203.精神汚染
魔法統率協会の支部は各地にありますが、本部はこの王都に置かれています。
王宮から見てちょうど反対側、王都の最奥に建てられたその建物には、オルドスさんをはじめ、多くの優秀な魔法使いが所属していました。
もちろん、魔法使い序列第一位【紅姫】クレア・マーレンスさん、序列第二位【蒼姫】クリュス・マーレンスさんも、この本部にいらっしゃいます。
◇◆◇◆◇
王都の中央区。
その巨大な魔法統率協会本部を前に、わたしたちは足を止めました。
「……なんだか、様子がおかしいですね」
門前には、すでに数十名もの魔法使いたちが集まっていました。総勢三十名ほどのわたしたちと同じかそれ以上です。
しかし、その誰一人として雑談をしていません。
視線は真っ直ぐこちらだけを見据え、まるで命令を待つ兵士のように整列しています。
異様な静けさ。
その空気に、補佐官のリィーネさんも顔を強張らせました。
「大賢者様……これは」
魔法使いの立場向上に大きく貢献し、その未来を担う若者たちが集い。日々能力や知識を高めるこの場所によくない気配があふれていました。
「ええ」
わたしも静かに頷きます。
そして集団の中央に立つ一人の男性へ視線を向けました。
「オルドスさん」
魔法統率協会序列三位のオルドス・プラッド。
何度も顔を合わせましたし、本気で戦ったりもしました。和解とまではいかなくとも、彼とはあれから、そこそこ分かりあえたと思っていたのですが……。
(わたしとは相性が悪いですが、魔法使いの未来を真剣に考え、多くの若手育成にも尽力してきた方……というのも、また事実ですから)
だからこそ――。
(彼は、このような暴挙に出る人ではないと思っていたんですけどね……)
オルドスさんが一歩前へ出ます。
その目には理性が宿っているように見えました。
ですが。
「ティルラ・イスティル」
その声には、生気がありません。
感情が乗っているようで、どこか空虚。
違和感しかありませんでした。
「この先へは通さん」
「理由を伺っても?」
「貴様は危険人物だからだ。お前は殺さなければならない。こちらから出向こうと思っていたが手間が省けた」
即答でした。
あまりにも短絡的な返答。
以前の彼なら、理屈を並べ、証拠を提示し……やり方は汚いですが、少しは議論を交わそうとしたはずです。
(……やはり)
わたしは小さく息を吐きました。
「重度の精神操作魔法ですね」
「!」
周囲がざわめきます。
「精神操作魔法には段階があります」
わたしは皆へ説明するように続けました。
「軽い暗示程度のものなら、自分でも違和感を覚えることがあります。ですが、ここまで深く精神へ干渉されると違います。今までとは比較にならないほどの使い手ですね」
オルドスさんを見つめます。
「掛けられている本人は、自分が操られていることすら気付けません」
それどころか――。
「すべて自分の意思で判断し、自分の意思で行動していると錯覚します」
だから厄介なのです。
本人を責めても意味がありません。
本人にとっては、本当に正しいことをしているつもりなのですから。
「馬鹿なことを言うな!」
オルドスさんが怒鳴ります。
「私は私の意思で動いている!」
「……ええ。そのように認識してしまっているのでしょうね」
否定するほど、確信が深まっていきました。
そして、もう一つ気になることがありました。
(でも、おかしいですね)
精神操作。
それ自体は珍しい魔法ではありません。
ですが。
(こんな重要人物が、ここまで簡単に操られるでしょうか)
貴族というものは、数千人、数万人の人生を容易に左右できる立場にあります。
それは魔法統率協会の幹部も同じです。
国の防衛。
魔法使いの管理。
魔道具の流通。
その判断一つで国が傾くことさえある。
だからこそ。
精神操作への対策は、どの国も最優先事項としているはずでした。
わたしも師匠から何度も教えられています。
強い人ほど、心を守れと。
それが最大の防衛なのだと。
「……指輪」
ぽつりと呟きました。
「大賢者様?」
「精神耐性を強化する魔道具です」
わたしは持っていないので、リィーネさんの左手を掴み、軽く掲げます。
そこには、専用の指輪がはめられていました。
精神干渉を自動で防ぐ強力な結界術式が刻まれています。わたしには精神系の魔法は効きません。自分がかかることはないといっていいでしょう。それはなぜか。わたしが大賢者だからです。まあずっと特殊な訓練をしてただけですけど。
「貴族や軍上層部、魔法統率協会の上役の多くは、このような精神耐性用の魔道具を身につけているはずなのですが……」
オルドスさんの指先を見る。
確かに指輪はあります。
ですが。
(……本物でしょうか)
嫌な予感がしました。
「皆さん準備を。失礼しますっ!」
わたしは一歩踏み出します。
「止まれ!」
直後。
十数人の魔法使いが一斉に魔法陣を展開しました。
炎。
雷。
風。
氷。
様々な属性が同時に放たれます。
「散開してください」
号令一つでわたしの部隊は、即座に行動を開始。
わたしは杖を軽く振りました。
透明な障壁が何重にも展開され、飛来する魔法をすべて受け止めます。
轟音。
爆煙。
衝撃。
それでも結界には傷一つ入りません。
「行きます」
煙を突き抜けます。
「なっ──」
最前列にいた壮年の魔法使いの懐へ、一瞬で潜り込みました。
鳩尾へ軽く掌底を打ち込みます。
「ぐっ……!」
男はそのまま意識を失いました。
殺してはいません。
眠っていただいただけです。
「失礼しますね」
倒れた男の左手を取り、指輪を外します。
そして術式を確認した瞬間――。
「……やはり」
思わず眉を寄せました。
「大賢者様?」
他の職員達を軽く蹴散らしながら、リィーネさんが駆け寄ってきます。
わたしは静かにその指輪を掲げました。
「偽物です」
「え?」
「精巧に作られていますが、まったくの偽物です」
本来刻まれているはずの術式、並びにその魔力を感じません。
見た目だけを再現した贋作。
これでは精神防御など働くはずもありません。
「そんな……」
「つまり、本物とすり替えられていたのでしょう」
ぞくり、と背筋が冷えました。
これほど大規模に。
これほど自然に。
誰にも気付かれず。
精神耐性用魔道具が偽物へ交換されていた。
そんな芸当ができる者は限られています。
「随分と前から準備していたようですね……」
敵は。
わたしたちが思っていたより、ずっと深くこの国へ入り込んでいました。
その時です。
オルドスさんの身体から、濃密な魔力が噴き上がりました。
瞳が血走り、表情が歪みます。
まるで何か別の感情を無理やり流し込まれたかのように。
「殺す」
低い声。
「貴様は……」
次の瞬間、怒号が王都へ響き渡りました。
「殺す!! 貴様はなんとしてでも殺す!! 殺す殺す殺す殺す、ティルラ・イスティルーー!!」
「あなただけ、一段と強い洗脳を掛けられているようですね!!」
その叫びを合図にするかのように、背後に控えていた他の魔法統率協会の職員たちも、一斉に杖を掲げ、さらなる魔法を展開したのでした。
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