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ノミンシナという女

心ここに在らずな状態になりかけた感情を制し、一割の真実と九割の嘘で塗り固められたノミンシナの話に耳を傾けることに神経を費やしていく。

彼女の虚言は留まることを知らず、しかしその発言や行動こそが彼女自身の弱点を曝け出しているとは気付いていないようだ。

虚言の中の彼女はいつでも他者を気にかける心優しい聖者のようで、他人の目がある時は侯爵令嬢らしく高慢で不遜、時には恥ずかしげもなく淫らに、他者の目がなく二人で会う時は高飛車な姿は鳴りを潜めどちらかと言えば愛情を強請る少女のような我儘を言うことが多かった。

人間も愛も信じられず、けれど強くそれらを欲したことで相手が求める姿を作ったのが始めだったのかもしれない。しかし多くの仮面を使い演じてきたせいで発言内容が二転三転し、更に婚約者という特別な立場の人間を選んだことにより辻褄が合わなくなっている。

おそらくノミンシナが『たった一人』を選ばなければ誰も気付かなかったはず。


ノミンシナ本人が既に虚言と真実の区別がつかなくなっているだろうことに気付いているのは俺だけなのかも知れない。

今や俺が望んでフェイブルを捨て、ノミンシナに求婚したのだという捻じ曲げられた話が彼女の中での真実だ。

クロウゼス・シャーレッツオという人間を知らない人間はノミンシナが吐いた嘘を信じ、それが噂として多くの人間を渡る中で誇張され、再びノミンシナの耳に届くときには自分が嘘を吐いたことを忘れているノミンシナが他者から聞いた話として真実だと思い込む。

おそらく、この現象が起きたことは初めてではないだろう。

ノミンシナと深く関わりのある人物はノミンシナを介してしか交流を持たない。

そのせいで様々な仮面を付け替える姿を見ていない者は騙され、クルライやカルデンのように彼女を深く信頼し愛するようになっていったと推察する。


常に俺を側に置こうとさえしなければ都合が悪くなった時に体調が悪いと言って従者を呼び、次に逢う時まで心配し続けてくれとでもいうように去っていくことにさえ違和感も持たれなかったはず。

きっとノミンシナが俺を選んだ理由は俺が無償の愛というものを誰かに与えられる人間だとわかったからだ。フェイブルのような善人を演じれば自分にも無償の愛を向けるようになると思い込んだのだろう。

ただノミンシナの思枠通りに進めるには俺が世間を知らず単純で純粋な善人である必要性があった。

しかし、愛を求める女を憐れみだけで愛してやれるほど俺の心は広くなく善人でもなかっただけの話だ。


いや、ノミンシナが俺に興味を持たなければ善人でいれたのかもしれない。それだけ俺の周りは平和で安穏としていたのだ。

バカが付くほど真面目で誠実で実直な父や兄のように他人に忠誠を誓えるような人間に成長していただろう。

あの日までの俺は貴族社会を理解していなかったと言わざるを得ない。それを理解させてくれたことだけは感謝してもいいだろう。


目の前に座る女を上手く利用するにはどうするべきかと考えている最中にノミンシナが気になる話を始める。

それは俺が所属する隊、精鋭教育小隊ホビロン隊に所属する副隊長カルデン・ピンジットと彼の義弟サンチェス・ピンジットに関するものだった。

ノミンシナの話によればカルデンはサンチェスと親しい仲になりたいと考えているが、サンチェスが歩み寄りを許さないのだという。

ピンジット伯爵家の内情を知っていればそれがどれだけ有り得ないことなのか分かるし、そもそも同隊であるにも拘わらずカルデンがサンチェスと話しているところを見たことがない。業務内容でさえ人伝だ。

互いに嫌っているというのが真実だろう。


「伯爵の妹が本家の跡取りを狙ってサンチェスを養子に迎えさせたらしいのよ。伯爵も困っているのですって。もしサンチェスから後継に関する話を聞いたりしたら諌めてあげて?本流はカルデンなのだから、見果てぬ夢は見るべきではないって。それとカルデンの力にもなってあげて欲しいの。彼、私に似ていて何でも一人で頑張ってしまおうとするのよ。そんな彼に味方を作ってあげたいの。勿論、私が愛しているのはクロウよ?それでも友人であるカルデンを見放すなんて私には出来ないわ」


弱々しい素振りで言いながら彼女は「今カルデンにしてあげられる助言なんかは無いかしら……」と俺に助言を求めるように紅蓮の瞳を向けた。

俺自身、カルデンと必要以上に関わるつもりも親しくなるつもりもない。どちらかと言えば排除するべきというのが俺の本心ではあるが答えるべきなのだろう。


「そうだね……まずは王家に対する忠誠心と任務に対する誠意を見せるところからじゃないかな?今回の氾濫の折、我が隊は隊長と副隊長という絶対的な指揮官を欠いた状態での活動になった。それはシーナも知るところだろう?」

