178.起床
目覚めた稜真の目に入ったのは、こんもりとした白い物だ。
(…きさらの羽? それにしては…ふわふわして見えるな。手触りは…さらさら…。ん? 何か右腕に重みが…)
白くてふんわりとした物の手触りはさらさらとして心地良く、何度も触れてしまう。寝ぼけていたのだ。その時、真っ白な物が動いて、黒い瞳をのぞかせた。
「おはよう…リョウマおにいちゃん…」
「おは…よ、うっ!? マーシャ!? なんで…、いつの間に…」
それは羽ではなく、マーシャの髪だった。いつの間に潜り込んだのか、稜真の腕を枕にしていたのだ。
稜真は剣の腕は上がっているが、眠っている時の警戒はそらときさら任せで全く気付かなかった。
マーシャはすりすりと、胸元にすり寄っている。訳が分からず固まっている稜真は、なすがままである。
人の気配に気付いて視線を上げると、ぷっくりとふくれたアリアと目があった。
アリアは目が覚めたらマーシャがおらず、慌てて探していたのだ。後ろには瑠璃とももの姿も見える。
「…腕枕…。稜真、どうしてマーシャと寝てるの?」
「ははは…。どうしてだろうね…」
「今夜は私と──」
「アリアとは駄目だと何度言わせる!」
「ぶ~!」
「ともかく、マーシャが俺を怖がらなくなったのは、良かったよ」
稜真は体を起こしたが、マーシャは張り付いたままであった。
「ほらマーシャ。着替えておいで」
マーシャは名残惜しげに、もう1度すりすりしてから、稜真から離れた。
マーシャと一緒に馬車に向かう瑠璃から、稜真に念話が届く。
『主…、一緒は駄目と仰ったのに、マーシャだけずるいですわ…』
『気付かなかったんだよ…。ご飯のリクエストを聞くから、許して欲しいな』
『………甘い玉子焼が食べたいです』
『了解。今から作るよ』
料理を始めると分かったももは、稜真の肩に移動した。
稜真が朝食の材料を取り出していると、イネスが起きて来た。
「おはようございます、リョウマさん。早いですねって、あれ? 今朝は、俺が朝食を作る番じゃなかったでした?」
「その予定だったけど、瑠璃が玉子焼を食べたいと言ってね。悪いけど、お米を炊いて貰えるかな。覚えた?」
「覚えてます! 任せて下さい!」
稜真は米を量ってイネスに渡した。
「分からない事があったら聞いてくれ」
「はい!」
馬車に戻ったアリアは、瑠璃の服をどうしたものだろうかと悩んでいた。
マーシャは昨日の服に着替えた。瑠璃はマーシャを探す前に、昨日の服に変わっている。
稜真に服の相談をされたアリアは、とりあえず自分が持っている服を着せればいいと思っていた。アリアのアイテムボックスには、冒険者を始めた頃からの服が全部入っているのだ。
ところが出してみると、どれこれも状態が微妙だった。
「う~ん。やっぱり買わなきゃ駄目だ~」
色褪せていたり、穴が開いていたり、大きなかぎ裂きが出来ていたり。
「どうしてこれを取っておいたのです?」
「後で整理しようと思って、放り込んで忘れてた~」
これでは買い物を優先しなくてはならない。
アリアは、地図とにらめっこを始めた。少し横道に逸れるが、それ程遠くない距離に町がある。
「マーシャ。今夜は宿に泊まろうかと思うけど、どうかな?」
「アリアさまとルリも、いっしょのへや?」
「もちろん!」
「……アリアさまといっしょに、ねてもいい?」
「抱き枕にしちゃっても良ければ…」
アリアはちらりと瑠璃を見る。
「マーシャの希望なら仕方ないですわ」
「それじゃあ、今日は宿で泊まろうね! お風呂に入って、ゆっくりしよう!」
「うん」
「アリアお姉ちゃん。マーシャの希望ですから仕方ないですけど、抱きしめるのも程々にしてあげて下さいね?」
「努力してみます…」
じとっと見つめる瑠璃の目を避けるように、アリアはマーシャに話しかける。
「そ、そうだ、マーシャ。稜真もイネスと同じで、硬かったんじゃないの?」
「かたかった。けど、あったかい。りょうまおにいちゃんといると、じんわりするの。ふしぎ…」
「分かりますわ! 稜真お兄ちゃんは、温かいのです! 抱っこして貰うと、じんわりするのです!」
マーシャと瑠璃が手を取り合った。
(あらあら、瑠璃とマーシャが、意気投合してる。理由が稜真だって所がさすがよね~)
