第6話 写しはお作りいたします
七日目の朝に、四十二枚が揃いました。紐で綴じて、表に日付を入れます。写し、と表題を書きまして、末尾に書き手の名を入れました。
アデリナ・ミューレン。それを持って、ケルンベルク家へ参りました。
◆
客間でお迎えくださいましたのは、マルグレーテ様でございます。ラウレンツ様のお母上。伯爵夫人。
この方は家政の数字をすべてご自分で握っておられます。屋敷の蝋燭の本数まで、聞けばその場でお答えになると伺っております。
「お待ちしておりました」
「写しでございます。四十二枚ございます」
「四十二」
「年に四十二回の開け閉め、その一回ぶんが一枚でございます」
マルグレーテ様は紐をほどいて、上から順に検められました。速うございました。数を数える手つきに慣れておいででございます。
「図が入っておりますね」
「開度がございますので。指の幅で申しますと伝わりませんので、図にいたしました」
「よろしい」
そこで、マルグレーテ様は顔をお上げになりました。
「ところで、ミューレン嬢。この暦は、そもそもどなたのものかしら」
わたくしは、少し考えました。
「アルデ堰のものでございます」
「まあ」
マルグレーテ様は笑われました。上品な笑い方でございます。
「そういう言い方をなさるのね。わたくしは所有の話をしております。婚約の折に取り交わした書面では、水番役は当家へ移ることになっておりました」
「はい。第九条でございます」
「役目が移るのなら、役目に用いる財も移ります。婚家に入る娘が持参すべきものでしょう。指輪はお返しになったけれど、これはお返しになるものではないはずよ」
わたくしは黙っておりました。この方は、暦を財として数えておられます。数えられるものとして扱っておられる。それは、この方の律義さでございます。
ただ、財として数えたものは、蔵に入れておけば減りません。暦は、蔵に入れておくと減ります。
「奥様」
「なあに」
「その写しは、今年の分でございます」
「ええ」
「来年は、別のものになります」
マルグレーテ様の指が止まりました。
「……別のもの、とは」
「順序が変わります。雪の量、雪解けの日、水路の乾き。毎年違いますので、順序も毎年変わります。今年は下から、去年は上から開けました」
「では、去年の写しは」
「使えません」
マルグレーテ様は、しばらく紙をご覧になっておりました。
「けれど、あなたはその四十二枚を七日でお書きになった」
「はい」
「では、来年もお書きになればよろしいでしょう」
わたくしは礼をいたしました。
「来年の順序を決めるには、今年の秋から冬にかけての観測が要ります。雪の深さを七か所、月に二度。それから川の水位を、毎日」
「人を出しましょう」
「はい。出していただければ、数は取れます」
わたくしはそう申し上げました。数は取れます。取った数から順序を決めるところが、六年かかったところでございますけれど、それは申し上げませんでした。申し上げても、財の話にはならないからでございます。
マルグレーテ様は、写しの束をもう一度お繰りになりました。
「この一行は、何かしら」
三十七枚目でございます。朝の開けの欄に、一行だけ書き足したところでございました。
「朝の開けは、前夜の風を見て加減すること、と」
「はい」
「加減の仕方は、書いていないのね」
「書いておりません」
「なぜ」
「書きますと、書いたとおりになさるからでございます」
マルグレーテ様は、初めてわたくしの顔をまっすぐご覧になりました。
「それは、手放したくないから、ではなくて」
わたくしは、少し考えました。
考えてから、正直に申し上げました。
「そう思われても、仕方がないと存じます」
「まあ」
「ただ、外れましたときに、なぜ外れたのかが分からなくなります。分からないまま次の年を迎えますと、次も外れます。四年前が、そうでございました」
「四年前」
「わたくしが外しました。下の村の井戸が濁りまして、戻りますのに二年かかりました」
マルグレーテ様は、束を閉じられました。その閉じ方は、蔵の帳面を閉じるときの手つきでございました。
◆
屋敷へ帰りますと、父が門のところに立っておられました。珍しいことでございます。父は門までお出になる方ではございません。
「渡してきたか」
「はい」
「そうか」
父は、それから庭のほうへ歩き出されました。わたくしはついて参りました。
「アデリナ」
「はい」
「わしは、書けなんだ」
わたくしは足を止めました。
「五代目までは、当主が書いた。六代目は、わしの兄が書くはずだった。兄が早う死んだので、わしが継いだ」
父の背中は、わたくしより頭一つ高うございます。その背中が、少しだけ丸うなっておりました。
「数は取れる。杭も読める。だが、取った数から順を決めるところが、わしにはどうしてもできなんだ。何度やっても、水が下まで行かん」
「……はい」
「六代目の頁は、堰番の爺と二人で作った。爺の勘だ。当たった年もあれば、外した年もある」
父は振り向かれませんでした。
「おまえが十三で作った順が、その年、いちばんよう水が回った。それきり、わしは口を出さんことにした」
わたくしは何と申し上げてよいか、分かりませんでした。
「手習いと言うたのは」
父はそこで一度、言葉を切られました。
「……そう言うておかんと、わしが継いだことにならんからだ」
庭の隅で、雪解けの水が細く流れております。ミューレン家の庭には、代々、小さな水路が引いてございます。堰の水がどう回っているか、屋敷にいても分かるようにしてあるのだと、母が申しておりました。
その水は、今日も細うございました。
「父上」
「うむ」
「来年の観測は、いたします」
父は、そうか、とだけ仰いました。
◆
三日後、ケルンベルク家は写しのとおりに水門をお開けになりました。
第十四、第十五、第十二。一番から三番まで、そのとおりでございます。ご家臣の方々は、たいそう慎重になさったと聞いております。
その日の晩、ニーダー村の水路に、水は来ませんでした。
「わしは、書けなんだ」。第六話は、この一行を置くための回でした。数は取れる、杭も読める、けれど取った数から順を決めるところができない。十三の娘が組んだ順でその年いちばんよく水が回って、それきり口を出さないことにした方が、六年「手習い」と呼び続けた理由でございます。
マルグレーテ様のほうも、意地悪で仰るのではありません。蝋燭の本数まで数えて家を保ってこられた方が、蔵に入れておくと減るものに初めて出会っただけです。
順序は写しのとおり。第十四、第十五、第十二。それでもその晩、ニーダー村の水路に水は来ませんでした。
次回、第七話「二村目の期日でございます」。合っているのに合わない理由を、一つだけ申し上げます。




