62.お屋敷の一夜
ドラゴンと別れた後、試したい事があった稜真は、屋敷へ戻る前に洞窟の外へ向かった。ドラゴンが配慮してくれたのか、洞窟の明かりは灯ったままである。
洞窟の外は、すでに真っ暗になっていた。
『ライト』
1つだけ出した明かりを自らの前に浮かべ、歩き出す。明かりはふわふわと稜真の前を進む。少し歩くとブレスの通り道にぶつかり、その余波で枯れかけた木を見つけた。
木は見上げる程の高さがあるが、葉は全て落ち、幹には焼け焦げた跡がある。
稜真は幹にそっと触れると、思いつきを試した。
──その結果。
「あ…ははっ…。まさかこんなに上手く行くとは思わなかったな。…はぁ、明日は早起きするか」
稜真が屋敷へ戻ると、アリアが表に立っていた。どうやら少し時間をかけすぎたようだ。
「どこに行ってたの?」
「ちょっと…ね」
いつから待っていたのか、濡れた髪が冷たくなっている。
「執事さんがあいつに会いに行ったって、教えてくれたけど…」
「主さんにね。瑠璃達を呼ぶ許可を貰って来たんだ。アリア。髪が濡れたままだと、風邪引くだろ?」
心配をかけ、待たせた事を申し訳なく思いながら、稜真は生活魔法でアリアの髪を乾かした。
「…ありがと」
「それじゃ、アリア。瑠璃とそらを呼ぶね」
「う、うん…」
アリアは引きつった顔をしている。その頭をくしゃりと撫で、稜真は瑠璃に呼びかけた。
『瑠璃、待たせたね。そらとこっちにおいで』
稜真からの連絡を待ちわびていたのだろう。あっという間に、そらを肩に乗せた瑠璃が現れた。
「主!! 大丈夫でしたか? 倒れたりしませんでしたか!?」
「クルルッ!」
1人と1羽に、ものすごい勢いで詰め寄られた。
「倒れてないよ。大丈夫」
安心して、ほっと息をついた瑠璃に、アリアがおずおずと話しかけた。
「…あの、瑠璃もそらも…ごめんね。私、1人で突っ走っちゃって…」
「アリアには、言いたい事がたくさんありますの。とりあえず、そこで目をつむって、じっとしていて下さい。……そら」
瑠璃はそらを手招きすると、こそこそと話をしている。
「えっと…。何されるのかな? ものすごく怖いんだけどな…」
アリアは以前、丸洗いされた記憶が蘇って落ち着かない。自分が悪かったのだから、何をされるにせよ、甘んじて受けようと思ってはいるのだが、不安でならない。
「行きますわよ、アリア」
瑠璃がにっこりと笑う。
瑠璃とそらが何をするつもりなのか見当がつかないので、稜真は静観する事にした。
そらが瑠璃の合図で飛び立った。そして、一直線にアリアのみぞおちに突っ込んで行ったのである。
「うぐっ!?」
アリアはそらの勢いで尻餅をついた。みぞおちの痛みに声も出ない。
(……そう言う事…ね)
稜真は苦笑した。
「そら、おいで。あそこは痛い場所だから、駄目だって言っただろう?」
いつもは素直に頷くそらが「クゥッ!」と鳴くと、そっぽを向いた。
「主、だからですわ。私達からアリアへのお仕置きなのですもの。──いいですか、アリア」
座り込んでいるアリアの前で、瑠璃は仁王立ちになった。そらも瑠璃の隣に立ち、アリアに対して体をふくらませ、威嚇して見せる。アリアはみぞおちの痛みをこらえて正座をした。
「はい」
「私とそらの気持ちが分かりますか? 私は主の危機が分かるのに、お側に行く事も出来ず、看病する事も出来ませんでしたわ。そらは何も出来ずに、苦しんでいる主を見ている事しか出来なかったのです。アリアは主に手を貸して、助けになれたではありませんか!」
瑠璃には、稜真に危険が迫るのが伝わった。命に関わる怪我をしたのも分かった。それなのに、行った事のない場所には、1人で転移出来ないのだ。
「主にやっと呼んで頂けたと思ったら、1人でアリアを追うと言われたのですよ!」
「クルルゥ!」
「そらも主について行けず、留守番させられたと言っていますわ」
稜真はアリアの隣で正座をし、2人で一緒に頭を下げた。
「「すみませんでした」」
「あら? 私はアリアに言いましたのよ?」
「クゥ?」
「いや、だってね。俺も悪かったからさ」
瑠璃は稜真の手を取って、立ち上がらせた。アリアは正座のままだ。
