第6話「待った方が、置いてかれるのかよ」
「これ、私じゃない」
机の隣に座った友達が、端末を差し出した。
画面には、その友達の顔があった。
同じ写真。同じ名前。
《ちょっと立て替えて。あとで返すから》
黒いスニーカーの少女は、キーボードから手を離した。
「誰に来た?」
「二人。私が、どういうつもりかって」
差し出された端末の上で、友達の指が震えていた。少女は受け取る前に椅子を引き、そこへ座らせ直した。
自分の声が、もう強くなっている。
「あんたに怒ってんじゃないってば。そいつにだから」
「うん」
そう返されても、友達の指は止まらなかった。
少女は息を吐いた。黒いキーボードの縁で色が流れ、暗い画面へ映り込む。明るさを落とし、まず隣の端末だけを見た。
友達のアカウントは、今も使えた。自分で開くと、昨日の会話も、友達の一覧もある。
金を頼んで回っている方は、写真だけを同じにした別のアカウントだった。
「借りてないって、言った?」
「言った。でも、向こうからも返事が来るんだって。私、言い訳してると思われてる」
少女は投稿欄を開いた。
《このアカウント、本人じゃない。こっちが本物》
写真も二枚、並べかけた。
「名前は、出さないで」
隣の声で、指が止まる。
「みんなに見られるのは、まだ、嫌」
一人に説明している間に、また別の人から聞かれる。
それを止めたくて、全員に見せようとしていた。
少女は写真を二枚とも外した。
「じゃ、名前なし。どこまでなら書ける?」
友達は自分の画面を見たまま、少しずつ答えた。
少女はその返事を、一つずつ待った。
*
「俺、まだ入ってない」
悠斗が言うと、電話の向こうの健が黙った。
沼野情報調査事務所の机には、同じ赤いコントローラーの絵が二つ並んでいる。健が送ってきた画像の方には、《悠斗も待ってるから》と書いてあった。
蓮は椅子を寄せた。
「健。その招待、今は押さないで」
『押してない。悠斗に聞いてからと思って』
「助かる」
『で、翼は?』
誰も、すぐには答えなかった。
悠斗が、自分の端末を持ち上げる。
《少し待って》
翼の名前へ送った文は、まだそこにあった。
『お前も、分かんないの?』
「分かんないから、ここに来た」
悠斗の声が少し尖った。健に怒っても仕方ないと、言ってから気づいた顔だった。
寧が、持ってきた水を彼の前へ置いた。今度は、ちゃんと飲んだ。
蓮は無刻印のキーボードを引き寄せた。
友達の名前で、友達を呼んでいる。
一人ずつ確かめている間に、向こうは次へ進んでいた。
『俺、みんなにも聞いてみる』
健が言った。
「待て。招待ごと送るなよ」
『あ、そっか。何て聞けばいい?』
蓮は一度、考えた。
「翼から連絡が来たか。それと、お前がまだ部屋に入ってないこと」
『了解』
通話はつないだまま、向こうで入力する音がした。
不意に、低い音が二度した。
『健、廊下でボール蹴らない!』
遠くから声が飛ぶ。
『蹴ってねえ、足で止めてるだけ!』
もう一度、こつん、と鳴った。
悠斗が端末へ顔を寄せる。
「今、止まってねえだろ」
『……座った。両足、床』
入力する音が、ゆっくり戻った。悠斗も椅子へ座り直す。今は、同じ電話の向こうにいた。
寧は、自分の画面に来た別の通知を見ていた。
「レン。似た話、出てるよ」
*
公開の相談板だった。
匿名の投稿が、数分前に一つ増えている。
《友達の名前と写真で、別のアカウントが金を頼んで回ってる。本人は今、自分のアカウントを使えてる。乗っ取られたって決めつけて、その子を追い出すなってば》
文の下に、個人が分からないよう切り取った画像があった。
相手の名前も写真も、見えない。
金を立て替えてほしいという文と、その下のカードだけが残っていた。
「この行き先」
寧が言う。
蓮は悠斗の招待と並べた。
カードに書かれた行き先の先頭が、同じだった。
「同じところ、使ってる」
「書いてある名前はね。その先は、違うんだよ」
寧はまだ、どちらも開かなかった。
蓮は投稿を読み直した。
一人の名前を借りて、金を集める。仲間の名前を足して、次を呼ぶ。
「翼のも、これかもな」
悠斗が顔を上げた。
「じゃ、翼のアカウントは、別にある?」
「いや、そこまでは――」
返事をする間に、彼の顔が明るくなっていた。
蓮は自分の言った一言が、どこまで届いてしまったかを見た。
「まだ、分からない」
言い直すと、悠斗は画面へ目を戻した。
期待を持たせた分だけ、肩が下がった。
蓮は投稿の返信欄へ、文を打った。