「今日はお兄ちゃんに、甘い卵焼きをお願いしたのです。ものすごく美味しいのですわ。行きましょう!」
瑠璃はマーシャの手を引いて馬車を出た。小さな瑠璃がマーシャの手を引く姿は、とても愛らしかった。
甘い卵焼きはマーシャにも大好評で、「また、たべたい」と言ってくれた。
「リョウマさん! 今度作る時は、教えて下さい!」
イネスも気に入ったようだ。
「了解」
美味しく食べて貰えると稜真も嬉しい。イネスのご飯も、上手に炊けていた。朝食の片付けも終わり、瑠璃とマーシャは、イネスが馬の世話に行くのを見学に行った。
旅は長い。少しでも出来る事を増やそうと、2人で決めたらしい。お給料分働く、とマーシャが張り切っている。
稜真とアリアは、テントの片づけだ。
片付けながらアリアが、マーシャが言った事を聞かせてくれた。
「あったかい、か。女神さんの加護のせいかなぁ」
「んん~? 稜真自身の力だと思うな。私も稜真の側にいると、癒されるもん」
「アリアは特殊でしょ。まぁ昔、癒し系と言われた事はあるけどな」
「昔っていつ?」
「高校時代。担任に言われたんだよね」
「高校男子で癒し系!? すごいね!」
「……どういう意味?」
「だって、高校生男子なんて、汗くさいし、乱暴だし、いやらしいし、癒し系から程遠い存在でしょ!」
何を思い出したのやら、アリアは不機嫌そうに口をへの字にしている。
「そこまで言う? アリアはどんな高校生活だったんだよ…」
「何故かうちのクラス、柔道部とか、相撲部とかの男子が多かったの~。むっさいし、汗臭いの!」
「部活してたら、多少は仕方ないだろうに…」
「着替えとか、のぞきに来るんだよ!」
(それは…思春期だからなぁ)
のぞかれた方からしたら、思春期という理由ではすまないのだろう。
「それにしても、稜真がマーシャをたらし込むのは、時間の問題だと思ってたけど、予想以上に早かったね~」
「たらし込むと言われても、何もしてないんだけどなぁ」
特に今回は、眠っていただけなのである。
「そこは稜真だもん」
「理由になってないよ」
「それは置いといて、今日は進路を変更して、町に行きたいの。少し遠回りになるけど、瑠璃の服を買わないと」
アリアは地図を取り出した。
「この町を逃すと、買い物は難しいと思うの。この後はスケア村まで、ずっと小さな町か村ばかりなんだ」
小さな町村に服屋はなく、布を買って自宅で服を作る。確かに、目的地まで他に大きな町は見当たらない。
「分かった。イネスにも伝えないとな。──それとアリア。昨日はやりすぎたみたいだ。悪かったね」
稜真は瑠璃から念話で、事の顛末を聞いた。アリアとしては、軽い気持ちで言っただけだと知ったのだ。
「き、昨日の事は…その…あれはあれで、耳が幸せだったのは、事実だし…。あ~! 思い出したら駄目になる!!」
昨日の稜真のささやきが蘇り、アリアは真っ赤になった。腰が抜けそうになって、思い切る為にぶんぶんと頭を振った。
「──うん! 私も恥じらいが足りなかったのは、事実だもん。もういいよ」
いいよ、と言いながら、アリアがにんまりと笑った。
「それはいいんだけど~。ねぇ、稜真。マーシャも稜真を怖がらなくなったでしょ。出発前に手合わせしない?」
稜真の頬がひきつった。
(あ…はは…。どうやらアリアは、腕枕が気に入らなかったみたい…だね。今日のアリアとはやりたくない……)
「ちょっと発散させたい気分なんだよね~」
野営地にいた他の人々は、早々に出立しており、残っているのは自分達だけである。
「近くでやったら怖がるかも知れないから、マーシャには少し離れてきさらといて貰って~。そうすれば、思いっきりやれるよね!」
「……思いっきり? キーランを確実に倒したいから、手合わせは歓迎だけど、今日は移動もあるし、疲れが出たら困るよね。今度にしない?」
「今日の移動距離は短いし、買い物は私が行くでしょ。稜真は休めるよね?」
「いや、だけど…」
「マーシャに話してくるから、準備しててね~」
「…決定…なんだね…」
諦めた稜真は柔軟運動を始めた。
マーシャも興味津々で、怖がる様子はない。
真剣での立ち合いを見せるのは、さすがに不味いだろうからと、木刀と木剣で行う事にした。
アリア相手だ。稜真は籠める気を、少し多めにした。
