誓い
舞踏会当日の朝、相変わらず魔女らしい装いをしているだろう女をエスコートする為にハオスワタ侯爵邸に向かったが彼女は父母が行方知れずになったショモナー兄妹に助力したいと言ってショモナー兄妹と登城すると言い、俺は一人で城に向かうことになった。
教会の件についてキエナやエルゴと話すのであれば一人なのは都合がいいとも言えたし、登城の開始の合図である鐘の音は鳴っていないが城に馬車を向かわせた。
王城に足を踏み入れ、控室の前にある階段から二階に上がり窓から表情無く空を見上げた。
普段であれば勤める侍従たちが忙しなく動いている廊下は舞踏会があるため人ひとり居らず静かだった。
秋晴れなはずのくすんだ空を眺めていると背後から話し掛けられ、そこに居たのは穏やかに笑むカートイット伯爵。義父上と呼べるはずだった人だ。
「やあ、クロウゼスくん。久しぶりだね」
「お久しぶりです」
「噂は色々と聞いているよ」
柔和な笑みの中に俺を見定めるような視線があり、少しだけ居心地が悪いと感じてフェイブルの色が無い婚約の証を忌々しく握り締めた。
フェイブルとの婚約破棄から直接関わることの無かった相手と談笑する気にもなれず、視線を逸らし立ち去ろうかと思ったがそれはカートイット伯爵の手によってとめられる。
「少し、時間を貰えるかい?」
「……はい」
今や黒い噂ばかりが付き纏う俺に何の用があるというのか。
彼に促されるままとある部屋まで行き、二人きりになった室内は空気が重く感じられて初めて目の前に座る穏和な紳士から逃げたいと思った。
責めるでもなく、何かを話すでもなく一つの小箱がテーブルに置かれ、差し出される。
「これはね、フェイブルが君に用意していたものだ。作らなくて良いと言っていたがジーンがね、フェイブルの為に作って欲しいと言ってきたんだよ。一応、ヴァンスにも君に渡すべきか確認をしたら是非にと言われてね」
小箱の中にはアンクレットがあった。
白金で作られた決して主張はしないデザイン、煌々と光るローズクォーツは魔石としてのグレードも最高級のものが使われている。それを手に取って震える手で撫でた。
待っていると言われてる気がして、呼吸をするのも忘れるくらいに自己嫌悪と後悔に苛まれ、奥歯を噛み締める。
虚実の入り乱れる俺の噂をカートイット伯爵は、フェイブルはどう思っているだろうかと不安が募った。
この数ヶ月の間で俺の手は充分すぎるほど血に染ったのだ。
ハオスワタを調べる為にと言い訳して暴力と権力を使って脅したこともある。
ハオスワタの勢力を削る為に他者を屠ったこともある。
ノミンシナの犬を演じる為に善良な者を傷付けたこともある。
ノミンシナの悪行に目を瞑り、告発した者を屠ったこともある。
ハオスワタ侯爵の指示で罪人なのかどうかも判断できない人物を投獄させたことも、裁いたことも全て真実だ。
それとは別に存在する俺が元々ノミンシナを狙っていただとか、愛だの恋だのという感情的な部分に関しては全て嘘でしかない。
それでも国王がある程度の被害を容認しているとはいえ、俺のやってきた真実の部分は変えようもなく誰にも言えないほどに後暗い。
騎士にしては細く筋張った俺の手が赤く染まる度に、もう一度フェイブルの手をとる日を望んでいいのかすら分からなくなった。
碌に眠ることも出来ず、食事も喉を通らない日が増えた。窶れ、心を削ぎ落としていく俺にノミンシナは「儚さのあるクロウは、とても素敵だわ」と恍惚の表情を見せては、他所で「クロウが何か悩んでいるみたいなの。心配だわ。彼は私の為なら何でも頑張ってしまうの」と愉悦の滲む悲壮の顔をして王都に来ている妹のサーヤまで取り込もうとし始めている。
ひとつずつ大切にしていたものが削られていくことに慣れ始め、誰かを陥れるための算段をつけることが日常になっていた俺に齎されたこのアンクレットは余りに重かった。
久しぶりに心が動き生きていることを実感できても、たった数ヶ月の過去が重くのしかかり、受け取ることが怖かった。
「クロウゼスくん、貰ってやってくれないか?」
「俺、は……」
「つけなくてもいい。ただ、持っていてくれるだけでフェイブルは救われるはずだ。あの子は君以外の誰のものにもならないと誓って──」
