196.愚者の正体
「皆の衆、まずはよく集まってくれた。感謝する」
国王の声は静かでありながら、確かな重みを帯びていました。その一言だけで、室内のざわめきが完全に消えます。誰もが息を潜め、次の言葉を待っていました。
わたしも自然と背筋を伸ばします。
「今回の疫病――すでに諸君らも報告を受けている通り、通常の病ではない」
国王はゆっくりと視線を巡らせながら続けます。
「発症者の共通点のなさ。魔法による治癒の不完全性、そして感染拡大の異常な速さ。また王国内だけで蔓延している。いずれを取っても、人為的な介入を疑わざるを得ん」
その言葉に、室内の空気がさらに重くなりました。
誰かが小さく息を呑む音が聞こえます。
「……先日の学院での一件についても、共有しておこう」
国王は一度言葉を区切り、重々しく告げました。
「捕らえた学院長より聴取した結果――シェラという女が、学院に現れた魔族と手を組んでいたことが判明した」
ざわり、と空気が揺れます。
当然の反応でしょう。
人間が魔族と手を結ぶ――それは、国家反逆にも等しい行為です。
「現時点では、彼女の行方は不明。だが、この一件と今回の疫病が無関係であるとは考えにくい」
その言葉に、多くの者が小さく頷きました。
わたしも同意見です。
偶然にしては、あまりにも出来すぎています。
「ここから先は国家機密にあたる」
国王の声が一段低くなります。
「この場にいる者以外への口外は、いかなる理由があろうとも許されない」
全員が無言で頷きました。
その確認を取ると、国王は続けます。
「王国には現在、大賢者ティルラ・イスティルの他にもう一人――全属性魔法を扱う者が存在する」
その言葉に、わたしは思わず視線を上げました。
リベアから昔聞いた。王国生まれだが、所属が魔法統率協会の少女の事でしょう。
「加えて、その者はあらゆる効果を無効化する神級魔法『解除』の使い手でもある」
場の何人かが、明確に息を呑みます。
無理もありません。
それは、この状況において“最も必要とされる力”です。
「年齢、所在――いずれも不明。分かっているのは少女ということだけ」
国王は淡々と告げます。
「こちらから魔法統率協会を通じて接触を試みてはいるが、未だ応答はない」
……なるほど。
つまり、完全に所在不明の存在、ということですね。
「だが、その能力をもってすれば――今回の疫病を根本から打ち消せる可能性がある」
室内に、わずかな希望の空気が生まれます。
それを逃さぬように、国王は続けました。
「ゆえに――その者の確保を最優先事項とする」
はっきりと、断言されました。
「これより、諸君らを三つの部隊に分ける」
国王の合図とともに、側近が一歩前へ出て資料を配り始めます。
「振り分けは――」
◇◆◇◆◇
その頃――とある人物は、自身の執務室で山のように積み上がった書類と格闘していた。
机に突っ伏しそうになりながら、ペンを走らせる。だがその手は苛立ちに震え、何度も止まった。
「ええい……なぜ私が、こんな始末書を書かねばならんのだ……!」
吐き捨てるような声が、静まり返った室内に響く。
すべては――無能な三流魔法使いたちの不始末のせいだ。そう言わんばかりに、男は忌々しげに舌打ちをした。
万年三位――“オルドス”。
その不名誉なあだ名で呼ばれる男は、書類の山を睨みつけながら、苛立ちを募らせる。
「第一位と第二位のあの双子め……! ここ数か月、部屋に引きこもったまま顔すら出さんとはどういうことだ。出てきたと思えば金を持ってどこかへ消え、また篭もる……権利を剥奪してやらねば気が済まん」
序列一位――【紅姫】クレア・マーレンス。
序列二位――【蒼姫】クリュス・マーレンス。
双子の姉妹は、ここしばらく表舞台から姿を消していた。
生死すら気になるところだが、時折、階下に微かに聞こえる声がある。少なくとも生きてはいるらしい――それだけが、唯一の救いだった。
「マスター。少しは休まないとダメっすよ」
軽い調子の声とともに、扉が開く。
紅茶を手に現れたのは、彼の直属の部下――アーティー・ストゥルトゥス。
全属性魔法を扱う希少な魔法使いであり、さらに神級魔法『解除』を操る存在でもある。
