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8.満ちる光

「準備を整え次第、地下大水道の最深部を目指す。カイ、お前のその『目』で、闇の中に潜む初期症状の者や異常箇所をすべて見極めろ。……行くぞ」


「はいっス、師匠!」


王都を包む不穏な雲がさらに低く垂れ込める中、一人の少年と伝説の魔女、そして謎多き観察者は、地下へと続く重い鉄の扉の前へと向かって足を進めた。

地下水道の闇の奥から、ギチギチと金属が擦れるような気味の悪い音と、濁った狂笑がゆっくりと近づいて

くる。


「……っ! 来るっス、師匠!」


カイは生唾を飲み込み、短剣の柄を固く握りしめた。手心が加わっているとはいえ、セレーネの防護魔法のおかげで胸の悪寒は幾分か和らいでいる。


「……騒ぐな、小僧」


セレーネは低く、けれどどこか言い聞かせるような声でカイを制した。その声には、冷たさの裏側にほんの僅かな――カイを余計な危険に晒させまいとする繊細な配慮が混ざっていた。


「見えているな? お前のその『目』で、奴らの動きの始点を追え。……いくら強大な力を得ようと、理性を欠いた攻撃には必ず歪みが生まれる」


「は、はいっス……!」


「師匠も意外と面倒見が良いねぇ。素直じゃないけれど」


「黙れエレン。焼き殺すぞ」


エレンの軽口を即座に一蹴しながらも、セレーネは右手に集めた薄青い魔力の粒子を、殺傷力度の高い尖鋭な形状から、相手の動きを拘束するための重力波へと緩やかに変化させた。

カイの「生け捕りにして情報を聞き出したい」という青臭い願いを、口では鬱陶しがりながらも、完全に無視したわけではないのだ。


「……チッ。手加減など、千年間やったこともないというのに」


セレーネは忌々しそうに呟くと、ふっと前髪を揺らして一歩前に出た。


「カイ。お前は陰から奴らの視界を奪え。……怪我をしたら、容赦なく置いていくからな」


冷たく言い放たれた言葉。けれど、その瞳はしっかりとカイの無事を確かめるように一度だけ向けられていた。


「了解っス! 任せてください、師匠!」


カイは胸の奥が熱くなるのを感じながら、影の中に深く身体を溶け込ませた。伝説の魔女のほんの少しの不器用な優しさに応えるため、少年は息を殺して跳躍の瞬間を待つ。

暗闇の中から、だぶだぶの皮鎧を纏った男たちが姿を現した。その四人の瞳には、カイの言った通り怪しい紫色の斑点が明滅し、濁った狂気が生々しく滲み出ている。


「ヒヒッ……なんだぁ? こんな地下街の掃き溜めに、可愛いお客さんかい……?」


先頭の男が錆びついた大鉈を振りかざし、下品な笑みを浮かべながら間合いを詰めてくる。その瞬間、影に潜んでいたカイの『目』が、男たちの関節の微細な強張りと魔力の流れを鮮明に捉えた。


(右脚の踏み込みが甘い……そこっス!)


カイは体内の魔力を極限まで絞り出し、『隠蔽魔法』で自身の存在感を掻き消したまま、滑るように男たちの死角へと侵入した。風すら立てない影の足取り。


「なっ……どこへ消え――」


男が惑わされたわずかな隙を、セレーネは見逃さなかった。


「視線が泳いでいるぞ、愚者め」


セレーネが静かに右手をかざすと、凝縮された氷の重力波が爆発的に広がった。激しい衝撃が空間を揺るがすが、殺傷力は抑えられ、凄まじい圧力となって男たちの身体を石畳へと押し潰す。


