
慌てて立ち上がり、腰のショートナイフに手を伸ばす。
だが、水面に顔を出したソレを見て、レイは思わず見とれてしまった。
丸っこくて大きな頭。つぶらな黒目。どこか愛嬌のあるその表情。
まるで動物園にいるカバのようだった。
「か、かわいいぃぃ!? なにこの子! え、もしかして……これが討伐対象……?」
レイは思わずナイフを下ろした。
「無理無理!! 殺せないよこんな子!!」
カバはそんなレイを、つぶらな瞳でじっと見つめている。
(……え、めっちゃかわいいんだけど。)
「ちょっと撫でてみようかな……。」
そっと手を伸ばしかけたその瞬間、カバが口からぷくっとシャボン玉のような青い泡を吐き出した。
「わっ! 芸もできるの!? お利口さん!!」
青い泡がふわふわとレイの目の前に漂ってくる。
「なにこれ、シャボン玉? もういっそ飼おうかなぁ……。」
レイは興味津々で泡に指を伸ばした。
――ぶちゅぬるっ。
「……へ?」
割れた泡から、青く粘ついた液体が飛び散った。
「ひぃ!? なにこれ!? 気持ち悪っ!!」
手だけでなく、服にまでべっとりと付着している。
「うわぁぁ!! 水あめ!? よだれ!? どっちにしても嫌ぁぁ!!」
慌てて振り払おうとするが、なかなか取れない。
「うぅ……かわいい顔して何てことするのよ……。」
レイが涙目になっていると、今度はカバの口から黄色い泡がぷくりと浮かび上がった。
「……ん?」
先ほどとは違う色。
(……黄色? なんか嫌な予感……。)
レイは警戒して一歩後ずさった。
だが、黄色い泡は突然、レイに向かって飛んできた。
「えっ!? ちょっ――」
――パチンッ!!
泡がレイの肩に触れた瞬間。
――ビリビリビリビリッ!!
「ぎゃああああああ!?!? いったぁああああい!! ※AED※AED!!」
※AED=自動体外式除細動器の略。医療知識が微妙に残っている社畜由来の叫び。
全身に強烈な電撃が走った。
しかも、先ほど付着した青い液体のせいか、電撃が体中に広がっていく。
「いだだだだだ!! ちょっ!! 待って!! 死ぬ死ぬ死ぬぅぅ!!」
体がビクンビクンと痙攣し、レイはその場に膝をついた。
「はぁ……はぁ……。」
なんとか電撃が収まると、レイは涙目でカバを見つめた。
「……だめだ。あれ、やばいやつだ……。」
かわいい見た目に完全に騙された。
しかも、カバは悪びれる様子もなく、再び泡を吐き出している。
「……いやいや、待って。まだ来るの!?」
青い泡。黄色い泡。
次々と吐き出された泡が、レイの周囲を漂い始めた。
「ひぃぃ!! 近づけない!!」
レイは慌てて距離を取った。
だが、カバは容赦なく泡を飛ばしてくる。
「うわぁぁぁ!! やめてぇぇ!! 私、あんたのこと殺したくないんだってばぁぁ!!」
ショートナイフを構える余裕すらない。
そもそも、あの大きな体にこんな小さなナイフが通用するとも思えなかった。
(……ど、どうしよう!!)
泡を避けながら、必死に頭を回転させる。
そして――。
「……あっ!!」
あるスキルを思い出した。
「そうだ!! 『売却』!!」
レイはカバに向かって手をかざした。
「いっけぇぇ!! 『売却』!!」
ピコン!
【バブルヒポポスを売却します】
【売却に失敗しました】
「……ですよねぇぇ!!」
やっぱり生き物は売却できないらしい。
「……ていうか、バブルヒポポスって名前なんだ。」
妙にかわいい名前だった。
「はぁ……冒険者、向いてないかも……。」
レイはがっくりと肩を落とした。
だが、そのとき。
目の前を青い泡がふわふわと通り過ぎた。
「……ん?」
レイはその泡をじっと見つめた。
(……待てよ?)