《こっちでも、消えた友達の名前から別の部屋へ誘われてる。同じ事件かもしれない。書いてある行き先の先頭が同じ》
送ってから、机の二つの招待を見た。
いつもなら、似ているところからまとめて処理できる。何度も同じことをするのが嫌で、そうしてきた。
今回も、まとめれば早いと思った。
返信は、すぐに来た。
《そっちも、その友達のアカウントは使えてるのか?》
蓮の指が止まった。
*
「あー……そこかぁ……」
蓮がつぶやくと、悠斗がこちらを見た。
「翼、一覧からいないんだろ」
「うん」
「この人の友達は、自分のアカウントを開ける」
寧が二つの画像の間へ、空いた紙を一枚置いた。
蓮は右と左を見た。
同じ名前で誘われる。
同じところへ向かう文字がある。
けれど、本人がいる場所は、同じではなかった。
《こっちは、本人の状態はまだ分からない。俺たちの一覧から名前が消えた》
返信すると、少し間が空いた。
その間に、健の声がした。
『翼、いるって言ってるやつ、いる』
悠斗が身を乗り出した。
「誰?」
『部屋の方で、話してるって』
蓮は自分の画面を閉じかけた。
入った人がいる。だったら、そっちへ聞けば――。
電話の向こうで、健が続けた。
『でも、声じゃなくて文字だってさ。俺、何が本当か分かんなくなってきた』
蓮は閉じる指を止めた。
事務所に来た悠斗も、電話を掛けた健も、自分で確かめようとしていた。
そこへ、翼はもういる、という答えだけが先に戻ってくる。
相談板の返信が光った。
《似てんのは分かった。でも、こっちの子が何したかまで、同じにしないでってば》
短い文だった。
蓮は顔をしかめた。
責めたつもりはなかった。犯人をまとめていたつもりだった。
けれど、悠斗にも、翼の別のアカウントがあるように聞こえた。
この投稿の友達にも、勝手な説明が届くのかもしれない。
「……雑だった」
「何が?」
寧が聞く。
「同じかも、って言い方」
寧は紙の真ん中に置いていた指を外した。
蓮は二つを一緒にする線を、引かなかった。
*
スニーカーの少女は、新しい返信を読んだ。
《同じ事件だと書いたのは早かった。共通してるのは、見せてもらったカードの行き先の先頭。こっちは本人の状態が分からない。そっちは、別のアカウントが名前を使ってる。それぞれ分けて残したい》
最後まで読んでから、隣の友達へ向けた。
「これ、書いていい?」
友達は端末を覗き、最初の投稿へ戻した。
自分の名前も写真も、載っていない。
乗っ取られたのだとも、金を頼んだのだとも、書かれていなかった。
「うん。それなら」
肩が、少しだけ落ちた。
少女は返信を打った。
《そう。そっちの話は、そっちで確かめて。こっちの子に金を頼まれたと思ってる人も、まだいる。今、本人から伝えてる》
隣で、友達が自分の文を打ち始める。
《お金をお願いしているのは、私のアカウントではありません》
一行打って、止まった。
「これ、さっきも送った」
少女は、また送れ、と言いかけた。
「何人に?」
「分かってるのは二人。まだ、返ってこない」
すぐ返事をさせるための言葉なら、いくつも浮かんだ。
今すぐ見ろ。何で分からないんだ。本人が言ってるだろ。
それを全部、隣の友達に送らせるつもりだったのか。
少女は机の脇から椅子をもう少し引き、背もたれを空けた。
「お茶、飲みなって。返事は、一緒に待つから」
「待ってる間にも、届いてるかも」
「だから、手分けする。あたしが見とく分と、そっちが返す分」
相手へ確かめてもよい人を二人で選んだ。勝手に全員へ知らせる代わりに、次に何か来たら一緒に読むことにした。
少女は自分の端末を机へ置いた。
通知の音を、一段下げる。
部屋が少し静かになった。
友達が、冷めたお茶を一口飲んだ。
奥から、食べるなら呼びなさいよ、と声がした。
少女は「あとで」と返し、増えた通知へ目を戻した。友達の分の椅子は空けられたのに、自分の手はまだ止められなかった。
隣から、お茶の入ったカップが滑ってきた。
「そっちも飲んで。一緒に待つんでしょ」
「あたしは、まだ――」
「私に言ったばっかり」
少女は口を閉じた。カップへ手を伸ばし、もう片方の手だけを端末の脇に残した。
「……そうだってば。分かってる」
*
蓮は相談板へ、短い訂正を足した。
《二件は、同じ事件だとまだ分かっていない》
書いたまま、少し顔をしかめる。
「最初から、そう書けばよかった」
「今、直した」
寧はそれだけ言った。
蓮が二つの画像を動かすと、寧は片方を指で押さえた。