「──あれ? その木刀、いつものと違う?」
対戦早々アリアが言う。
「職人さんの! 新作っ!」
相も変わらず打ち合いながらの会話は、稜真が押され気味だ。
「ふぅん。稜真の動きが違うね~。迅雷を使ってる時の動きに近いよ」
「違うと言いながら! アリアは変わらないよな!」
以前の木刀よりも使い勝手が良くなり、稜真の腕前も上がっている。それでもアリアは、いつも通り気軽に素早く打ち込んで来る。
「変えた方がいいの? それなら変えてみるね~」
アリアの剣筋が変わった。突然の切り替えに、稜真は思わずたたらを踏んだ。
「ちょっ!? アリア、それって…!!」
どちらかと言うと力任せに近かった剣が、フェイントを仕掛けて隙を誘う、技術的な剣に変わったのだ。
「ん~? 稜真から聞いた、キーランの剣を真似してみたの。変えた方が良かったんでしょ?」
「意味が! 違う!!」
稜真が変わってないと言ったのは、自分の腕前が上がったと思っていたが、アリアの対応がいつも通りで変わりないと言ったのであって、剣筋が変わっていないとは意味が違う。──そして、技術はキーランの遙か上だ。
「アリアは! そんな剣も! 使えるのかよ!?」
「面倒くさいから、あんまりやらない。やらなくても勝ててたもん。私、1度見た剣は大抵使えるの~」
(どんなチートだよ、それ!? キーランの剣は、俺の話を聞いただけなんだろう!? 女神さんの加護が多すぎた、悪影響だな!)
「つまり、迅雷の剣も、くっ! 使えるって、事!?」
「迅雷かぁ。あそこまでは無理でも、そこそこ出来る気がする~」
「今度、木刀で…、っと! 相手頼む!」
刀同士の対戦は、これまで望めなかった。アリアが使えるなら助かる。
「いいよ~」
その緩い返事に、必死でやっている稜真は、アリアと対等に戦える日が来るのか不安になる。だが、確実に腕は上がっているのだ。一歩一歩頑張っていこうと思う。
──手合わせ終了後。
「…アリア……、今度は…朝じゃなくて…夕方に、頼む。1日の始まりに…これは、ちょっと…キツイ…から…」
終了後、稜真は汗びっしょりで、息を切らしていた。
「ごめんなさい。…つい」
「鍛錬には、なったから…いいけどね。はぁ…。体を拭いて着替えて来るよ」
アリアは汗もかいていない。やりすぎたと、少々反省してはいるようだ。
稜真が着替えて戻って来ると、アリアが瑠璃にお説教されていた。羽をふくらませたそらも、アリアを威嚇している。きさらは、怒っている瑠璃をびくびくしながら見ている。
マーシャとイネスは口を開けて、ポカンとした顔をしていた。
「マーシャ、怖くなかったかな?」
「こわくない。アリアさま、とリョウマおにいちゃん、かっこよかった」
稜真はマーシャの頭を撫で、瑠璃に念話で話しかけた。
『瑠璃、そろそろ許してやって。俺も鍛錬になって、ありがたいと思っているから、ね?』
『主がそう仰るのでしたら…』
瑠璃は渋々アリアを開放したのだった。
予定より少し遅くなったが出発だ。
今日は瑠璃もきさらに乗っている。昨夜稜真と眠ったきさらはご機嫌だ。
「リョウマさん、お疲れ様です」
「ああ、疲れたよ」
御者はイネスが買って出てくれた。稜真は昨夜頑張ってくれたそらを、膝に抱えて撫でていた。そらは気持ち良さげに眠っている。
うららかな陽気が眠気を誘う。
「リョウマさんは──」
「ん?」
「いつも、こんなに忙しい生活をしているんですか?」
「忙しいかな?」
「盗賊を倒して、屋敷に戻ってすぐ出発でしょう。料理して、従魔達とアリア様のお世話をして、剣の修行まで……」
「確かに…ちょっと忙しいかな。でも、今回の旅はゆっくり進む予定だしね。屋敷にいると、従者の勉強で休めないから」
ははっ、と稜真は乾いた笑いを浮かべる。
「ところでイネス。俺に敬語を使わなくてもいいよ」
「……無理です。出会いが出会いでしたから」
稜真は初めて出会った時に、イネスの首元に白刃を突きつけたのだ。
「あー、悪かったな」
「理由は分かっていますし。それに俺、リョウマさんの事、尊敬してますから!」
「可愛いって言ったくせに…」
「本心ですから!」
「もっと、訳悪いわ!!」
敬語ではあるが、話す内容に遠慮が無くなっているのは、喜ばしい事なのだろう。──複雑な稜真であった。