カバ本体は売れない。
でも、あの泡はどうだろう。
(……あれって、生き物じゃないよね?)
「……もしかして。」
レイは青い泡へと右手を向けた。
「『売却』!」
ピコン!
【泡を売却しました】
【所持金:+700G】
「…………。」
レイは目を見開いた。
「……ななひゃく?」
もう一度、表示を確認する。
【+700G】
「……え?」
そして――。
「売れたぁぁぁあああああ!!!」
レイは両手を上げて飛び跳ねた。
「しかも700G!? 泡一個で!? やっばぁぁ!!」
雑草なら700本分。
道端のゴミを必死に集めていたのが馬鹿らしくなる金額だ。
(……待って。これ、めっちゃおいしくない!?)
レイはゆっくりと池を見つめた。
バブルヒポポスは、今も呑気に泡を吐き出している。
しかも一個や二個ではない。
次から次へと。
「……ふふっ。」
レイの口元が緩んだ。
「これは……泡長者の予感……!」
その瞬間、レイの中から討伐という目的が消え去った。
「よーし!! 金稼ぎタイムだぁぁ!!」
レイは飛んでくる泡に次々と手をかざした。
「『売却』! 『売却』! 『売却』!」
ピコン! ピコン! ピコン!
【泡を売却しました:+700G】
【泡を売却しました:+700G】
【泡を売却しました:+700G】
「うっひょぉぉ!! お金が増えるぅぅ!!」
レイのテンションは最高潮。
さっきまで命の危険を感じていた相手が、今では金のなる木にしか見えない。
(ふふふ……これなら能力ガチャも引き放題じゃん!!)
だが――。
「……あ。」
ふと、ステータスに目を向けた。
MPがかなり減っている。
「……やっば。もうこんなに使ったの!?」
売却一回につきMPを1消費する。
泡を売るたびに、魔力は確実に減っていた。
(……このまま使い続けたら、また気絶するじゃん。)
以前、MPを0まで使い切って倒れたことを思い出す。
「……うーん。」
レイは少し考えた。
そして、腰のポーチへと手を伸ばした。
「……ふふふ。」
取り出したのは、森であらかじめ収穫しておいた薬草だった。
MPを5回復する、便利な草。
ただし――。
「……うぅ。」
レイの顔が引きつった。
あの味を思い出したのだ。
青汁にドクダミと泥を混ぜたような、地獄の苦味。
「……いや、でも。」
レイは池を見つめた。
そこでは、バブルヒポポスが相変わらず泡を吐き続けている。
(……泡一個で700G。)
薬草を見つめる。
(……MP5回復。)
再び池を見る。
(……700G。)
薬草を見る。
(……あのクソまずい草。)
「…………。」
しばらく沈黙。
そして――。
「……お金のためならぁぁ!!」
レイは覚悟を決め、薬草を口へ放り込んだ。
――もぐっ。
「んぐぅぅぅぅ!!」
案の定、強烈な苦味が口いっぱいに広がる。
「まっずぅぅぅ!! やっぱ無理ぃぃ!!」
【MPが5回復しました】
しかし、回復したMPを確認すると、レイは再び池に向かって手をかざした。
「『売却』! 『売却』! 『売却』!」
ピコン! ピコン! ピコン!
【泡を売却しました:+700G】
【泡を売却しました:+700G】
【泡を売却しました:+700G】
「ふふふ……お金ぇぇ……!」
もはや完全に金の亡者だった。
――しばらくして。
「……あっ、またMP減ってる。」
レイはポーチから新たな薬草を取り出した。
その瞬間、ふと思い出す。
(……そういえば、これ。)
森で大量に見つけたときは、あとで料理して食べようと思っていた。
生で食べるからまずいのであって、ちゃんと調理すれば多少はマシになるかもしれない。
そう考えて、せっせと収穫していたのだ。
なのに――。
(あとで料理して美味しく食べてやろうと思ったのにぃ……!)
