185.主(ぬし)
小さなスケア村に宿は1軒しかない。
夫婦2人でやっているこの宿には、稜真達の他に泊まり客はいなかった。元々泊まり客は、年に何度か旅商人が村に立ち寄るか、ごくまれに依頼を受けた冒険者が泊まる程度なのだ。
宿を経営する夫婦は、基本的には畑を耕して生活している。そして昼と夜に食堂を営業し宿は副業なのだと、女将が聞かせてくれた。
滅多に使われなくとも、部屋は掃除が行き届いていた。
宿にお風呂は付いていない。スケア村の人々は皆、共同浴場に行くのだ。外に出たがらないマーシャの為に、稜真は大きな桶2つにお湯を用意した。
「アリアさま、ルリ。おふろにいってきて、いいよ? マーシャはおるすばん、してるよ?」
「いいのいいの! 他の領地や国は、お風呂のない宿ばっかりなんだよ。だから、色んな経験しておかないとね。私は、他の国にも行って見たいんだもん!」
「ほかの…くに…?」
「そうだよマーシャ。世界は広いんだもの。色んな事やって、色んな所に行ってみないと、もったいないよ!」
「アリアお姉ちゃんは、色んな事をやらかしすぎですけどね」
瑠璃の言葉に、アリアはてへへ、と笑った。
3人でかわりばんこに背中を拭いてさっぱりし、残ったお湯でそらとももを洗ってやったのである。
一方、稜真とイネスは共同浴場へ行った。夕暮れの空を見上げると、厚い雲が広がっている。晴れた日が続いていたが、そろそろ雨が降るかも知れない。
お風呂で村の人に話が聞けたらと思っていたが、時間が悪かったのか、村長の通達で稜真達にも近づいてはならないと思われたのか、誰もいなかった。
夕食をすませて就寝だ。今夜は稜真もイネスも勉強をしない。翌日は早朝から調査に行く予定だからだ。
少し残念そうなイネスだったが、稜真が焦る気持ちを押さえているのを知っていたので、何も言わず眠りについた。
夕食は部屋で食べたが、朝食は宿泊客だけなので食堂へ行く。昨夜はマーシャにとって、眠れぬ夜だったようだ。眠そうに眼をこすって、あくびをしている。
狭い村では皆が顔見知りだ。宿の夫婦はマーシャを痛ましそうに見たが、何も聞かずにそっとしておいてくれた。
焼きたてのパンと野菜スープがテーブルに並ぶ。
一見あっさりしたメニューに感じるが、パンの種類が多いのだ。木の実やドライフルーツ入りのパン、チーズ入りのパン、プレーンなパン、柔らかくふっかりとしていたり、少し硬めのパンだったりと幾種類もあり、ジャムとバターが添えられていた。
「美味しい!」と、アリアが食べた途端に言った。
何も付けなくとも、ふんわりと香ばしく温かいパンは美味しく、もちろん付けても美味しかった。イネスもそれぞれの種類を、興味深そうに味わっている。
マーシャは食欲がないらしく、スープだけを飲んでいた。今は無理をさせない方がいいだろう。──残った分は瑠璃が食べ、出された料理は全て無くなった。
部屋で待っている従魔達の分も分けて欲しいと頼むと、女将はにこにこして、籠盛りのパンをくれた。
アリアの部屋で待っていたそらとももに、パンをあげる。そらはちぎって、ももはそのままだ。
『おいしい!』
そらは木の実入りが気に入ったようだ。ももはぷるぷる揺れながら食べている。きさらの食事は、朝食前に与えてある。パンはおやつに後であげようと思っている。
「マーシャとイネスは留守番しててくれる? 私達は川の調査に行って来るわ」
アリアが言うと、マーシャの表情が曇る。
「ルリも、いくの?」
「ああ。瑠璃は山や森に詳しいからね。一緒に来て貰いたいんだ。きさらに乗るのは3人が限度だから、ごめんね」
川に何か起こっている場合、水の精霊である瑠璃がいてくれると心強い。稜真の答えを聞いて、マーシャはこっくりと頷いた。
「…わかった。イネスおにいちゃんと、おるすばんしてる。おべんきょう、してる」
稜真は物語集と紙と筆記用具、それに加えておやつとお茶、そらともものご飯も取り出す。
「そら、川の上流に調査に行ってるから、もし何かあれば知らせに来てくれ。帰るまで、マーシャとイネスを頼むな」
『まかせて!』
「ももも、頼んだよ」
ももは元気よく、ぴょんと跳ねた。
「イネス、行ってみないとどうなるか分からない。遅くなっても心配しないで、食事をすませてくれ。長引きそうでも、夜までには1度戻るつもりだから」
「分かりました」
「マーシャ、食事は食堂に行けそうかな? もし無理だったらイネスに言って、部屋に運んで貰えばいいからね」
マーシャは黙って頷いた。
『主、マーシャをギュッて、してあげて下さい』
瑠璃からの念話にうながされ、稜真はマーシャを抱きしめた。話している時は気づかなかったが、マーシャの体に力が入っていた。村に着いてからずっと緊張していたのだろう。
稜真に抱きしめられ、ふっ、と力が抜けた。こてん、とマーシャの頭が稜真の胸に当たり、すりすりとすり寄る。その頭を撫でると、マーシャは微かに微笑んだ。
「うん。だいじょうぶ。いってらっしゃい」
「マーシャ。眠れたら、お昼寝するんだよ~」
アリアもマーシャの頭を撫でた。マーシャは、こくこくと頷いた。