「ガハッ……!? なんだこの重圧は……っ!」


「今っス!」


影から飛び出したカイは、短剣の柄で残る一人の膝裏を鋭く打ち抜き、体勢を完全に崩させた。倒れ込んだ男の首元へ、セレーネの放った極薄の氷片がピタリと突きつけられる。

ほんの数秒の出来事だった。四人の『崩落者』たちは、誰一人反撃すら許されずに拘束されたのだ。


「はぁ……はぁ……! うまくいったっス……!」


カイが膝に手を当てて息を整えると、セレーネは冷えた視線で倒れた男たちを見下ろしたまま、小さく鼻を鳴らした。


「……フン。不慣れな手加減をさせられたせいで、無駄な体力を消耗した」


「でも、師匠! 誰も死なずに済んだっスよ! それに手加減しながらこの精度なんて、やっぱり師匠はすごすぎるっス!」


目を輝かせて無邪気に褒めちぎるカイに、セレーネは気まずそうにそっぽを向き、フードをぐっと深く被り直した。


「……うるさい。口を動かす暇があるなら、さっさと目的の情報を聞き出せ、カイ」


その声には刺々しさがなく、どこか照れくささを隠すような響きが含まれていた。後ろで見守っていたエレンは、クスクスと愉しそうに笑いながら眼鏡の枠を押し上げる。


「やれやれ、魔女殿もすっかり調子を狂わされているね。……さて、カイ少年。君が庇ったこの男たちから、アビスの『核』の居場所を聞き出すとしようか」


カイは表情を引き締め、拘束された男の前へと膝をついた。地下大水道のさらに奥深く、濃密な闇の残滓が手招きするように蠢いている。


拘束された男の前で屈み込むカイの背中に、冷ややかだが柔らかな気配がそっと寄り添う。


セレーネは静かに歩み寄ると、まるで月明かりが夜の闇を優しく照らすように、その手に淡い青白の魔力を灯した。それは荒々しい威圧ではなく、冷たく澄み渡った月の光のように、男たちの激しい狂気を静かに鎮めていく。


「無理に問い詰める必要はない、カイ」


セレーネの声は、氷のような冷たさの中にも、どこか凪いだ夜空のような深みと静謐さを湛えていた。カイを恐れさせないよう、そして暗闇の中で彼が道に迷わないよう、そっと行く手を照らす道標のような静かさだ。


「この者たちはアビスの毒に侵され、正気を失いかけている。……私が少しだけ、頭の中の雑音を払ってやる」


「師匠……」


セレーネがそっと指先を伸ばし、拘束された男の額に触れる。柔らかな月の光が男の体内に染み込んでいくと、瞳に浮かんでいたドロドロとした紫色の斑点が、すーっと薄らいでいった。男は荒い息を吐き出しながら、ゆっくりと瞳の焦点を戻していく。


カイはその光景を、言葉を失って見つめていた。ただ強い力でねじ伏せるのではない。闇に呑まれかけた者を、月に似た静かな光で救い出すような魔法の美しさ。


「……気づいたか? アビスの闇は力で破るだけではなく、こうして『満ちる光』で照らすことでしか消えない時もある」


セレーネは少し照れくさそうに、けれど慈しむような瞳でカイをチラリと見た。


「お前が『生け捕りにしたい』と言わなければ、私はこの光の使い方を忘れていたところだった。……少しだけ、感謝してやる」


「師匠……! やっぱりセレーネ師匠は、すごく優しくて温かい人っス!」


「なっ……! バカを言うな、私はただ面倒を省いただけだ!」


顔を真っ赤にしたセレーネは、慌ててフードを深々と被り直し、そっぽを向いてしまった。その可憐な仕草に、後ろで見ていたエレンは「やれやれ、まるで月が雲に隠れたようだね」と、楽しそうに笑みをこぼす。


男から無事に地下水道の奥へ続く鍵と情報を聞き出したカイは、短剣をしっかりと握り直した。


「よし! 月明かりの師匠と一緒に、もっと奥へ進むっス!」


セレーネはフードの影から、そっとカイの背中を見守るようにしながら、静かな歩みで地下の深淵へと足を踏み出していった。

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