177.それぞれの眠り
足のしびれが取れても、アリアの放心状態は続いていた。
(稜真様の本気の破壊力を、甘く見てたよ~。なんなの、あの色気!! ただでさえ甘い声に、磨きをかけて来てさ! 正座の辛さなんて、聞いてる間は麻痺してたし! ささやき声が体に響くのは、いつもの事だけどさ。…そりゃあ確かに…恥じらいが足りなかったかも…知れないけど…。マーシャはイネスに何を話したのかなぁ……。そ、それはともかくとして! あそこまでしなくてもいいと思うのよ! 稜真様の演技力は知ってたけどさ! かすれた甘い声が色気たっぷりで、しかも愛おしいって感情を籠めて来るなんて…。セリフだって分かってるのに、勘違いしそうになったし!! あ~、もうっ!!)
そらをけしかけられたお陰でほてりが治まったが、落ち着いたら脳内に稜真の声が蘇ってぶり返した。──10分間は長かった。
耳に、全身に余韻が残っている。ドキドキと心臓の音がやかましい。アリアは側にいたそらを捕まえた。
『なに、おねえちゃ?』
喉元や翼の付け根を掻いてやると、気持ちよさそうに目を閉じた。柔らかな羽毛を撫でていると、アリアはようやく人心地ついて、そらを胸に抱いた。
(それにしても…。稜真様…素敵だったなぁ)
ひどい目に遭わされたが、それとこれとは別だ。生声は、イヤホン越しとは破壊力が違った。色気たっぷりのささやきを10分間聞けたのは、天にも昇る心地だった。
アリアはそらを抱いたまま余韻に浸った。
(ちょっとやりすぎたかな…)
稜真は反省していた。マーシャにニコルの名を出され、何故かイラついてしまったのだ。
今は同じ野営地にいる旅人に、騒ぎを謝りに回っている。まだ早い時間だったので、皆、笑いながら許してくれた。領民ばかりで、こちらの正体を知られているせいでもあるだろう。
グリフォンとアリア様がいれば、魔物の心配をしなくてすむ、と喜んでくれた。アリアがグリフォンと同列扱いされたのには笑った。
片づけも終わり、瑠璃とマーシャは、きさらにもたれて話をしている。イネスはきさらの隣にいる馬に触れながら、時折きさらにも手を伸ばしている。イネスに触れられて嬉しそうにするきさらに、グリフォンに対する恐怖心は薄れていた。
マーシャはアリアの悲鳴を気にしていたが、瑠璃はいつもの事だと素知らぬ顔だ。それよりも気になっていた、『柔らかい』の顛末をマーシャに聞いていた。
「と言う事は、マーシャは昨日、アリアお姉ちゃんと眠ったのですか?」
「そう」
「大丈夫でしたか?」
「なにが?」
「お姉ちゃんの寝相ですわ。私は一緒に寝ると、いつも抱き枕にされるのです。抱き枕を買ってからは大丈夫かと思ったら、時々間違えますし! 稜真お兄ちゃんだって──」
眠っている間にお姉ちゃんにしがみつかれていましたのよ──瑠璃はそう続けようとしたら、『瑠璃! それは言わないでくれ!』と、稜真から念話が届いた。
「ルリ、リョウマおにいちゃんが、どうしたの?」
「…あの…えっと……」
今更、なんと誤魔化せばいいのだろうか。
夜営地を回って戻った稜真の耳に、2人の会話が飛び込んで来た。何を言おうとしたか、稜真は間一髪で気づいたのだ。どこから伯爵に漏れるとも知れない。稜真は冷や汗をかいていた。
「えっと、稜真お兄ちゃんが……」
『…主。誤魔化すとは、どうすればいいのでしょうか…』
そう言われても、稜真にも思いつかない。マーシャは不思議そうに瑠璃を見ている。
「どうしたの~?」
回復したアリアが、ふらつきながらやって来た。
「きのうのおはなし、してた。アリアさまのねぞうを、ルリからきいてたの」
「あ~。ごめんね、マーシャ。抱き枕にしちゃって」
「やっぱりですの!?」
「えへへ。朝起きたら、ね?」
「……今夜も危険ですわ」