「こっちは、私も見てた。私からも、違いを返す」
「んー……じゃあ、頼む。俺、先に訂正する」
蓮は入力欄へ戻った。間違えた一言を、相棒の説明に隠すのはやめた。
悠斗が、二つの画像を見比べる。
「同じ犯人かもしれないのに、別にしとくの?」
「同じところは残す。違うところも、消さない」
蓮は自分の机へ紙を寄せた。
「まとめて外したら、どっちも、最初からになる」
分かっていない、という欄は気に入らなかった。
だが、そこへ想像を入れるよりは、明日もう一度やる仕事が少ない。
電話の向こうで、健が咳払いした。
『いっそ、今日は全部やめとく?』
「何を」
『ゲーム。部屋も抜けてさ。誰が誰だか分かんないなら、話してても』
蓮は、そうしてくれるなら早いと思った。
全員が触らず寝てくれれば、少なくとも今、次へ行くのは止まる。
だが、悠斗が先に口を開いた。
「翼が戻ってきたら、どこに来るんだよ」
健は答えなかった。
「何にもしてないかもしれないのに、あいつがいなくなったから部屋もやめましたって。それ、嫌だ」
悠斗は袋の切れ端を、机の端へ寄せた。
「俺、ここ来る前、話せるやついないかと思った」
蓮は自分の端末へ目を落とした。
一覧から名前が一つ抜けた。だから、残りも全部閉じる。
機械なら、その方が確認しやすい。
その間、悠斗はどこで待つのだろう。
寧が、通話の表示を見せた。
「これは、続けていい?」
蓮ではなく、悠斗へ聞いていた。
悠斗がうなずく。
『俺も、切るつもりはなかったけど』
健が言った。
「全部やめるって、言ったじゃん」
悠斗が端末へ返す。
『ゲームの部屋だろ。お前と話すのまで、やめるって言ってねえよ』
「……最初から、そう言ってくれよ」
『そっちも、切る気なかったんだろ』
悠斗は端末を少し自分へ寄せた。
「まあな」
蓮は小さく息を吐いた。
「んー……じゃあ、続けるかぁ……。今来た招待を押す話と、俺たちが話すのは、別でいい」
悠斗の指が、袋の端から離れた。
翼の顔はまだ見えない。けれど、待つ方まで散らしてしまう必要はなかった。
『じゃ、俺はみんなに何て言う? 翼が戻ったって話、もう回ってる』
蓮は、相談板の訂正文を見た。
犯人の名前は、まだ書けない。
翼が無事だとも、乗っ取られたとも、言えない。
「お前がまだ入ってないことは、言えるだろ」
『それは、言った』
「もう一つ。名前があっても、本人と話せたとは限らない。招待は、今、回さないでほしい」
健は、その文を自分の言い方に直した。
《俺は入ってない。悠斗もまだ。翼がいるか、文字だけじゃ分かんないから、その招待、今は広げないで》
送る前に読み上げ、悠斗がうなずいた。
「俺のことも、それならいい」
送信の音がした。
少なくとも今、二人の名前で勝手に話を進めるのは違う、と伝えられた。
寧が紙コップを集める。
「お腹、空かない?」
「今、その話?」
悠斗が言ってから、机の上の袋を見た。
補給食は、もう食べ終わっていた。
「……何か、ちゃんと食いたい」
「うん。私も」
「お前は、ずっとだろ」
蓮が言うと、寧は流しへ向いたまま答えた。
「ずっとでも、食べていいんだもん」
窓の下を、荷物を抱えた人が通った。袖の補助具から外した電池を、腰の袋へ落とし込んでいる。古い冷却ファンが、そこで一度だけ唸った。
蓮は鞄の横を片づけた。
誰かと話していると、片づく前に別の用事が生まれる。
だるい。
それでも、悠斗の顔は、来た時より少し上を向いていた。
*
健の端末で、続けて音が鳴った。
蓮が顔を上げる。
『何だよ、これ』
健の声が低くなった。
「どうした」
『俺が、話してるって』
悠斗が、自分の画面を近づけた。
健へ返された文を、彼が読み上げる。
《健なら、もう向こうにいるよ》
《早く来てって返事してるじゃん》
蓮は電話の表示を見た。
通話は、まだ続いている。
ここで読む文を考え、送る前に悠斗へ聞き、相手の返事を待っていた健が、その向こうにいる。
「その返事、お前が送った?」
『送ってねえよ。そっちの部屋、開いてもない』
また通知が鳴った。
《もう本人から聞いたから。分からないなら、話をややこしくしないで》
誰に届いたかを、健は二度確かめたらしい。
『俺に、来てるんだよな』
悠斗は何も言わなかった。
『待った方が、置いてかれるのかよ』
さっきまで、押す前に聞いてよかったと思っていた声だった。
向こうの部屋では、同じ名前が先に返事をしている。
その返事を信じた友達が、遅れてきた方を、もう待たなくなっていた。