「えぇ、知っているわ。クロウが指揮を執ったのでしょう?」

「そうだ。臨時とはいえ入隊直後の私が指揮を執ることになり、それを支えたのはサンチェスだ。途中で合流して下さったケメロイ隊長はまだしも最後まで現れることの無かったカルデン副隊長への信頼は底まで落ちていると言っていい。それを目の当たりにしているサンチェスがカルデン副隊長に歩み寄ることはないだろうね。何よりショモナー夫妻の勝手な行動によってサンチェスも私も指揮を執る側に居たことで少なからず処罰を受けることが予想される。現場にいた騎士たちはそれを不当だと思っているし、不満を口に出すのも時間の問題だと思う。勿論、私が謹慎処分を受けるのは隊長代理として当然のことだと理解しているが、サンチェスへの謹慎処分は私も腑に落ちない。そもそも厳罰が下されるべきは招集に応じなかったカルデン副隊長たちにあるにも関わらず、彼らには何の処罰もないんだ。そういった事が積み重なれば、サンチェスがどうこうするしないに拘わらず確実にカルデン副隊長は伯爵位を得るよりも前に良くて失墜……最悪の場合、殉死するだろうね。騎士は戦地に立つ。信頼できない上官を助ける者はまず居ない。それは良い悪いの話ではなく、戦地に立つ者の冷静な判断として成されるはずだ」


冷静に懇々と告げる俺の言葉に納得がいかないのか「それでも伯爵位を継ぐのはカルデンが妥当でしょう?正統な血統をもつカルデンがサンチェスに脅かされるなんてあってはいけないと思わないの?」と言う。

従者の目があるからか今は侯爵令嬢然りといった態度で居たいらしい。

ノミンシナの言に一際冷たい視線で応えながら、ひとつ考えついたことを試してみようかと思った。


「思わない。爵位を継ぐべきは血統も必要だが、才覚と人格も必要だと私は思っているよ。もし今彼らと戦場に立ったなら私は間違いなくサンチェスと組むことを望むし、もし副隊長が窮地に陥ったとしても救いには行かないだろうな」

「そんな!私のお友達に対してひど――」

「そもそもだがカルデン副隊長とサンチェスが普段どういった関係なのかは私には解らないし、興味もない。何より今回副隊長が来なかったことによって最も割を食ったのは私だと思わないか?ケメロイ・ホビロン隊長、カルデン・ピンジット副隊長、クルライ・ショモナー、ハンネル・ハオスワタ、ただでさえ精鋭教育小隊に所属する騎士は少ないと言うのに四人もの人員が欠け、更にはショモナー家の自分勝手な行動によって君の未来の夫たる私が処罰を受けることになったことを君はどう捉えているのかな?諸悪の根源を気にかけてやるほど私がお人好しに見えていると言うなら思い直したほうがいい。何より……そんな者たちと親しくしている時点で君の評価まで下がっているとは思わないのかな?」