カートイット伯爵の声が止んで、彼に視線を向けると困ったように笑っていた。
パタッパタッと自分の膝に何かが落ちて弾ける音がしては、それが白の正装に滲んでいく。
「フェイブルが言っていた通り君は強がりで、我慢強くて、そして脆い。純粋な娘の想いは今の君には重いものなのかもしれないが、その贈り物は君の心を修復してくれると私は信じているよ」
そう残して彼は席を立ち「落ち着くまでここに居なさい」と言い残して去って行く。
零れていくものが止まることはなくて、後悔の念も収まることはなくて、ただ手の上にある彼女の想いの塊を呆然と握り締めた。
どれくらいそうしていたのか、たった十分程度かもしれないし、もしかしたら一時間ほど経っていたのかも分からない。
ノミンシナが登城しているかもしれないからと重い腰をあげようとして遠くに扉を叩く音がする。
泣いていたせいで鈍る頭を緩く振って、きっとカートイット伯爵がヨークでも呼んでくれたのだろうと思いながら入室した人物が現れるであろう衝立の方に視線だけを向けた。
「お父様?頼まれたものを――」
ぼやけた視界の先にある衝立の端から覗く声の主と視線が合わさって、咄嗟に、ただ無意識にそこに立っていた彼女に駆け寄って腕の中に収めた。
「フェイ……ごめ、俺っ…俺は──」
触れてはいけないなんて考えられなかった。
冷静さなんて微塵もなく壊れそうなくらいに細くなった彼女を縋るように抱きしめる。
遠慮がちに背中に回された手が温かく、ぎゅうっと力が入った。それだけで充分なはずなのに飢えていた心はもっととせがむ。
腕の中のフェイブルが小さく震えて、空いていた時間を埋めて欲しいと強請るように俺の胸に顔を埋める。
「会いたかったの……クロウ。私、私ね……もうクロウに会えないんじゃないかって思って……でも、私が泣いてるって知られたらクロウが困ってしまうからって……ずっと、我慢してて……不安で、寂しくて……」
嗚咽混じりにぽつりぽつりと溢される言葉に愛しさが増して、それ以上に不安にさせていたことへの申し訳無さがあった。
張り続けていた緊張の糸が途切れてしまったのか堰を切って流れ落ちる涙が胸元を濡らしていく。
フェイブルの恋い慕う人物が俺でさえなければ、こんなに涙を流すほど苦しい思いをすることなく過ごせたはずなのにと後悔が襲う。
「ごめんな、そばに居られなくて。不安にさせて……」
柔らかな月白の髪を梳くように撫で、優しく包み込む。
落ち着かせるよう穏やかに声をかけたが、それが慰めにもならないことは理解していた。
「ねえフェイ、顔を見せて?」
フェイブルの頭がふるふると小さく横に振れる。きっと泣き顔を見せたくないんだろう。
止まない涙が彼女の不安と苦しみの大きさをまざまざと知らせ、ふと聞こえた苦しげな呼吸音に慌てて少しだけ身体を離し、崩れ落ちそうになった身体に強引に腕を回して抱き上げ、ソファーに向かい前かがみの状態で座らせて床に膝をつく。
「フェイ、ゆっくり息を吐いて?」
感情の抑制ができず、止めようと思っても涙も嗚咽も止まらず、厳しい祖母に教わってきた全てが通用しない事態に混乱しているのだろう。
背中を擦りながら声をかけ続け、時間をかけて呼吸を落ち着かせる。
「もう大丈夫かな?」
「だい、じょうぶ」
落ち着いてきたフェイブルの隣に座り、もう一度抱きしめると彼女の体重がかかる。
それだけで彼女が俺に全てを預けてくれているのがわかって幸福感からか目頭が熱くなった。
しばらく寄り添い合い、見つめ合って再び零れそうになった涙を見つけて、その頬に手を添えた。
「──ッ!?」
突然の行動にフェイブルが驚くのは当然で、それでも少しだけ強引に唇を重ねる。合間に吐息が溢れ始めて唇を離すと潤んだ薄桃色からまた涙が落ちた。
もう一人にしないと言えたならどれだけ良かっただろうかと見慣れないモスグリーンを基調としたドレスに視線を落として、やけに強調された胸部に視線が行った。
「フェイ、このドレスはなに?」
フェイブルは露出の少ないドレスを好む。もしかしたら俺の独占欲の強さに応えた好みだったのかもしれないが、彼女が選んだとは到底思えない露出度の高いデザインに顔を顰めると気不味そうに「殿下から贈られたの……」と視線を逸しながら言う。