「アリア、あなたは私達の中で1番お姉さんなのです。姉がそれでは、この先困りますわ。主を心配したのはアリアだけじゃないって事、しっかり覚えておいて下さいませ。今のは、私もそらも謝りませんからね!」
そらと一緒になって、そっぽを向く姿が可愛らしい。
瑠璃に叱られたアリアは、お姉さんと呼ばれ、思わずにんまりしてしまった。
「何をにやけているのですか! 私達は怒っているのですよ!?」
「クルルッ!!」
「ねぇ瑠璃…。私、お姉さん?」
「2番目が私で、1番下がそらですわ」
「クルルゥ」
「お姉さん…。うふふ」
痛いし、嬉しいしで、アリアは泣き笑いしている。
「ありがとう。もう絶対に1人で突っ走ったりしない。約束する。もし何か起こった時は、必ず誰かに相談するわ」
「約束ですよ? 絶対ですよ? 嘘ついたら、丸洗いの刑ですからね?」
「クルルッ!」
「そらは、もっと高く飛んでから、突っ込んでやる! と言ってますわ」
「うん、うん。約束する。嘘ついたら、丸洗いでみぞおちね」
──許されたアリアを含めた全員が揃って屋敷へ入り、コボルトが用意してくれた夕食を堪能したのだった。
夕食後、一行は屋敷の2階を見て回っていた。コボルトの執事がついて来てくれている。休む部屋を決める為であった。
「どこでも好きなお部屋をお使い下さい」
どの部屋も手入れが行き届いており、執事は自慢げに尾を振っている。
適当に隣り合った部屋を2つ借り、稜真とそら、アリアと瑠璃で使おう。稜真はそのつもりだったのだが、瑠璃が稜真と離れるのを断固として拒否した。
そらは、いつもの肩ではなく頭に乗り、羽を広げ足と嘴を使ってしがみついている。髪の毛が引っ張られて地味に痛い。
瑠璃は稜真の背中に張り付いている。
「そら、痛いって…」
「主からは絶対に離れませんわ!」
「クルル!」
「2人が離れないのなら、私も離れないもん!」
「いや…困るよ…」
アリアは稜真の腕にしがみついている。
「アリアと宿の部屋は別にすると、旦那様とお約束したんだよ」
「ここは宿屋じゃないから、セーフだもの!」
「そんな屁理屈を…」
「主。アリアだけ別の部屋は、可哀想そうですわ」
「瑠璃と一緒も駄目だって…」
「嫌です。私は絶対にお側を離れません!」
「お願い…。今離れたら私、眠れないと思うの…。昨日の稜真の姿が…だから……」
アリアは稜真を潤んだ目で見上げる。そんな風に言われてしまうと、稜真も強く言えなくなる。
「それは……」
瑠璃とそらが離れたがらないのも、同じ気持ちだからだろう。
困ったように首を傾げて見守っていた執事が、何やら思いついたかのように晴れやかな顔で言った。
「お客様。良いお部屋がございますから、こちらへどうぞ」
そう言われて案内されたのは、この屋敷の主寝室だった。キングサイズのベッドが存在感を主張している。
ちなみに、瑠璃とそらは、移動中も稜真に乗ったままであった。とは言うものの、瑠璃は体重をかけないように宙に浮いて背中に掴まっていたし、そらは軽いのだ。稜真に負担はかかっていない。
「確かに良い部屋ですが…」
「こちらならば、皆様でお泊まり頂けます!」
自信たっぷりの執事である。尻尾をぶんぶん振っている姿は、なんとも可愛い。だが稜真にとってはありがたくない。
「執事さん、気が利くのね。これなら全員で眠れるね!」と、アリアは嬉しそうだ。
「いやいや。部屋が一緒になるのはやむを得ないとしても、同じベッドは不味いよ……」
同じ部屋になるのは仕方ないと諦めた。だが、同じベッドは不味すぎる。ベッドがいくつかある部屋を尋ねようとしたのだが、執事は既に立ち去った後である。
「主は真ん中ですわ。アリアと私で両脇をガードしますわね」
「……ガード? なんの必要が…」
「そら。このクッション、大きくてふかふかだよ。これを稜真の枕の上の方に置いて…っと。いいよ、乗ってみて!」
「クルゥ」
「アリア。そらはちょうど良いと言っていますわ」
「良かった。これで皆、一緒のベッドで眠れるね!」
「……だから、同じベッドは…」
アリアと瑠璃はベッドに乗って、3人分の枕の位置を調整している。そらも参加し、和気あいあいと楽しそうだ。
