士官学校へ
短く浅い眠りの後、体が鈍らないように軽く朝の鍛錬をして身形を整えてから乱雑に置いてあったブローチをつけ、ノミンシナを迎えに行く時間が来たために気が重いまま馬車に向かい、王都内で一、二を争うほどに大きな邸宅の前に着ける。
ひとつ深い息を吐いて俺は愛しい婚約者を迎える男の顔を作る。
出迎えた侍従に案内されハオスワタ侯爵邸の玄関ホールに立つ。
内装は豪奢、華美、絢爛といった言葉が似合う。調度や装飾の全く趣味が合わないのは目を瞑るとしても充満する黒薔薇の濃い匂いが不快で、胃から迫り上がってくるような感覚を何とか耐える。
ノミンシナの趣味の悪さは親譲りかと納得したところに彼女は現れた。
体のラインを強調する毒々しい赤のドレスにつばの大きな帽子はこれでもかというほどに花と宝石が飾られている。
兜に相当する重さがあるのではないかと思うが細身のノミンシナが平然としているのだから、それほどでもないのかもしれない。
黒薔薇の匂いから逃げるようにノミンシナの手を引いて馬車に乗り込み向かったのは馴染み深い王都郊外にある士官学校だ。
◇
士官学校の外観は要塞と言っていい。はるか昔には王城として機能していた場所だ。
堅牢な塀に隔たれたその要塞内はひとつの街と言ってもいいだろう。
外の世界とは異なる常識が蔓延るこの場所は厳重な警備がされた門を潜れば騎士になるために必要な訓練施設や厩舎などの他に居住区や簡単な出店も存在する。
俺も数ヶ月前までは、居住区にある寮でカエラと共に暮らしていた。
まだ二ヶ月も経っていないのに遠い昔に思えるのは、想像もしていなかった怒涛の日々があったからだろう。
ノミンシナの手を取り校内を歩けば妙な視線が刺さった。それら全てを無視して学校長であるハオスワタ侯爵のもとへ挨拶に向かう。
歩き慣れた石造りの廊下にカツカツと足音が響き、喧騒の中であるにも関わらず足音がやけに耳障りだ。
学校長室に入れば、好色爺然りとしたハオスワタ侯爵がニタニタと笑んで俺とノミンシナを見た。
「よく来たなノミンシナ、クロウゼス」
「堅苦しい挨拶は無しでいいでしょう?今日は遊びに来たのよ」
「あぁ、あの部屋を使うかい?」
「えぇ、誰にも邪魔されたくないの」
侯爵から教えを乞う為に来たと言っていたはずが遊びに来たことになっているらしい。
今までも言っていることの辻褄が合わず、二転三転することは多にしてあったので口にするほど大きな問題ではない。
ただ『あの部屋』というのには興味がある。
この士官学校には隠し部屋が多くある。何ヶ所かは壁を叩けば音の違いによって判断することも可能で、士官学校に通っている間にカエラと二人で探し回ったものだ。
書庫、第一武器庫、第四武器庫、第十一武器庫、祈祷室、懲罰房近くにある監守室、第二会議室。書庫には二つの隠し部屋があり、俺が知っているだけで八部屋だが、その何れもが埃を被っていて既に使われていないことを確認している。
であれば『あの部屋』が隠し部屋だった場合、俺が知らない部屋の可能性が高い。
確かに学校長であれば全ての隠し部屋を把握していてもおかしくないし、王家の宝を隠すとなれば自身の近くに置いておきたいものだろうとも思う。
奪われた王家の宝は王太子の宝冠一点のみ。細身の宝冠に付いている魔石は最上級のもので合計で十個だった。透明色と白と黄色が各一個、緑と青が二つ、赤が三個だ。
シャーレッツオ特有の金の瞳を持つ俺なら少しでも魔石部分が見えれば判別が出来るだろう。
隠し場所として最も怪しいのは学校長室ではあるがハオスワタ侯爵は滅多にこの部屋から出ない。
学校長室の隣室を続き部屋の私室にし、王都内の邸にすら滅多に帰らない徹底ぶりだ。