メルヴィル領の北側は、山々が連なる山脈だ。西峰にシュリが棲む山。東峰には、アリアが育てたドラゴンのクロが眠っている。山脈の中央、山の裾野にあるのがスケア村だ。
近くを流れる大きな川は、その山から流れている。
水は濁り、明らかに水かさが少ない。本来の川幅は50メートルはありそうなのに、チョロチョロと流れる川幅は半分以下だ。
稜真とアリア、そして瑠璃は、きさらに乗って川をさかのぼる。およそ30分が過ぎた頃、それに最初に気付いたのは瑠璃だった。
「主、あそこですわ!」
「これは…!?」
「うわぁ…!」
山が崩れたのだろう。土砂が流れ込み、大量の折れた木々がまるでダムのように、濁った水をせき止めている。
「水が減っていたのは、このせいか…」
「次に雨が降ったら危なそうだよね…。どうしよう…」
稜真は空を見上げた。昨日よりも雲が厚い気がした。
「きさら、あの辺りに降りてくれ」
「クォン!」
きさらは川辺に降りた。近くで見ると、折れた木々は積み重なり、がっしりと組み上がっているように見える。水は木々の隙間に空いた穴、そしてせき止めている木々の上を通って流れて行くのだ。
今すぐに決壊しそうな危うい箇所はなさそうだが、もし決壊すれば、何トンもの水が村々を押し流すだろう。間違いなくスケア村は、真っ先に流される。
避難するにしても、どこへ行けばいいのか。とても稜真とアリアだけでは手が足りない。
改めて地図を見ると、この大きな川にそって村や町があり、他領まで流れて行く。決壊すれば、甚大な被害が出るだろう。今から伯爵に連絡しても、避難が間に合うかどうか。
「アリアは何かいい手を思いつく?」
「魔物相手ならともかく、この手の事態にはお手上げ~」
「そうか…。瑠璃。瑠璃の力で、水を減らす事は出来るか?」
「私が消せるのは微々たる量ですわ。少しずつどこかに移動させるのは可能ですけど、これだけの水をどこへやればいいのでしょう…」
「…水の移動先、か」
3人は、もう1度きさらに乗り、周辺を調べた。
「あそこにも水が見えるな」
少し離れた場所だが、濁りのない綺麗な水に見える。
そこは岩に囲まれた淵になっていた。広さは瑠璃の湖よりも狭いが、のぞき込むと底知れない深さを感じる。
切り立った淵の横には、1本の大樹が生えていた。周辺が岩場の中、生えているのはこの木だけだ。葉がかさついて、元気がないように感じた。
「この淵に手を加えて、あの水を半分でも移動させられないかな?」
瑠璃の湖のように、淵を広げて水を移動させたらどうだろうと考えたのだ。瑠璃が首を横に振った。
「主、ここには主がいるのです。だからここだけは守られています。あの水の移動等、許さないでしょう。──けれど、この主は私よりも力がありますの。その力が借りられれば、なんとかなるかも知れませんわ」
「主か…」
「主ねぇ…」
「私が呼びかければ、聞こえるかと思いますわ」
「頼めるか、瑠璃」
「はい」
瑠璃はふわりと水に降り立つと、淵に湛えられた水に触れた。
「お休みの所を失礼致します。水の精霊、瑠璃と申します。私の主が、あなた様のお力をお借りしたいと申しております。どうか、姿をお見せ下さい」
水が渦を巻いた。瑠璃は稜真の隣へと戻る。
ズザザッ!と、淵の中から現れたのは、白く巨大なドラゴンだった。
「何者か?」
シュリと比べると体が細長く、どこか東洋風に見える。羽がないのにどうやって浮いているのだろう。ドラゴンは、遥か上からこちらを見降ろし、金色の目を細めた。
「人間、か。精霊と白いグリフォンを連れている? もしやお前は、シュリの山を癒やした人間か?」
「シュリの知り合いなの?」
アリアが聞いた。
「不本意だがな。先日立ち寄った際、自慢げに語られたわ」
ドラゴンは苦々しい口調で言った。知り合いだが、仲良くはなさそうである。
「ふうん。私、アリア。山を癒したのは稜真よ」
ドラゴンは稜真を見た。稜真は軽く頭を下げた。
「稜真です」
「それで、何用か?」
稜真は川が決壊しそうな事を伝え、あふれそうな水をどうにかしたい、力を貸して欲しいのだと説明した。
ドラゴンは目を細める。
「ふむ。水を減らすなど造作ない。手を貸してやっても良いぞ。但し。対価として、どちらかが残って我の嫁になれ」
稜真はドラゴンを睨みつけた。口を開こうとした稜真を背にかばい、アリアがドラゴンに大剣を突きつける。
「稜真は渡さないからっ!!」
──緊迫した空気が霧散した。
「……嫁と言ったであろう。我は男色に興味なぞないわ」
「なっ!? 稜真の魅力が分からない輩なんて、見る目が無さすぎだし! 稜真は男だけど、お嫁さんにしたい人は、たくさんいるんだからね!!」
「アリア! 主を薦めてどうするのですか!?」
「…アリアはさ。そんなに俺を嫁に出したい訳?」
ドラゴンの呆れた視線。瑠璃と稜真の冷たい視線がアリアに注がれた。
「ち、違うの~。だって、嫁って言うから、てっきり…。あれ? って事は、私か瑠璃の事なの!?」
「今更か…。明らかだったろうに。どちらにしてもロリコンだよね」
このロリコンのドラゴンの力を借りねばならないのか、稜真はため息をついた。