「……誰も…俺の言う事は、聞いてくれないんだ…ね」
稜真としては、同じベッドだけは回避したい。部屋にあった大きな長椅子に腰かけた。この大きさなら、稜真1人、ゆったりと横になれるだろう。
「俺は、ここで寝──」
「駄目!」
「駄目ですわ!」
「クウッ!」
(……ちゃんと聞こえているじゃないか)
瑠璃がアリアに耳打ちしている。頷いたアリアが稜真の隣に座り、手を握った。
「あのね。稜真がお父様との約束を、大切に考えているのは分かるの。だけど私達、どうしても稜真から離れたくないの。お願い…」
そう言って稜真を見上げるのだ。瑠璃も反対側に座り、潤んだ目で見上げて来る。
「主ぃ…」
そらは稜真の膝に乗り、やはり稜真を見上げている。
「クルルゥ…」
3対の潤んだ目に見つめられた稜真が勝てる訳もなく。
「……今回…だけ…だからね…」
「やったね!」
「作戦成功ですわ」
「クゥ」
「主は押しに弱いと、女神様が仰った通りでしたわ」
「このままじゃ心配だよね。私達で目を光らせておかないと!」
「クルル!」
「…ははっ。…女神さんの入れ知恵か…。もっと突っ込んでおくべきだったよ…」
とは言え、皆に心配をかけてしまったのは、事実であったから、稜真は真顔になった。
「改めて、皆にお礼を言わせて。そら」
「クルル」
「助けを呼んでくれてありがとう。サージェイの案内もね。助かったよ」
「瑠璃」
「はい」
「瑠璃が回復してくれたから、アリアを止めに行くのに間に合ったんだ。ありがとう」
「アリア」
「…はい」
「手当てしてくれて、ありがとう」
アリアは複雑そうな顔でうつむいた。
「もう1人、お礼を言わなくちゃいけない奴がいるなぁ」
「もう1人?」
アリアが聞き返した。
「ピーターだよ。目潰しのお陰で時間が稼げたんだ。あれが無かったら、サージェイと逃げる事も出来なかった」
「うう…あの回復薬が無かったら、稜真助からなかったと思う…。1番の功労者って、ピーターさんなのかも……。なんか悔しい…」
「回復薬も使ったのか」
その上で巫女を呼んだとは。自分の怪我は、そこまで危なかったのだと実感した。
「アリアがあの金額でも買うと決めたんだ。だからオマケも付けて貰えた。看病もしてくれたんでしょ?」
(そ、そう言えば私、稜真の体を何回も拭いたんだっけ! 下はアーロンさんが拭いてくれたけど、素肌に触れたんだよね! ああっ!? 稜真の胸に顔を埋めるとか、心臓の鼓動を聞くとか、なんて大胆な事を!! あの時はそれどころじゃなかったけど、今思い出すと~~~~!!)
「アリア、どうしてそんなに真っ赤になっているのですか? ……主に何かしましたの?」
「な、な、何もしてないよ~。か、看病しただけだもん!」
「怪しいです…。まさか、主に不埒な真似をしたのではないでしょうね?」
「不埒って何!? し、してないもん!」
明らかに挙動不審なアリアの様子に、稜真は苦笑する。
(アリアが何を考えたか、大体の想像はつくな。傷の手当をしてくれたのは、アーロンさんとアリアだろうね。着替えは誰がしてくれたのか知らないけど、アリアはずっと付き添ってくれていたんだよね)
部屋には魔石が使われたランプが、いくつか壁に取り付けられている。稜真は1つだけを残して明かりを消し、ベッドの中央に横になった。
「はいはい。明日は早く起きたいから、もう寝ようね」
頭の上にそら、右側に瑠璃、左側にアリアが横になる。
「お休み。あ、そうそうアリア」
稜真が体勢を変えてアリアと視線を合わせる。
「な、何?」
「……襲わないでね?」と、怯えた風に声を震わせて言ってやった。
「稜真ぁ!? お、襲わないもの!」
「あはははは、お休み」
「主の笑い声って、大好きですわ。お休みなさい」
「クルルゥ」
「う~! お休みなさい」
疲れ切っていた稜真は、もう寝息をたてている。
(無理させちゃった…。動く前に考えるって約束してたのに。…ごめんなさい。稜真の顔色…悪いな……)
アリアはそっと稜真の髪に触れた。
「……アリア、主を襲っちゃ駄目です…」
「…クゥ」
「だから…襲ってないってば……」