女性陣は、馬車の中に布団を敷いて眠る予定なのである。
「お姉ちゃん。抱き枕は持って来ましたか?」
「持って来てません…」
「このままでは、私かマーシャが被害にあいますわ…」
「べつにいいよ?」とマーシャは言う。
「駄目です! しがみつかれては、ゆっくり眠れませんもの! ──アリアお姉ちゃんを残して、マーシャと私は、稜真お兄ちゃんと寝たらどうでしょう?」
いい事を思いついたとばかりに、瑠璃が言う。アリアは瑠璃を抱きしめ、嫌々と首を振る。
「抱き枕にしないように頑張るから~。1人は嫌~~!」
「頑張ると言っても、いつも駄目ではありませんか! 放して下さい!!」
話を誤魔化せたのは有り難いが、せっかく謝って来たのに、これ以上騒がれるのは困る。
「俺と寝るのは却下だよ。ほら、馬車の中に布団を敷いたから、早くお休み」
「どちらかが、絶対に抱き枕にされますのよ?」
「それは…どうしたものかな」
稜真の胸元から、ももが飛び出した。マーシャがももを握らなくても良くなったので、ももは久しぶりに稜真と共にいたのだ。胸元に入っていたのは、その方が密着できるからだ。
何やら、ももが稜真に向かって訴えている。馬車へと誘導するので、稜真と女性陣はついて行った。ちなみに馬車の内部は、土足厳禁にしてある。
布団に乗ると、ももは空気を吸い込んで体を大きくした。手のひらサイズが、大きめのクッション並みの大きさになったのだ。
「…魅惑のもちもちが、巨大化するなんて。はぅ~」
アリアがももを抱きしめた。ももは少し細長く姿を変えた。
「ももが、アリアを隔離してくれるのですね! これなら安心して眠れますわ」
「……隔離? 魅惑のもちもちは嬉しいけど、なんだか複雑~」
ももを抱きしめながら、アリアはぼやいた。
「マーシャ、お姉ちゃんはほっといて、こちら側で寝ましょう」
「……うん」
マーシャの本心は、アリアとくっついて眠りたかったのだが、自分よりも小さな瑠璃の前で言い出せなかった。中央にマーシャ、両脇を瑠璃とアリアが引っ付いたももで挟む形だ。
「大丈夫そうだね。アリア、後は頼むよ」
「は~い」
お休み、と言って稜真は出て行った。
眠る時の着替えをマーシャは持っておらず、以前森番の小屋で眠った時はアリアの服を貸した。もちろん瑠璃も持っていないので、今回もアリアが適当な服を取り出す。アリアのシャツを2人が着ると、ネグリジェのようになった。
「今度、2人の着替え買おうね~。マーシャも瑠璃も、何色が似合うかな」
「でも…」
「必要な物を買うお金は、お父様から頂いているの。マーシャと瑠璃の服は必要経費だよ。旅をお手伝いしてくれるお給料だと思ってね」
アリアが言っても、マーシャはまだ思案顔だ。
「マーシャ。私は洋服を買った事がありませんの。選んで下さいな」
「かったことないの? ルリ」
「瑠璃は森から出てなかったからね。この機会にそろえるつもりなの。マーシャも選ぶのを手伝ってね」
マーシャは頷いた。
馬車には魔石のランプが取り付けてある。このランプは光量の調整も可能で、火を使わずにすむので安全だ。高価な品だが、伯爵は娘の為に用意してくれた。
洗面と着替えを終えると、アリアはランプに手をかざし、光量を絞って薄暗くした。
「瑠璃、マーシャ、お休み~」
「お休みなさい」
「おやすみ、なさい」
ももも少し体を震わせ、挨拶したようだ。
稜真とイネスが寝るのは、馬車横に張られたテントだ。イネスがテントを張ってくれていた。
「全部やらせて悪いな。助かる」
「これくらい、なんでもないですよ」
体が大きいから勘違いしてしまうが、イネスは12歳の子供なのだ。年齢の割りに言葉遣いが丁寧なのは、実家の店を手伝っていたからなのだろう。
「明日はもう1日野宿して、次の日は宿に泊まる予定からな」
「宿泊まりかぁ。俺、初めてなんです!」
