閑話.炎の精霊使い
切り立った崖の上に少年が立っている。
その視線の先には黒い川があった。
ぞわり、ぞわりと蠢く流れは水ではない。びっしりと群れている異形が川のように見えている。──スタンピードだ。
ギチギチ…と不快な泣き声が聞こえる。
30センチ程の魔蟻が主流だが、川の流れの所々に岩のように見えるモノ。それは巨大化した魔蟻だ。空を飛ぶ個体までいる。
これだけの数が、いったいどこから集まって来たのか。
向かう先には少年の故郷があるのだ。何としても止めなくては、少年の瞳に決意が宿る。
「ルーク…無理しないで」
「分かってるよ。レイア、僕に力を借して!」
「うん!」
少年の背後から抱きついていた美しい少女が、ふわりと宙に浮かんだ。緩やかにうねる深紅の髪が、炎のように広がる。彼女、レイアは精霊なのだ。
レイアの力を借りて魔力を練ったルークは、手のひらに炎球を生み出した。拳サイズのそれはどんどん大きくなる。メラメラと燃え上がる炎球を、ルークはスタンピードに投げつけた。
ズガンッ!と川の中央に落ちた炎球は、燃え上がりながら周囲の魔蟻を巻き込んで広がる。炎がどこまでも広がっていくかに見えたが、次々と流れ込む魔蟻が消してしまった。
ならばもっと大きく、もっとたくさん。レイアの力に自らの魔力も乗せればいい。
魔力を使うほどに、ジリジリと皮膚を這う呪いを感じる。
左手の甲から萌え出た蔓が、ルークの皮膚に伸びていく。
(……ルーク)
レイアは歯噛みをした。それは、自分がルークに与えてしまった呪い。魔力を使えば使うほどに体を蝕む呪い。
世界を呪い、全てを呪っていたあの頃。
たまたま現われたルークも呪ってしまった。それなのにルークはレイアを消し去らず、受け入れてくれた。
精霊使いであるルークはレイアの全てを受け入れた事によって、普通の精霊使い以上の力を手に入れたのだが、呪いも背負っている。伸びる蔓はルークを蝕み、痛みも与えているのに。ルークは決してフレアを責めてくれない。
(責めてもいいのに…)
責めてくれたなら、少しは気持ちが楽になる。そう思ったレイアは、それは逃げだと思い直し、呪いの痛みに耐えて魔法を放つルディを見守った。
崖の上から攻撃していたルークだったが、魔力の余波を浴び続けた地面がもろくなって崖下に移動を余儀なくされている。もちろん愛するルークに怪我をさせるレイアではない。ルークの体を抱きしめて、無事に崖下に降ろした。
降りてきたルークに目もくれず進み続ける魔蟻。
低い位置から炎球を使えば炎の道が出来るのだが、蟻がすぐにそれを埋めてしまう。
なんど炎球を放っただろうか。
「はぁ…はぁ…はぁ」
ルークの息は荒い。
レイアが同化した事により、ルークの魔力は何倍にもふくれ上がっているが、人の身には限度がある。手の甲から腕へ伸びた呪いの蔓が胸へと伸びている。もしも、全身を蔓が覆ってしまったら。
力を使いすぎれば呪いに蝕まれ、人に戻れなくなる可能性があった。
両腕を天に掲げたルークは、更に魔力を練りあげて巨大な炎球を作る。まるで地上に現われた太陽だ。
「もう止めようよ、ルーク!」
「まだ…まだだ」
頬に汗が伝い、蔓は胸から首へ這い上がり左の顔面を覆う。
「あああああああっ!」
「ルークッ!!」
渾身の力を込めて作られた炎球の爆発は辺りを真っ白い光で染め上げた。
──これは、のちに最強の精霊使いとして有名になる少年の物語である。
「どう? どう? 感想聞かせて欲しいな!」
ワクワクしているのはディアンだ。
そう。これはディアンが書いた小説なのである。
まだ、エドウィンが到着していない頃のメルヴィル伯爵邸。ディアンが滞在している部屋に呼ばれた面々が見せられたのが上記の原稿だった。
読んで感想を聞かせてと言われて、まず読んだのがアリアだ。読みながら「きゃあきゃあ」とはしゃぐので嫌な予感がして読んだ稜真は、自分が被害者ではないと知ってひと安心し、被害者に原稿を渡した。
被害者──ルディは読み始めてすぐに頬を引きつらせた。名前は変えてあるが、どう考えてもモデルは自分とフレアなのだから。
「ディアン、最高! これでモデルが稜真だったら言うことないのになぁ」
「いいかいアリア。これは創作だよ。モデルなんて存在していないんだ」
「了解! あくまでも似た箇所があるだけ、なんだね!」
「分かってるね」