レイは涙目になりながら薬草を握りしめた。
「……くっ!! でも今はお金が優先!!」
――もぐっ!!
「まっずぅぅぅ!!」
【MPが5回復しました】
「まずい! もう一個!!」
――もぐっ!
「うぇぇぇ!!」
そして再び売却。
「『売却』! 『売却』!」
MPが減れば薬草。
回復したら、また売却。
「まずい! もう一個!!」
「『売却』!!」
「まずい! もう一個ぉぉ!!」
「『売却』!!」
……もはや何の修行なのかわからない。
金のために苦行を繰り返すその姿は、まるで修行僧。
ただし、煩悩の塊である。
――そして、一時間後。
「……はぁ……はぁ……。」
レイは池の近くにある木陰で、ぐったりと座り込んでいた。
口の中は相変わらず苦い。
顔色も最悪。
だが、その表情には妙な達成感があった。
「……ふふふ。」
レイは震える手でステータスを開いた。
「さて……どのくらい稼げたかな……。」
ピコン!
【所持金:46,035G】
「…………。」
レイは画面をじっと見つめた。
「……よんまん……?」
もう一度確認する。
【46,035G】
「……え?」
泡一個700G。
売却した泡は、合計65個。
つまり――。
「45,500Gも稼いじゃったぁぁぁぁ!!!」
レイは勢いよく立ち上がった。
「やっば!! やっばぁぁ!! 能力ガチャ9回も引けるじゃん!!」
さっきまでの苦行が、一瞬で報われた気がした。
(ふふふ……これで最強スキル引き放題……!)
指先からそよ風を出すだけの『微風』とは、もうおさらばできるかもしれない。
「……いやぁ、異世界って最高だわ……。」
レイは満足げに池を眺めた。
バブルヒポポスは、相変わらずのんびりと泡を吐き出している。
その姿を見て、レイはふと思った。
(……あれ?)
そもそも、自分はこのカバを討伐するために来たはずだ。
だが、倒してしまえば泡は出なくなる。
つまり、お金も稼げなくなる。
「…………。」
レイは腕を組んだ。
(……討伐する意味、なくない?)
カバを見つめる。
丸っこい頭。つぶらな瞳。
かわいい。
しかも泡一個700G。
(……この子、金の泡製造マシンじゃん。)
「……ふふふ。」
レイは満面の笑みを浮かべた。
「よーし! 決めた!!」
カバに向かって親指を立てる。
「君は今日から私の大事な金づる……じゃなかった! 大事なお友達だよ!!」
バブルヒポポスは、そんなレイの言葉など理解していないのか、ぷくっと新たな泡を吐き出した。
「……あっ! 700G!!」
条件反射で手を伸ばしかけたそのときだった。
――シュンッッ!!!
「……え?」
一筋の矢が、凄まじい速度で池へと飛んでいった。
そして――。
――ドスッ!!
バブルヒポポスの額を、一本の矢が貫いた。
「…………。」
レイは固まった。
カバの大きな体が、ゆっくりと水面へ沈んでいく。
ついさっきまで吐き出されていた泡が、ぱちん、ぱちんと弾けて消えていった。
「…………え?」
レイは震える手を伸ばした。
「……ちょっと……待って……。」
かわいいカバ。
そして、毎日お金を生み出してくれるはずだった存在。
その両方が、目の前で失われていく。
「……私の……。」
レイの唇が震えた。
そして――。
「カバァアアアアアア!!!!」
悲痛な叫びが森にこだました。
レイが呆然と池を見つめていると、木々の向こうから一人の女性が姿を現した。
水色の髪をなびかせ、手には弓。
その姿は、まさに歴戦の冒険者といった雰囲気だった。
だが、今のレイにとってそんなことはどうでもよかった。
(……私の……私の金づるがぁぁぁ……!!)
こうして、レイの泡長者生活は――。
わずか一時間で幕を閉じたのだった。
――――――【 レイ 】――――――
所持金:46,035G(+45,500G)
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