なかなか学校長室に入る機会もないため怪しまれない程度に辺りを見回すが調度品があまりに多く、視界に入るもの全てが怪しく見える。
沈黙したままでいるとノミンシナが俺の腕に擦り寄った。
「クロウ、私といるのに他のことを考えるなんて悪い子ね。久しぶりのデートなのよ?婚約式の日に私に寂しい思いをさせた埋め合わせをして欲しいわ」
思わず引き攣りそうになる口端を全力で抑え「すまないシーナ、そんなに寂しい思いをさせたなんて婚約者失格かな」と憂いを帯びた表情を作って俺の肩の高さにある赤茶の髪に口付ける。
「いいのよ。クロウはまだ見習いなのだもの。任務は我慢してあげる」
任務に出ることに見習いであるかどうかは関係ないのだが訂正することさえ面倒で一言「ありがとう」と告げる。
反論しないことに気を良くしたのかノミンシナはうっとりと目を細め、思わせぶりに唇を動かして俺に動くよう促し、連れて行かれたのは今は備蓄倉庫として使われている部屋にある隠し部屋だった。
彼女が利用するために整えられた隠し部屋にノミンシナの従者を伴って入り、ソファーに腰掛ける。
従者がお茶を用意する中で彼女はテーブルに置かれた二つの小箱を開けてみせた。
ひとつは何処か見覚えのあるデザインのブローチに質の落ちたイエローアパタイトと質は悪いがローズクォーツが付いている。
質が良く輝いていれば、それはフェイブルの瞳に近い色をしていただろう。
このデザインは小さい頃に二人で考えたものだった気がする。
そして、もうひとつはガーネットが強く主張するこちらもどこか見覚えのあるデザインのブローチだ。
デザインは幼い頃にフェイブルと二人で読んだ絵物語のヒーローが付けていたものかと表情には出さないまま心の中で笑んだ。
確かあの物語は騎士と王女の恋の話だったか。想い合っていた騎士と王女は魔女の手で引き裂かれ、魔女に操られた騎士を王女が助け、再び愛を取り戻すといった内容だったはず。これを選んだということはフェイブルもまだ俺を見放さずにいてくれているのだと胸が温かくなるのと同時に痛んだ。
想定はしていたが出来ることならフェイブルには近付いて欲しくなかった。ただ、これを作ったということはフェイブルとノミンシナが個人的に逢う機会があったと言っているのと同じだ。
一体どういう経緯でこれを作ることになったのか疑問に思えばノミンシナが話し出す。
「先日、フェイブルをお茶にご招待したの。和解していると周知してあげなければ彼女の貰い手が居なくなってしまうかもしれないでしょう?それでご招待したのだけど……私は良いお友達になれたのよ?でも、そこでクロウとの婚約の証だったブローチを渡されたの。私のことを愛してしまったクロウの顔は見たくないし、思い出したくもないから処分して下さいって言われたの。でも、一応お祝いくらいはしておくべきだからって私が愛するガーネットを使ったブローチを作ってくれたのよ。フェイブルは友人である私の婚約だからと祝福してくれたの。彼女の中ではもう区切りがついたのね。だから気にする事はないのよ?もし、彼女の事で気になることがあれば私に聞いて?親しい友人である彼女の近況なら教えてあげられるわ」
気遣わしげな表情を作り上げながら説明される内容もフェイブルが作ったと言うブローチを見れば怒りが凪いでいく。
どうせ『お茶に招待した』その部分以外に真実はないのだ。
「そうか……彼女には悪い事をしたと思っていたが祝福してくれているなら良かったよ。ガーネットのブローチはシーナを傍に感じる為に使うけど、そちらは君の好きにしていい」
「わかったわ」
果たして全てが終わった時に俺はフェイブルが取り戻したいと思える男であれているのだろうかと輝きの無いガーネットのブローチを撫でた。




