第13話 四十二回、すべて記してございます
三日後の寄合には、卓の上に紙が積まれておりました。ミューレン家から、七代・百三十年分の帳面。これはケルンベルク家がお持ちのものを、この日だけお借りいたしました。それに、わたくしの控えが六年分。
ゲルト様の側からは、損害の算定書と、組合の年報。ハルバッハ家からは、ヨナス様の紙束が二年分。
「では、始めます」
エルマ様が仰いました。旅装ではなく、今日は黒の上着でおいでになっております。
「本日は、記録だけを見ます。声の大きさは数に入りません」
◆
ゲルト様が算定書を読み上げられました。
「下流三村の減収は百四十ヘクタル。うちロート村六十二、ニーダー村五十一、シュタム村二十七」
「シュタムは、まだ実っております」
ヨナス様が仰いました。膝の上には、二年分の紙束を積んでおられます。
「二十七は、見込みでございます」
「見込みは算定に入れます。慣例です」
「入れて結構です。ただ、その二十七は、いつ通水した前提で計算しておられますか」
ゲルト様が、書類を繰られました。
「四月十五日です。例年の通水日です」
「今年の通水日は、四月二十五日です」
ヨナス様は、紙束をお開きになりました。
「雪解けが十日遅れました。私の書き取りに、その日付があります。四月二十五日、第十四水門開、立会は私です。ミューレン嬢の観測記録とも一致します」
「十日程度の差は」
「十日ぶんの水が、算定に二重に入っています」
ヨナス様は、鉛筆で紙の上を指されました。
「日数で割り戻しますと、二十七は、二十一です。差の六は、この谷では誰も損をしていない数です」
ゲルト様が、しばらく書類を見ておられました。
「……ハルバッハ子爵。あなたのお家は、自分の村の被害を、自分で減らすのですか」
「合っていない数字で通ると、あとが困りますので」
この方は、そう仰いました。
「二年前に、それで家が傾きました」
◆
「では、責の所在に移ります」
エルマ様が仰いました。
「ゲルト・シュタイン。あなたの主張は、上流が不完全な引き継ぎを行った、というものでした」
「そのとおりでございます」
「ミューレン嬢。反論を」
わたくしは立ちました。
「反論はいたしません」
卓の何人かが、こちらをご覧になりました。反論しないと申しました者が立っている図は、たしかに妙でございましょう。
「四月九日にお渡ししたものは、四月九日までの分でございます。それきり直しておりません。渡した側として、そこは申し開きをいたしません」
「では、責を認めると」
「いいえ」
わたくしは帳面を開きました。今年の頁でございます。
「申し上げたいのは、責の話ではございません。この谷で、順序を直せる者が何人いるかという話でございます」
わたくしは、七枚目を卓の中央に置きました。
「四月九日までに、六度直しております。二月に一度、三月に三度、四月に二度。消し跡がそのまま残っております」
それから、控えの束を積みました。
「四月九日から今日までに、三十九日分の杭の読みがございます。歩いた日は十三日。二十歩ごとの深さが、千九百歩まで書いてございます」
積み上げますと、卓の高さの半分ほどになりました。
「六年分ですと、こうなります」
ハンナに手伝ってもらって運んでまいりました残りを、ヨナス様が卓に上げてくださいました。
紙の山でございます。麻紐で年ごとに括ってございまして、いちばん下の束だけが日に焼けております。
「年に四十二回、開け閉めがございます。四十二回すべてに、その日の水の量と、開度と、下流の深さが記してございます。六年で二百五十二回。すべて記してございます」
卓は静かでございました。誰も紙に手を伸ばされません。数えた者が数えたとおりに積んだものは、めくるのに少し勇気が要るのでございましょう。
「これを、責の話でお決めになるのでしたら、どうぞお決めくださいませ」
わたくしは申し上げました。
「ただ、決めたあとで、来年の四十二回を誰が直すのかは、まだ決まっておりません」
◆
ゲルト様が、口を開かれました。
「……組合が直轄いたします。人を雇えばよろしい」
「雇っていただければ、数は取れます」
「では」
「取った数から順序を決めるところは、六年かかりました。四年目までは外しております。外した年は、下の村の井戸が濁りました」
わたくしは、卓の上に瓶を置きました。
ミナの瓶でございます。赤茶の濁りが、底に沈んでおります。
「四年前の濁りと、今年の濁りは同じ色でございます。第十二水門から落ちる水路の上のほう、鉄気の土のところでございます」
エルマ様が瓶をお取りになって、陽にかざされました。
「同じ色ですね」
「はい。同じ間違いでございますので」
わたくしは申し上げました。
「四年前の間違いは、わたくしがいたしました。そのときの直し方も、控えに書いてございます」
◆
ラウレンツ様が、手を挙げられました。
「発言してよろしいか」
「どうぞ」
「ケルンベルク家として申し上げる。四月九日以降、当家は堰の水門を開け閉めしてきた。四十二回のうち、これまでに十九回」
ラウレンツ様は、紙をご覧になりながら仰いました。ご自分でお書きになった紙でございます。
「十九回のうち、順序が合っていたのは五回だ」
卓が、ざわりといたしました。
「残りの十四回は外している。外したことに、当家は今日まで気づかなかった。気づいたのは、下の村の井戸が濁ってからだ」
ラウレンツ様は、紙を置かれました。
「――当家には、これを直せる者がいない」
誰も何も仰いませんでした。マルグレーテ様が、息子のほうを一度だけご覧になりました。わたくしは、その言葉を書き取っておりました。記録係ではございませんけれど、書いておいたほうがよいと思いましたので。
エルマ様が筆を置かれました。
「明日、裁定を申し上げます」
◆
集会所を出ますと、日が長うなっておりました。ミナが石段に座って、瓶を抱えておりました。証拠が済みましたので、お返しいたしました。
「まだ濁ってる」
「はい。まだ濁っております」
「なおる?」
わたくしは、膝を折りました。
「二年かかります。土が落ち着くまでに、それだけかかりますので」
ミナは、二年、と口の中で言いました。
「長い?」
「長うございます」
わたくしは、そう申し上げました。
「けれど、数えられます」
「なおる?」と訊かれて、二年と答える回です。長い、と訊かれて、長うございますと答え、そのうえで「けれど、数えられます」と申し上げる。この物語の慰め方は、たぶんこれ一つきりでございます。
卓に積んだ六年ぶんに、誰も手を伸ばさないところも書きたかったところでした。数えた者が数えたとおりに積んだものは、めくるのに少し勇気が要ります。
ヨナス様は、ご自分の村の被害をご自分で減らしにかかられます。二十七は、二十一。合っていない数字で通ると、あとが困りますので――と。得をしない誠実さで、この方は二年前を返済しておいでです。
次回、第十四話「水利権の帰属について」。裁定でございます。暦は、どなたのものになるのでしょうか。