優雅に平静を保ったまま俺は沈黙する彼女に冷笑を向ける。


「手に入れた男には心を割く価値もない、か」


明らかな戸惑いを見せ目線を下げていたノミンシナが勢いよく頭を上げ、俺を見る。見開かれた紅蓮の瞳が灯りに照らされてゆらゆらと光る。


「そんなことないわ!私が一番大切に想っているのはクロウよ!?」

「どうだか」

「何故信じてくれないの?」

「信じられるだけの何かが私達の間にあったかな?」


責められると思っていなかったのか向かい合っていたノミンシナは立ち上がり、俺の隣に移動して縋るように座り手を取った。


「ごめんなさい。そうよね……つらい思いをしたのはクロウだって同じだわ……それなのに私……」

「同じ、か。一体誰と同じなのか聞いてもいいかな?」

「それは……」

「答えられないか。まぁ、そうだろうね。誰もつらい思いなどしていないのだから答えられなくて当然だ」


握られていた手を払い、縋り付いていた身体を軽く突き放すと癇癪が始まる。

ノミンシナは強い否定や拒絶、問い詰められることに慣れていないのだ。


「なん、で……なんで今日はそんなに冷たいのよ!私は婚約者なのよ!?優しくするのが普通でしょう!?」

「君は忘れているのだろうが私は私に相応しい婚約者に対しては相応の対応をすると言ったはずだ」

「私がフェイブル・カートイットよりも劣っていると言いたいの!?」

「さぁ?君がそう思うならそうなんだろう」

「そんなわけないじゃない!私のほうが聡明で美しくて高貴だもの!愛される要素だって私のほうが多く持ってるわ!」

「だとするなら、私に……いや、俺に愛されるように振る舞うといい」


突き放していた華奢な身体を抱き寄せて優しく、まるで宝物に触れるかのように赤茶の髪を撫でた。


「それとももう俺の気持ちは必要ないかな?」


悲しげに表情を歪ませればノミンシナは俺の頬に手を当てて「そんなことないわ」と言う。


「私はいつだってクロウに愛されたいわ。ただ、今回はお友達が困っていたから……みんな、私を慕ってくれているのだもの。カルデンもクルライも大切なの。クルライは怪我もあるし、お祖父様とお祖母様を亡くしたばかりでもあるのよ?婚約者の方もクルライを気遣ってくれるような女性ではないようだし……思う所はあるだろうけれど、どうかクロウも配慮してあげて欲しいの」

「シーナはショモナー伯爵令息とも親しいんだね」


赤茶けた髪を掬い弄んで生まれた沈黙の間を使って見詰め、彼女が所在無さげに視線を彷徨わせる。

今までノミンシナの口からクルライの名前が出ることは無かった。そのためショモナー家の失態を持ち出せばクルライとの関わりを口にするとは思ったが、こうも簡単に墓穴を掘ってくれると楽な代わりに拍子抜けもする。


「え、えぇ…仲良くしているわ。元々は彼の妹のアイリーンと友人なの。とても愛らしい子なのよ?いつか紹介したいわ」


アイリーン・ショモナー……あの礼儀の無い女かとデビュタントの日を思い出す。

フェイブルの極めて近い場所にいるアレが今現在も彼女を苦しめている可能性があることに腹立たしく思いながら、ノミンシナから顔を隠すように抱き寄せて、きついコロンの香る首筋に顔を埋めた。


「紹介は必要ないよ。君が俺を求めてくれるのなら他は必要ない」


──手始めにショモナーから引きずり下ろそうか。


「俺のことだけを見ていてくれるかな?」


──傭兵団に潜入が得意な奴がいたな。ショモナーとピンジットに潜らせるのもいい。


「麗しい人」


──いや、先にクルライの婚約者の家に潜らせるか。確かユリーカ・ウラネス男爵令嬢だったな。ウラネスなら潜らせるのも容易いか。


「ここに所有の証を付けさせてくれないか?」


了承を得ないまま首筋に口吸いの赤い痕を付けてソファーに押し倒し、痕を愛でるように撫でた。

いずれそこに銀の刃を突き立てる日が来るのだ。その日を一日でも早める為に動かなくてはならない。


狂気に染まる俺の金の瞳にノミンシナが怯むのが見て取れた。

その紅蓮の瞳には似ても似つかない在りし日のフェイブルを思い出す。

彼女もたまにではあるが俺に怯えるような表情をすることがあった。

それは決まって俺の強い独占欲が表に出た時だ。


──お前を屠るのは俺でありたい。


──君の隣に居るのは俺でありたい。


異なる感情でありながら同様の強い執着心に笑いが込み上げる。

なんだ最初から俺の感情は壊れてるじゃないかと自分自身を嘲て、体を離した。


「シーナ、誰と仲良くしても構わないけど余計なものを作ることは許さないよ」

「仲良く、って……」

「何も知らないとでも?」

「……何を言っ──」

「ねぇ、麗しい紅蓮の魔女。間違いなく俺は君に出会ったことで変わったんだよ」


僅かに紅蓮の魔女たる証の瞳が揺れて、口元が引き攣り「わかったわ」と小さく言った。

控えていた従者が俺の行いを止めるかどうか悩み狼狽えを隠せずにいる前でクスクスと笑い、彼女を起こす。


「俺は夫婦になる日まで手を出す気は無い。君が求めるような相手はしてやれないから他の人に慰めてもらうといい」

「そんな……」

「構わないよ?全て知っていて婚約したんだ。あぁ、でもさっきも言ったように子は出来ないようにね?思わず殺してしまいそうだ」

「──ッ!」


沈黙の後、彼女は狼狽を隠せないまま顔を逸らして小さく言う。


「ごめんなさい。少し頭痛がするの……その、私はここに残るから一人で帰れるかしら?」

「あぁ、お大事にね?」

「明日以降のデートは体調が整わないかもしれないから良くなれば連絡するわ」


俺はガーネットのブローチを手に取り、一人隠し部屋を出て足早に厩舎に向かう。そこには見知った人物しか居らず、馬を一頭借りて王都内の自宅に戻った。

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