イネスは楽しみにしているようだ。その喜びようはまるで、図体だけは大きい子犬のようだった。
稜真は、くすっと笑った。
「俺は辺りを見回って来るから、先に寝ていてくれ」
「俺も行きます」
「1人でいいよ」
「でも……」
「お子様は早く寝る」
稜真は冗談めかして、イネスの頭を指でついた。
「──お子様」
イネスはくすぐったそうに笑う。
「リョウマさん、お先です。お休みなさい」
「お休み」
馬車の守りはきさらがいる。野営地を回ろうとする稜真の肩に、そらが飛んで来た。
『あるじー。そらも、いく!』
稜真の肩に乗ったそらはご機嫌だ。久しぶりに稜真を独り占めしたのが嬉しいらしい。小さな体で、いつも頑張っているそらを、稜真はありがたく思う。
「いつも手伝ってくれてありがとな」
『そらは、おてつだい、うれしいの。あるじの、おねがい、うれしいの』
そう言うと、稜真の頬に頭をすり寄せた。
「俺はそらがいてくれて、とても嬉しいよ」
そらは、「ククゥ」と可愛らしく喉を鳴らした。
野営地は何事もなかった。
以前のカルロスとの旅のように、そらに夜の警戒を頼む。きさらがいれば、魔物は近づいて来ない気もするが、やはり用心するに越した事はないだろう。
きさらは明日も人を乗せなくてはならないから、寝かせてやりたい。
「よろしく頼むね、そら」
『まかせてー』
テントに入ろうとした稜真だが、やって来たきさらが服をくわえて離さない。そらがつついて叱っているが、どうしても止めないのだ。
「……きさら…」
『主はきさらと寝るの! きさらも主といたいの!』
「明日たっぷりブラッシングしてあげるから、それじゃ駄目?」
『今日は主、あんまりきさらに乗ってくれなかった。寂しい…』
「それは…」
ももは先程までべったりくっついていたし、今はそらと散歩したようなものだ。きさらと湖の往復はしたが、その後は馬車に乗っていたから、余計に寂しく感じているのかもしれない。
きさらの赤いまん丸な瞳が、うるうると稜真を見つめる。
きさらには、いつも無理させている。この先宿に泊まれば、きさらは1頭だけ厩で寝なくてはならない。
「今夜だけって約束できる?」
『今夜だけ? おうちでも駄目になる?』
おうちとは湖の家の事だろう。
「約束は、この旅の間だけでいいよ」
『約束する!』
そらは稜真が了承したので、きさらから離れて、馬車の上で警戒に入った。
稜真は地面に厚めの敷物を敷いて横になる。上には何も掛けずとも、きさらの羽がある。きさらが満足げに喉を鳴らす音を子守歌に、稜真は眠りについた。
マーシャは夜中に目を覚ました。
きさらかアリアの温もりを感じて眠った時は、朝までぐっすり眠れたのに。もう1度目を閉じたが、どうにも眠れない。
瑠璃はふにふにして気持ちいいが、小さくて頼りない。ももはもちもちだが、アリアがしがみついている。
マーシャは少し考えて、そっと外へ出た。
「クルル?」
そらがどうしたの?と言いたげに、マーシャの肩に降りて来た。そらに触れると落ち着くが、眠る時はもっと大きな方がいい。
「きさらは?」
そらが翼で、きさらの方向を教えてくれた。テントの隣で丸くなっている姿が見えた。
近づくと、きさらの羽に包まれて眠っている稜真がいた。
「……いいな」
きさらはきょとんとした顔で、こちらを見ている。
(…きさらのはんたいがわで、ねようかな。どうしようかな)
稜真は穏やかな顔で眠っている。
剣を持っている時は少し怖いけど、自分とイネスを助けてくれた。きさらを守る為に戦った優しい人だ。
優しい従魔達の、優しい主。
マーシャが迷っていると、きさらが片方の羽を持ち上げた。マーシャは迷わず、その下に潜り込んだ。
全身が温かさに包まれる。あっという間に、マーシャは眠りについた。