ふふふふふ、とアリアとディアンは笑う。
「似た箇所がある…だけ…なの? 本当に?」
呆然としていたルディは我に返る。
確かに名前は違うけれど、それ以外の類似点が多すぎる。それに何と言っても、手の甲から伸びた蔓が顔まで這い上る描写は…。よってたかってやらされた黒い記憶が蘇った。
似た箇所があるだけと言われても納得がいかず、原稿を持ったルディの手がぷるぷると震える。
「遅くなっちゃった」と、ノックもなく入って来たのはフレアだ。一緒にいた瑠璃が、「いきなり開けては駄目なのです!」と怒る。
「気をつける!」と答えたフレアが、様子のおかしなルディに気づき、「どうしたの?」と首を傾げた。
返事をする気力がないルディの前に出たディアンが、「ごめんごめん。小説のモデルに使ったので、許可をもらおうと思ってね」と、悪びれずに言った。
「やっぱり僕とフレアがモデル!?」
「あっははは。あくまでもモデルだからね」
2人の関係に呪いはないし、小説の主人公が使っている魔法を自分は使えない。あくまでもモデルという言い分も分かるが、使われた方はたまったものではない。
モデルに関して理解していないフレアにアリアが説明する。
「ルディがモデルで、すっごく格好良く書かれている小説なんだよ~」
そんな説明をされれば、ルディ至上主義のフレアが反対する訳がない。呪いの精霊扱いされている点もあっさり受け入れたフレアは、アリアの注釈入りで楽しそうに原稿を読んでいる。
受け入れられないのはルディだけだ。
「モデル…。あくまでもモデル…僕じゃない…」とつぶやいている。
そのつぶやきは、稜真にとって覚えのあるものだった。沈痛な面持ちで、「ルディは王都で劇場に行ったことはある?」と尋ねた。
「え? 勇者劇なら見にいったよ。ロイとテオに誘われて何回か行ってる」
ルディも蒼炎の勇者ファンだった。勇者劇はすごく楽しめて、新しい劇が発表される度に行っていた。そう言えば稜真が蒼炎の勇者だった、と改めてルディは思った。
稜真は何やら耐えるような表情で「モデルはあくまでもモデル。物書きにとって、イメージをかき立てられる存在なんだよ」と言う。
役者が演じる蒼炎の勇者は、それはそれは格好良く、聖女は儚げできれいだった。どちらもモデルは稜真なのだ。
稜真の言葉でルディは、モデルになった主人公が自分からかけ離れて行く可能性に気づかされた。
ディアンの夢は小説家だと聞いている。もしも自分が主人公の本が出版されたりしたら…ルディは青ざめた。止めねば、と思ったところでフレアに抱きつかれた。
「ルディ、ルディ。イリスが喜ぶね!」
「イ、イリスが? どうして?」
「イリスは、ルディが絵本に出る偉大な精霊使いになるのを待ってるもん!」
イリスはルディの妹だ。フレアに言いくるめられたせいで、にいちゃは絵本に出る精霊使いになると信じているのである。
ルディとフレアに創作意欲をかき立てられたディアンは、主人公が旅に出るところからプロットを立てた。そして1番書きたかったシーンだけを抜き書きしたのが、みんなに見せた原稿だった。
「ディアン。ちょっとした提案があるんだけど~」
むふふふふ、とアリアがほくそ笑んだ。
アリアはラノベで定番の厨二病設定を、次々に提案したのである。斬新なアイデアをあげられたディアンは、真剣にメモを取った。
フレアの次に小説を読んだ瑠璃は、普通に面白いと感じた。アリアが変に盛り上がっているが、対象が稜真ではないので注意はせず、きっと喉が渇くだろうからとお茶の用意を始めた。
ディアンとアリアの会話内容に気づいた稜真もどう言葉を挟めば良いか判断に困り、結局見守ってしまった。ルディがモデルになったルークの今後が危ぶまれる。
稜真の心配をよそに、壮大なストーリーが書けそうなディアンはワクワクしていた。
さて。
一方のルディは、ディアンを説得し小説の続きを書くのを止めさせようと考えていたのだが、エドウィンの到着諸々ですっかり忘れてしまった。
……考えたくなかったとも言う。
後に有名作家となったディアンの処女作は、炎の精霊使いが主人公である。
無敵の精霊使いと可憐な精霊の物語はシリーズ化され、絵本にもなった。初版の絵本は、有名な精霊使いになった兄の手で、イリスに贈られる事となる。
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