かつてのだらしない服装は影を潜め、今は仕立ての良い衣服と黒いローブを身に纏っていた。その姿は、彼女が一流の魔法使いへと昇り詰めたことを雄弁に物語っている。
オルドスは無言で紅茶を受け取り、一口含んだ。
ほんのりとした甘さが舌に広がる。
「……甘いな」
「はちみつ入れたっす。疲れてるときは甘いのがいいんすよ」
「何度も言っているだろう。私は甘いものが好きではない」
そう言いながらも、彼はカップを置かなかった。
むしろ、その温もりにわずかに肩の力を抜く。
しかし――すぐに、また苛立ちが戻る。
「すべてはティルラのせいだ。あいつが余計なことをしたせいで、あの愚か者どもが逆恨みし、結果として魔物を王国内へ引き入れるなどという失態を犯した……!」
机を叩く音が響く。
「貴族の管轄であれば笑い飛ばせたものを……よりにもよって、私の管理下でだ。監督責任を問われているのだぞ!」
「落ち着いてくださいっす! ほら、もう一口」
アーティーは軽く笑いながら促す。
その笑顔は、どこか無邪気で――同時に、どこか空虚だった。
「……そうっすね。全部、そのティルラって人が悪いんすよ」
ぽつりと、呟く。
「だから――殺しちゃえばいいんす」
空気が、一瞬だけ凍りついた。
オルドスはカップを持つ手を止める。
「……無理だな」
しばしの沈黙の後、彼は静かに答えた。
「私は二度、敗れている。身の程は弁えているつもりだ。あの方が選んだ弟子には、私では敵わん」
「そんなことないっすよ。マスターならできますって」
軽い調子のまま、アーティーは言う。
だが――その言葉は、どこか引っかかる。
違和感。
ほんのわずかだが、確かに存在する“ズレ”。
「……いや、待て」
オルドスは眉をひそめる。
「そもそも――魔物が侵入したあの区域の監視は、問題を起こした彼らではなく、別の者に任せていたはずだ。なぜ……」
思考が、霧に包まれる。
記憶が曖昧になり、言葉が途切れる。
「最初に魔物を発見したと報告してきたのは、シャルティア様の屋敷に残った資料や魔道具類を回収しに行った日……確か……その後、貴様から――」
視界が揺れる。
急激な眠気。
身体から力が抜けていく。
「……お前は……誰だ……? 私はあの後何をした?」
問いかけに、返ってきたのは――。
「いいや。殺すんですよ、あなたは。彼女を」
その声は、先ほどまでの軽さを完全に失っていた。
次の瞬間。
ドサリ、と音を立ててオルドスの身体が崩れ落ちる。
意識は、闇へと沈んだ。
静まり返った執務室で、アーティーはゆっくりと口元を歪める。
「……まさか、オルドス先輩が一番最初に辿り着くとはね。ちょっとビックリ」
その声音は、もはや別人だった。
「意外だったよ。ほんとに。でも――残念」
倒れたオルドスを見下ろしながら、淡々と告げる。
「君みたいな万年三位の凡人じゃ、ワタシには勝てない」
しゃがみ込み、その耳元へと顔を近づける。
そして――囁く。
「――ティルラ・イスティルは“悪”だ」
深く、強く、逃れられない“命令”を。
「――殺せ」
魔力が、どろりと静かに染み込んでいく。
「もうこの協会にいる人間のほとんどは、ワタシの手駒さ」
くすり、と笑う。
「オルドス君。君が築いたもの、全部――ワタシがもらうよ」
愚者――アーティー・ストゥルトゥス。
史上最悪の魔法使いが、静かに動き出した。
そのとき。
窓が軋み、赤い影がするりと入り込む。
「愚者ちゃーん。予定通りだヨ」
軽やかな声。
現れたのは、謎の魔族フレミー・カートレット。
「勇者は、魔王様が亡くなった跡地に向かった。首都を叩くなら――今カナ」
アーティーはゆっくりと立ち上がる。
その瞳に、狂気と歓喜を宿しながら。
「……ああ」
短く答える。
役者は、揃った。
すべては、この瞬間のために。
「成し遂げよう」
静かに、だが確かな意志を込めて。
「魔王と――我が師が果たせなかったことを」
その口元に浮かぶのは、歪んだ微笑だった。
「――次世代を担う、私たちの手で」
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