それは、俺には言ってはいけないことだったと思うよ。そう言葉にはせずに独りごちてソファーに押し倒す。
「へぇ……そう。自分の色を与えたんだ?」
眇めた金の眼には戸惑うフェイブルが映る。どう説明するか、はたまたそれを身に纏うことを決めた理由でも考えているのだろう。
「ク、クロウ?あのね……殿下はまだ幼くて……」
「知ってるよ。落ち着きのないクソガキなことも知ってる」
「座学がお嫌いなの。マナーレッスンも進んでなくて……」
「飽きるほどエルゴから聞かされてる」
「だから、自身の色を与える意味をご存知ないのよ」
「じゃあ、王子の身近な誰かがそれを与えることを許したってわけだ?」
「王妃様のご意向もあって……」
「あぁ……」
噂の座って微笑んでるしか能が無いくせに口を挟んでくる鬱陶しい王妃かと続けそうになって言葉を止める。
ちなみに王妃をそう評価しているのは王子の側近の双子でもあるし、王弟サノス公爵でもあるし、王妃の元護衛騎士の義姉上でもある。
そもそも義姉上が結婚を決めて退役したのは王妃に護るだけの価値を見出だせなかったからだし、サノス公爵は常々兄王の唯一の汚点だと言っていた。
これでもかというくらいに深く溜息を吐いてフェイブルに覆いかぶさったまま視線を合わせる。
「私達の婚約破棄は主教様と王妃様の意向だと聞かされたわ」
「へぇ、わざわざ俺達を離したあと片割れを自分の手元に置いたんだ。フェイが優秀だったから事を進めやすかっただろうね」
そう吐き捨てる俺の下でフェイブルの桃色の瞳が不安そうに揺れる。
「ねぇ、クロウ。誰かが来たらと思うと気が気じゃないわ。少し離れて話ましょう?」
「いやだ」
返した言葉はまるで子供のようだと自分でも思う。フェイブルが傍に居ない間、冷静ぶって大人ぶって取り繕っていたものが全て削げ落ちるようだ。
顕になったデコルテに顔を埋めるように触れて、纏う色が自分のものじゃないことが腹立たしいと歯噛みする。
「いっそ国を捨てて連れ出せたらいいのに……」
縋って、縋って、縋れば「わかったわ」と言ってくれるような気がした。でも、きっとフェイブルは首を縦に振らない。
彼女は冷静じゃない俺になんてついてきてはくれないし、不貞行為にあたるこの状況を彼女許さないだろう。
そう思って離れようとして、何かが後頭部を撫でる。
優しくて温かいフェイブルの手だと分かって、それに身を任せれば、彼女は「そうね」と言った。
俺の髪を撫でていた手が耳に触れ、何かを確かめるように形に沿って動き、そしてフェイブルは痛々しげに笑う。
「それもひとつの手段よね」
「……フェイ?」
「でも、クロウは私に家族を捨てさせたと思って結局苦しむわ。私がいくら二人で居られることが幸せだと言っても、後悔していなくても」
俺以上に俺をよく知る彼女はそう言って困ったように笑った。カートイット伯爵と同じ柔らかな笑顔だ。
与えられると思わなかった許しに目の奥が熱くて、出た声が余りに弱々しかった。
「じゃあ、誰のものにもならないでいてくれる?きっとこれからも俺は何度もフェイを苦しませる。つらい思いをさせるかもしれない。それでも俺を待っててくれる?」
頼りなくて到底紳士とは思えないような男の戯言にフェイブルが屈託なく笑って「えぇ、待ってるわ」と言ってくれる。
もしかしたら優しい嘘なのかもしれない。それでも今の俺を落ち着かせるには充分で、でも少しだけ冷静に他人の色を纏っていられる彼女が憎らしかった。
──フェイだって、少しは焦ればいいんだ。
そう思ってこれ見よがしに彼女の柔らかな胸元に色濃く口吸いの痕を付けて、ベチッと額を叩かれる。
「痛いよ」
「ク、クロウが……だって――ッ!」
さっきまで冷静だったくせに今では耳まで真っ赤に染まっていて、早くこの場所に戻りたいと思った。
「うん、ごめん」
そう言って自分だけ起き上がり、彼女の左の足首に触れてソレの存在を確認した。
デビュタントの日に贈った俺の色を持つ独占の証。
耽美とも言われる様になった顔でニヤッと笑んで手早く靴下を抜き取った。
「──ッ!?ちょっと!ダ」
ダメだと言いたかったんだと思う。
異性に素足を見せるのははしたないことで、夫婦間にしか許されない行為だ。
それを理解していながら俺はフェイブルの左足を持ち上げ、唇を落としていく。
脛に、甲に、足の裏までも。絶対的な服従と忠誠を誓うように。
固まるフェイブルと視線を合わせ、うっとりと表情を緩めて彼女を再び抱き上げて膝に乗せ、強く抱きしめた。
「クロウゼス・シャーレッツオが今ここに誓う。私の忠誠を、持てる感情総てをフェイブル・カートイット、貴女に捧げる」
繊細な指先に、手の甲に、胸元に、鎖骨に、首筋に、耳に、涙の跡が残る目元に、そして唇に──返事は要らないと言うように次々に口付けをしてソファーに転がった金のアンクレットが視界に入り、それを手に持って彼女に見せた。
「フェイ、ありがとう。大切にするよ」
フェイブルのローズクォーツの瞳が大きく見開かれ「え?」と声が漏れる。
「何で……私、中止したはず」
「カートイット伯爵がくれたんだ。ジーンにお願いされたみたいだよ?」
「そう、なの?」
もう一度抱きしめようとして大きな鐘の音が響いた。
幸せな時間の終わりが近いことを告げる音。貴族たちの登城が始まった合図だ。
おそらくノミンシナもショモナー兄妹と共に王城に向かっているだろう。
腕の中からフェイブルを逃がそうと手を離し、動かない彼女は決意したように口を開く。
「クロウ、私……待っているだけなんて嫌よ。何か出来ることがあれば言って欲しいの」
意志の強い彼女は大切なものの為なら折れることはないし、逃げることも無い。
「ハオスワタとショモナー、それとピンジットこの三家には関わらないこ──いや、ショモナーはもういいか」
俺の言葉に小首を傾げるが、詳しく説明するつもりは無かった。にっこりと笑ってみせると「またそうやって誤魔化すのね」と拗ねる。
誤魔化されていると分かっていてもフェイブルは聞こうとしなかった。
騎士の妻になると覚悟を決めた日から彼女は俺が濁す内容を聞くことをやめていた。それが任務である可能性が高いから、と──
「ショモナーと言えば、身罷られた先代の借金や今代伯爵夫妻の借金が莫大な金額になっていたわ。嫡男も相当よ。元になるけれど婚約者に払わせていたの」
「あぁ……それは安心していいよ。戻ってくるから」
どうやってかも、どうしてかも言わないがフェイブルは「そうなのね」と無理矢理に納得したようだった。
「うん。ショモナーはいいんだ」
今夜、消すから──そう心の中で嘲笑った。
今夜は稀に見る朔月夜、灯さなければ光のない夜だ。首謀者は俺と共犯者となったサンチェスとパッセ。
一度でも誰かに手を下してしまえば、次からは躊躇いなど無くなるものだった。
フェイブルと過ごすことで戻っていた光が凪いでいく。闇は俺のすぐ後ろにあって、簡単に俺を飲み込み世界を濁らせた。
ふと両頬に手が添えられ、額がコツンと音を立てた。
少しでも動けば唇が触れ合う距離にフェイブルがいる。
「クロウ、ちゃんと戻ってきてね」
「わかってる」
「約束よ」
「うん」
「愛してるわ」
「俺もだよ」
滅多に言わないフェイブルの愛を伝える言葉が擽ったく感じて、不安に揺れる彼女に甘く口付けた。
ふふっと嬉しそうに笑う声が漏れて、ひんやりとしたものが近付く気配があった。
「お父様に頼まれたの。冷やしたタオルを持ってきてくれって。私も使うことになってしまったわ」
「ジーンに化粧直しをお願いしなくちゃいけなくなったね」
「クロウに会わせてくれるのなら先に言って欲しかったわ」
確かにと言って笑う俺の腕の中で目元を冷やす彼女を見守っていると目敏く俺の頬に残る涙の痕跡を見付けられる。
「クロウももう少し冷やしたほうがいいわ」
一枚のタオルを分け合って冷やすなかで視線が合い、もうすぐ十六になるというのにこんなに泣くことになるなんてと互いに照れたように笑った。
ふと胸元にある俺の痕跡に触れる。
「こっちも隠したほうがいいんじゃない?俺はあっても構わないけど」
「えっ」
悪戯に成功した子供のように笑えば、それを見つけたフェイブルの瞳が大きく見開かれる。
「もう!痕なんか残してどうするのよ!早くジーンに頼まなきゃ!」
「まだ、だめ。もう少しここに居て」
そう言って逃げることのないフェイブルを抱き締めたまま登城終了の鐘の音が響く頃まで他愛のないじゃれ合いは続いた。




